#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「姫路駅の“えきそば”」
幼い頃の「そば」は黄色でした。
「黒いそば」は「年越そば」だけでした。
いつの頃からか、お店で
食べる「そば」が黒くなり不思議な思いでいながら、いつしか「そば」は黒いものと認識するようになりました。
姫路駅の「えきそば」を
食べて、記憶の中の「そば」に出会えた気がしました。

「中華そば」ではありません。和風だしの「そば」です。。
JR姫路駅 岡山方面行下りホーム。
黄色を基調とした四角い、お弁当と「えきそば」のお店。





昭和24年に、姫路駅で「立ち売りそば」が始まりました。当時はそば粉とこんしにゃくを混ぜてた麺だったそうで、今なら「ダイエットメニュー」てして売れるかもしれません(笑)
次第にホーム上での販売へと変わりました。
きっと、姫路だけでなく、関西はどこも昭和30年代~昭和40年代 黄そばを「そば」として
食べていたんだと思います。
姫路名物「えきそば」
なんたって、「天ぷらえきそば」でも一杯350円です。
午前中の仕事を終え、昼一の会合、講演会に行く事がたびたびある私。こんなところがあれば、お昼ごはんの心配しなくったっていい。
いつも おにぎり持参で駅の片隅で昼
食を済ませてる私には羨ましいお店です。
歴史ある「えきそば」には多くの物語があり、ネット検索すればたくさん出てきますが、元祖の「まねき
食品」さんの記事をどうぞ。。
→
えきそば「えきそば」を
食べる事ができるのは、このホームだけでなく姫路駅構内他 各地にあるので参考にしてください。
→
まねき食品店舗案内「中播磨旅モニターツアー 昭和レトロコース」
とっても楽しい旅でした。。
いつも通り過ぎてしまっていた「姫路」に多くの そのまま。。昭和。。が残っている事は、大発見。
姫路の魅力に触れさせてくださった、中播磨旅モニターツアーのスタッフさんへの感謝の気持ちでいっぱいです。
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#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「網干の町」

二度目に訪れた時に下車したのは、JR網干駅でした。
目的地の近代建築が点在している場所まで3キロ弱。


JR網干駅の周辺はのどかな町でした。
#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「異人館群のもうひとつの建物」

資料館と、衣掛クラブがある異人館群の中に、もうひとつ
近代建築らしい建物があります。



平屋建で、部屋の配置などが感じられないところから、もしかすると外国人技師住宅ではなく、集会所のようなものだったかもしれないと思っています。
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#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「ダイセル外国人技師 衣掛クラブ」
ダイセル異人館群の一角に、あるもう一棟の建物。

童話の中の洋館のような「おうち」
赤い屋根がとってもかわいい。
こちらも 外国人技師住宅で明治43年の建築です。
現在はも会社のクラブハウス、迎賓館として使われていて非公開のため外観のみの見学です。



どの角度から見ても綺麗です。
設計は、資料館として使われている建物と同じ設楽 貞雄氏の設計です。
ん~ 何度見ても綺麗。。かわいいなぁ。
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#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「ダイセル外国人技師住宅 資料館見学」
近代建築の内部を見学しようとする時に、その建物が資料館や展示館として活用されていると、申し訳ないけれどその二次的利用が目障りになってしまう事が多々あります。
でも今回は違います。 なんたって、あの「セルロイド」の資料館です。
まさしく、昭和初期~30年代を懐古するのにたまらない展示です。

「セルロイドは、綿実の繊維を原料にしてつくられています」
始めて知りました。
だから、あの優しい感触があるのだと聞けば、納得。
思わず、なでまわしたくなるほどの気持ちになるのは 生きた原料から出来ているからなのでした。
木造駅舎に身を置きたくなるのと同じ感触。。

アコーディオン。
今は殆ど見かけなくなりましたが、私が小学生の頃は音楽室に5台6台は置かれていましたし。
音楽クラブだった私は、何度か演奏しました。
ただ「空気を送る」という作業に気をとられ演奏はお留守に。。すぐに ピアニカ担当になりましたが。。
アコーディオンの本体。あれもセルロイドだったと言われれば、あの重厚感が蘇ります。


あ、この裁縫箱には見覚えがあります。
私のじゃないなあ。。
もしかすると兄弟のお古を使っていた友達の物かなぁ。。
小さな箱は待ち針入れ。これは持ってる~

虫眼鏡の枠も、そっかあ。

妹の「ガラガラ」 こんなのだったなあ。



黒いキューピーさんは、日本には数体しかないという珍しいもの。
こうして見てみると、懐かしさが蘇り セルロイドの暖かさが浮かんできます。
私の子供時代は、セルロイドからプラスティックへの過渡期だったんだと思います。

会社としての歴史の展示もあり、興味深く拝見させて頂きました。




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<中播磨旅モニターツアー>「ダイセル外国人技師住宅 内部見学①」
ダイセル外国人技師住宅は、月曜から金曜 内部見学が可能です。


