ブロガーによる歴史探訪情報発信 (滋賀県)

 滋賀県教育委員会では、水と大地に刻まれた歴史遺産に光をあて、その価値を高めて、全国に魅力を情報発信していくため、「近江水と大地の遺産魅力発信事業」に取り組んでいおり、その一環として、今秋に一般参加の探訪会を開催することとしています。

 この探訪会に先だって、2012年6月30日~2012年7月28日までの各土曜日 ブロガーによる歴史探訪が行われています。
 今回私は

 7月07日  「つわものどもの謎と足跡を訪ねて」
 7月14日  「東山道をめぐる攻防の地を訪ねて」
 7月21日  「木曽殿最後の地・膳所を訪ねて」

参加させて頂きます。


各訪問地につきましては、この頁よりリンク出来るようになっていますので ご活用ください。



【清盛・景清・道誉れ つわものどもの謎と足跡を訪ねて】
‘浄厳院’
‘沙沙貴神社’
‘教林坊’
‘五個荘金堂地区’
‘ 道の駅 「せせらぎの町甲良」’
‘勝楽寺’
‘敏満寺遺跡’
‘胡宮神社’
‘あけぼのパーク多賀’
‘多賀大社’


【東山道をめぐる攻防の地を訪ねて】
‘旧米原高等尋常小学校’
‘青岸寺’
‘蓮華寺’
‘醒ヶ井宿’
‘お昼は醒井水の宿駅で’
‘成菩提院’
‘柏原宿歴史館’
‘柏原宿’
‘北畠具行の墓’
‘徳源院’

【木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて】
‘義仲寺’
‘膳所城下町・北惣門跡’
‘石坐神社’
‘膳所城下町 響忍寺・膳所の六門’
‘膳所城下町・和田神社’
‘縁心寺・大手門跡・膳所城跡’
‘膳所神社’
‘城下町の土塀・篠津神社’
‘若宮八幡宮’
膳所城勢田口総門跡
‘本多神社’
‘今井兼平の墓’
‘膳所城まとめ’





[ 2012/08/15 16:12 ] その他 | TB(0) | CM(8)

木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて 「膳所城まとめ」 (滋賀県大津市)

 「膳所」=「ぜぜ」は難読地名のひとつだそうですが、「ぜぜ」は漢字を知る前から耳慣れた地名。
それほどの地元に住みながらも、「膳所公園のところにお城があったらしい」そんな程度の認識しかなく今まで生きてきました。

 今回の「ブロガーによる歴史探訪情報発信」に、参加させて頂いたおかげで 膳所城について多くを知ることが出来ました。
 北惣門跡、大手門跡、勢田口門跡、徒歩範囲ではあるものの、どれほど大きなお城であったかこれは、それぞれ歩いてまわって頂ければ感じることが出来ると思います。

「膳所城」
関が原の戦いに勝利した徳川家康が、昔から「瀬田の唐橋を征するものは天下を征する」と言われた瀬田の唐橋に近い膳所の地に城造りの名手と言われた藤堂高虎に造らせたもの。
明治3年(1870年)新政府の早期実現を望む藩士達により、廃城の太政官布告が出された翌日よ建物の解体・移築が行われた。

 しかし、膳所城や関連建造物の「門」は廃棄される事なく、神社等に移築されたおかげで今もあちらこちらに残されているのです。



膳所神社 = 本丸大手門 城門

若宮八幡宮表門 = 本丸の犬走門 
響忍寺表門 = 藩家老村松八郎右衛門の屋敷門
和田神社表門 = 藩校遵義堂表門



 残念ながら、膳所城の姿はありませんが、膳所城跡公園があり、各門跡の碑が建ち、移築門が城下町に数多く残されているのに、地元民ですら知っている人は少ないでしょう。。
 このような歴史ある地をもっとみなさんに知って頂くためには、わかりやすいパンフレットや、ルートマップの作成、勿論PR活動も大事です。そして道路のカラー舗装。説明盤の統一化、整備等をしていく事が大事ではないかと。。。 生意気に思ってみたりしました。。



 また大津歴史博物館には、膳所城の模型が展示されています。
大津歴史博物館 【膳所六万石】




[ 2012/08/11 21:45 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて 「今井兼平の墓」 (滋賀県大津市)

木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて

【今井兼平の墓】


 旧東海道 近江八景のひとつ「粟津の晴嵐」
膳所から粟津までの琵琶湖岸に松並木がありました。今もかすかにその面影を残しているのがこのあたりです。
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「今井兼平の墓」はその少し先を奥に入った所にあります。


今井兼平は、木曽義仲の家臣で、木曽義仲が戦い破れ悲壮な最期を遂げたと知ると、自ら刀を口に逆立てて馬から飛び降り自害しました。

江戸時代になって、兼平を尊敬した膳所(ぜぜ)藩主本多俊次(ほんだとしつぐ)が墓を建立したと伝えられています

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[ 2012/08/10 23:01 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて 「本多神社」 (滋賀県大津市)

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琵琶湖岸を走る通称「湖岸道路」からほんの少し入った、民家や集合住宅の奥に、歴史ある神社があるなんて事は、殆どの人は気付かないでしょう。私も滋賀に生まれ育ち、湖岸道路を通っていても、この日 始めて知りました。


「本多神社」
旧膳所城瓦ヶ浜御殿のあとに鎮座しています。
膳所藩主本多家の四君が祀られています。

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[ 2012/08/09 22:35 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて 「膳所城勢田口総門跡」 (滋賀県大津市)

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曲がりくねった道が続き、その途中に「膳所城勢田口総門跡」の碑がありました。
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ここが、膳所城への入口のひとつで、ここにもまた人物検所があり、小屋もあったそうで、しかもつい最近まで存在したという事。。



何年か前にこのあたりを歩いた時の記事がありますが、特にそれらしきは写っていないし、データを探しても見つけられないのが残念です。
過去記事 → 旧東海道 瀬田唐橋~膳所
[ 2012/08/09 22:12 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて 「若宮八幡宮」 (滋賀県大津市)

 篠津神社を後にして、膳所の城下町を再び歩き出すと立ち止まって瓦に注目。

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「膳所山三昧院光源寺」 検索しても特に情報は出てこないのが残念ですが。

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屋根の上の鳩や獅子?が気になりますが、注目は瓦の前部分の門。大根が交差しています。
正式には「違い大根」と言われる家紋です。

大根は蕪と同じく春の七草のひとつ「スズシロ=大根」 で、【邪気払い】【無病息災】の意味を持ちます。
検索で調べてみるとこんな事が書いてありましたが、始めて見る家紋でした。



[ 2012/08/08 21:17 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(3)

木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて 「城下町の土塀・篠津神社」  (滋賀県大津市)

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「膳所の城下町の風情を残しているのは、今ではこのあたりだけです」
この土塀は、100年以上続くもの。。

実は、この土塀の続くお宅二軒は知り合いのお宅です。お煎茶を習っていたのは公共施設でしたが先生のお宅がこちらでしたので、年に何度もお稽古、初煎会、お茶会にお伺いしていました。

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お庭を眺めながらのお茶会は、とてもいい時間でした。
それはそれは、趣のある広いお宅でした。
通い始めたのは17.8年前。あの頃は、土塀もあちこちにあったのに随分と町の風景も変わりました。
多くのお宅が、建替えられてしまいました。。
せめて、先生のお宅だけは、いつまでも残っていて欲しいものです。


[ 2012/08/07 21:59 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて  「膳所神社」 (滋賀県大津市)

木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて

【膳所神社】

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祭神は豊受比売命で、奈良時代の創祀と伝わっています。
中世には、諸武将の信仰が厚く、社殿には、豊臣秀吉や徳川家康が神器を奉納したという記録が残っています。