道路を挟んだ向かい側にある、守衛所で名前を記入すると、自動で開錠してくださいます。
だーれもいない洋館を一人で見学するのですが、当然 監視カメラで見られているかと思うとちよっと恥ずかしい気分です(笑)


初代通天閣を設計された設楽貞雄氏の設計と聞くと、そのデザイン性に納得します。
資料館として役割が主で、セルロイドの歴史やセルロイド商品の展示が多数あるのでそちらに目がうつってしまいましたが、まず「建物」としての鑑賞です。


明治大正の洋館らしく、暖炉があるのですが、口は塞がれています。
煙突はどこにも見当たりませんでした。
コーナーを利用した小さな暖炉というのは、こじんまりと目立たなくていいかもしれません。


天井部分は、何箇所も角があり単純な部屋の形でないことを感じさせてくれます。



踏み込みの深い階段はヴォーリズ建築のようでもありました。
小さな部屋がいくつもあり、外国人技師住宅とはいえ、日本的な部分も感じました。
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<中播磨旅モニターツアー>「ダイセル外国人技師住宅」
「ダイセル」を聞いた事あるという方はどれだけいらっしゃるでしょう?
「ダイセル」=「セルロイド」と連想するのは私の世代なら普通なのか、周りの人々による影響なのかはわかりませんが、「セルロイド」と結びつきます。
「セルロイド」が何なのかがわかる人も少なくなってきているのかも?と思うと、私も古い人種になってきたかと寂しくも誇らしくもなってきます。
と言っても「セルロイド」を日常的に使ってきた世代ではありません。
そういやセルロイドってあったよなぁ。重くずっしり、手に馴染む素材で石鹸箱があったかな? おばあちゃんちの置き方ライターがそうだったかも。
あ、でも妹の起き上がりこぼしの人形もセルロイドだったらしい。。
網干の
近代建築が集中している旧網干市街の公園から煙突が見えます。

あれがダイセルの工場。
公園や河川敷を通り煙突を目指します。




「外国人技師住宅」
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<中播磨旅モニターツアー>「ディサービスなぎさ(旧長久医院)」
タケダ洋品店(旧網干銀行)のすぐ近くにある医院建築です。
綺麗に塗り替えられているので、新しい建物のように見えますが、注目は玄関庇部分。
重厚な四本柱。厚みのある庇壁屋根。

そして側面。
サッシ窓に変わっていますが、縦長窓と木のぬくもりが
近代建築らしさを感じさせてくれます。

近年 右側かが取り壊され更地になったのでしょうか。
昭和初期建築です。
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#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「タムラ技研」

街道筋のような落ち着いた町並みの中にある建物。

ドアも窓枠も昭和の雰囲気です。
昭和20年代からあったというこちらの建物は、はじめから「タムラ技研」だったようです。
社屋を新しくせずに、そのまま、お仕事されている精神に堅実さを感じます。
後日、再び網干を訪れこの建物をしたけれど、どうも見つからず、検索して見つかったのはこちらの建物。

色は同じだけど、周りの風景も建物も違う。
ぼけてしまったのか、幻を見たのか、きつねにつままれたかと。。思いましたが、こちらは「タムラ技研」の工場でした。


昭和30年代の建物という事です。
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<中播磨旅モニターツアー>「東京電機工業株式会社(旧赤穂塩務局網干出張所)」

入組んだ道路の突当たりにある下見板張りの三角屋根がまず目に付く建物。
地元の女性の案内がなければ、多分なかなか見つけられなかっだろう建物です。
「旧赤穂塩務局網干出張所」

赤穂の塩を管理する役場だったのでしょう。
明治後期の建設です。


一帯が、関連の建物だったらしく、塗装されないままの古い建物がたくさん残っています。
現在は、会社として使われていて、ここもまた大切に使われ続けている事が嬉しいです。
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#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「タケダ洋品店(旧網干銀行)」

最初に訪れた時は、この建物を目的に訪れる人が通る一般的なコース。
山陽網干駅から歩いて商店街に真っ直ぐ伸びる道。
二回目。「網干商工会館」から、このあたりだったかな?と歩いていると、ひょっこりと建物の間から、立派な塔屋が見えてくるのでした。


どこから見ても、綺麗な建物。

今ですら、目立つこの建物。当時はどんなに目をひいたことでしょう。
大正10年頃建築の「網干銀行」です。
網干は、漁港として、また内陸部と結ぶ水運の要衝として栄えた町、豊かな経済基盤に恵まれた町だったからこそ、これほどに立派な銀行が建てられたのでしょう。



装飾にこだわった立派な建物。
さらに、現在も個人所有の洋品店として、大切に使われ続けておられるという事。
それが大きな魅力です。
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<中播磨旅モニターツアー>「網干商工会館」
網干の町の東、揖保川に沿った道が静かに、神社や公園が見えるようになった頃、ゆるいカーブの角に風情のある建物が見えます。