[ 2012/08/06 21:33 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて 「縁心寺・大手門跡・膳所城跡」 (滋賀県大津市)

膳所城下町の細い道路を歩いていると、民家の間にある、さりげなく小さなお寺や、神社に出会いますが、その殆どが膳所城に関係しているものです。。
いかに規模の大きな城下町だったかを思い知ります

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こちら縁心寺は、膳所藩主本多家の菩提寺です。

大津歴史博物館 【縁心寺】


[ 2012/08/05 20:35 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて 「膳所城下町・和田神社」

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旧東海道に沿って膳所の城下町を歩きます。

響忍寺さんのすぐ近くにある酒屋さん。 なんだかおいしそうな。。。
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昔は茅葺屋根だったのでしょうか?

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ここも城下町らしい鋭角道路。。。


[ 2012/08/04 21:06 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

木曽殿の最後の膳所を訪ねて 「膳所城下町 響忍寺・膳所の六門」 (滋賀県大津市)

『膳所の六門』
膳所城の門とは別に、高禄または由緒ある武家屋敷等の門が現在でも残されています。
「膳所の六門」と呼ばれ、三箇所現存しています。


「響忍寺」
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もと膳所藩家老村松八郎右衛門の屋敷で大砲を据える台場と防塁が築かれていたとされる。
響忍寺が家老屋敷に移されたのは享保18年(1733)で、現在も風格のある長屋門が残る。


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[ 2012/08/03 20:58 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(2)

木曽殿の最後の地・膳所を訪ねて 「石坐神社」 (滋賀県大津市)

義仲殿の最期の地・膳所を訪ねて

【石坐神社(いわいじんじゃ)】


 膳所城下町を歩いていると、多くの社寺に出会います。まるで京都の町中のように住宅地の中にさりげなく社寺が溶け込んでいます。


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【祭神】(主神)彦坐王命 天命開別尊 弘文天皇 伊賀采女宅子媛命
       (合祀)海津見神 豐玉比古命


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[ 2012/08/02 21:42 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(4)

木曽殿最後の地・膳所を訪ねて 「膳所城下町・北惣門跡」 (滋賀県大津市)

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義仲寺を後にして、東へ。旧東海道を歩きます。

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旧道沿らしい趣のある民家も時々みかけます。




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そしと、ここが「膳所城北惣門跡」
[ 2012/08/01 20:50 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

 木曽殿最後の地・膳所を訪ねて 「義仲寺」 (滋賀県大津市)

木曽殿最後の地・膳所を訪ねて

【義仲寺(ぎちゅうじ)】


「次は義仲寺 義仲寺 西武百貨店前です」
義仲寺と聞くと、バスに乗っている時に何度も聞いたそんなアナウンスを思い出してしまいます。
「義仲寺」は、大津の西武百貨店の近くにあります。 バス停案内で、そう言っているのですが、はて? いったいどこに?何年も疑問でした。 いつも西武百貨店へ行くためにそのバスに乗っていたので積極的にさがす必要もなかったのですが、それほどに 通称湖岸道路と呼ばれている滋賀県道102号大津湖岸線からは少し奥まったところにあります。


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赤丸の所が義仲寺。
昭和38年には、湖岸にありました。
昭和55年の写真は現在とほぼ変わりありませんが、この変化は私が生まれてからの事で現実感があります。
琵琶湖総合開発、びわ湖大博覧会の時にどんどん埋め立てられ、その後 西武百貨店、マンション等が次々建設され、現在ではあの頃の姿が想像できなくなっています。

[ 2012/07/31 16:50 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(2)

東山道をめぐる攻防の地を訪ねて 「徳源院」 (滋賀県米原市)

東山道をめぐる攻防の地を訪ねて

【徳源院】

今回、「東山道をめぐる攻防の地を訪ねて」の最終回となります。
これに伴い、いまさらですが、たびたび出てくる「佐々木道誉」についての説明をさせて頂きます。

京極氏の源流である佐々木氏は、鎌倉時代以前より近江にあり、近江源氏とも称された家系
鎌倉時代に近江他数ヶ国の守護に任じられていた佐々木信綱は、4人の息子に近江を分けて継がせた
四男は高島郡、伊香郡、浅井郡、坂田郡、犬上郡、愛智郡の6郡と京都の京極高辻
三男は南近江
長男次男は坂田郡大原庄と高島郡田中郷
をそれぞれ相続しました。
このうち四男が「道誉」と呼ばれ室町時代に活躍します。


「清滝寺徳源院」はこの京極氏の菩提寺です。

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[ 2012/07/28 21:48 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(2)

東山道をめぐる攻防の地を訪ねて 「北畠具行の墓」

東山道をめぐる攻防の地を訪ねて 

【北畠具行の墓】

「北畠具行」の墓は、柏原宿の近くの山にあります。

北畠具行 
 後醍醐(ごだいご)天皇に仕えた具行は、鎌倉幕府打倒の謀議に度々加わり、その中心的存在でしたが笠置(かさぎ)落城の後に幕府方に捕らえられ、鎌倉に護送される身となりました。しかし、護送の途中、その人となりを惜しんだ京極道誉(きょうごくどうよ)(佐々木高氏)は、清滝寺(きよたきでら)に彼を留め、1ヶ月余りにわたって幕府に具行の命乞いを続けました。しかし、その願いも空しく、元弘2年(1332)6月19日にこの地で斬首され、その生涯を閉じました。
 墓は高さ204cmの宝篋印塔で、死後16年を経て建立されました。今もなお、6月19日の命日には、地元の人々によって手厚く供養されています。国指定の史跡です。
    (滋賀県観光情報より)

 田園地帯の一角にバス止めて頂きそこからは、徒歩です。

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[ 2012/07/27 20:42 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(2)

東山道をめぐる攻防の地を訪ねて 「柏原宿」 (滋賀県米原市)

東山道をめぐる攻防の地を訪ねて

【柏原宿】

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柏原宿には、各戸に提灯がぶらさがり、街道筋、宿場町らしさが漂っています。
規模の大きな宿場町だっただけあって、その距離も長いもので雰囲気も感じられます。

[ 2012/07/26 18:23 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(2)

東山道をめぐる攻防の地を訪ねて  「柏原宿歴史館」 (滋賀県米原市)

東山道をめぐる攻防の地を訪ねて

【柏原宿歴史館】


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柏原宿は中山道60番目の宿場で、もぐさが特産品で、最盛時には10軒以上の艾屋があったそうです。




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伊吹もぐさ亀屋佐京商店の分家である松浦良平氏の住居として大正10年建てられた建物が、「柏原宿歴史館」です。
[ 2012/07/25 20:22 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

東山道をめぐる攻防の地を訪ねて 「成菩提院」 (滋賀県米原市)

東山道をめぐる攻防の地を訪ねて

【成菩提院(じょうぼだいいん)】

醒井水の宿駅からバスで10分弱 成菩提院に到着です。

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9世紀はじめ、最澄が開いた天台宗の寺院。
 寺歴は古く、東山道・中山道沿いの寺ということで、豊臣秀吉や織田信長が街道を往来する折に、ここを宿所としていました。
[ 2012/07/24 21:05 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

東山道をめぐる攻防の地を訪ねて 「お昼ご飯は、水の駅で」 (滋賀県米原市)

13時まで休憩。
お昼はどこにしようかと。。ぶらぶらと醒ヶ井宿を歩きましたが、やはり集合地が一番落ち着くだろうと「醒ヶ井水の宿駅」まで歩きました。
JR醒ヶ井駅前にある、水の宿駅はお事処、特産品販売所などがあります。

土曜日ということもあってか、予想以上の混雑ぶり。
今回も、大慌てでべるはめに。。



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[ 2012/07/23 22:03 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(0)