「網干商工会館」
昭和15年 網干商工同友会の施設として建設されました。
一見、特徴のない建物のように見えますが、丸窓、

二階窓部分の高さまである玄関ポーチ、

タイル貼の柱

見ごたえのある建物です。
意外に奥行もあり、両脇に木があるので落ち着きを感じます。


#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「網干の町へ」

姫路港到着、すぐにタクシーに乗り、山陽電鉄飾磨駅へ網干駅へ向かいます。
網干駅から5分。

脇道を入りしばらく歩けば。

商店街の看板の向こうにひょっこりと見えてくる
近代建築。
「旧網干銀行本店」です。

ありふれた町のなんでもない風景の中に聳え立つ、塔屋のある銀行は、当時からきっと目立ったことでしょう。
地図をみながら、近辺の
近代建築を探していると 自転車で通りかかった女性が声をかけてくださり、わざわざ自転車を降りて案内してくださいました。
一軒、二軒。。
「また今度“まち歩き”しますから、案内送りますよ」と。。
本人は何もおっしゃいませんでしたが、きっとそういう活動をされている方なのだろうと思いました。
そういう方とお会いできた事、私たちにとってはとても嬉しい事でした。
中播磨の旅、2日間。とっても充実して楽しい時間でした。
まだまだ中播磨に居たかったのですが、そんなわけにもいかず、後ろ髪をひかれる思いで、網干を後にしたのですが。。
すぐ先にあった、
近代建築がどうしても気になり、また10日後、網干を訪れました。
網干の
近代建築。
両日の写真を合わせて紹介していきます。
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#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「嗚呼 男鹿(たんが)島」

坊勢島から、姫路港へと向かいます。

船内は生活観に溢れています。

姫路港に着いたら自転車で市内中心部に行くのかなぁ?
お買物かなぁ。

「ママレモン」ってまだあったの? なつかしいなぁ。
昨日 姫路港から家島本島へ向かった時は何も見えなかったけれど、海はこんなに綺麗なんだぁ。。

おや? あれば噂に聞く砕石の島=男鹿(たんが)島でしょうか?
人口は約150人。島全体が花崗岩で成っていて、石材搬出を主産業としています。


えー でも。。。。。


「身を削る」 とはまさそくこの事でしょう。
島の身を削り、島の人は生きているのです。。
ん~ なんだか哀しいなぁ。
削って削って 島がなくなったらどうするのでしょう?
この様子じゃ、砕石の音と埃でさぞかし、暮らしにくいだろうと想像してしまうのですが、水が綺麗な海水浴場や釣り人に人気の入江もあるのだそうです。
シーズンには多く来島者があり、民宿や食堂が営業も営業しているとの事。
不思議な魅力がある島。
面白そうな島。
男鹿島に着く船は、少ないのですが、次回は是非訪れてその様子を感じてみたいと思います。
工場群が近づいて来ました。 姫路港。
飾磨が工業地帯であることを海から目で確認できました。

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#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「坊勢島 奈座港」
家島本島の真浦港 宮港 網手港、坊勢島の奈座港。 定期船の発着する港の中で一番、開放的で広々しているのは奈座港です。山は迫っているけれど、間口が広い港でも言いましょうか。

港の近くにある弁天島。


島への架け橋は恐らく、近年のものでしょうが、「神権さん」とも呼ばれて親しまれ、岩の上 には漁師の守護神である弁財天がまつられています。
島を発着する定期船は、「坊勢汽船」と「輝観光」



輝観光の時刻表。
同じ本数で坊勢汽船からも船が出ていて、30分で姫路に着く事が出来ます。


楽しかった、島歩き。。島の人との語らい。。
「はるか」に乗って、坊勢島を後にしました。
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<中播磨旅モニターツアー>「坊勢島風景」

乱菊さんで楽しい時間を過ごした後、海岸線を長港に向かって歩いてみました。
坊勢島 面積187平方キロメートル 人口約3000人。
家島諸島の有人島の中では一番面積の小さい島ですが、人口は家島本島についで2番目です。
姫路まで船で30分、本州に近いからか島離れも少なく若者が多いのも特徴です。
漁業の島ですが 乱菊さんでお聞きしたように漁の取引は海の上。
漁港独特の磯の香りのようなものはしませんが、漁港らしさは漂っています。
#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「乱菊」さんで、ちらしずし 於・坊勢島
お昼時に、坊勢島に渡るのはいいけれど、御昼御飯
食べるところはあるかなぁ?と心配をしていました。
昭和の雰囲気の喫茶店か定
食屋さんがあれば嬉しいけれどなぁ。。
通りかかった人に聞けば、お寿司屋さんがあるとの事。
港から歩いて10分。

いい雰囲気の暖簾がかかっています。

お寿司屋さんって、お値段が心配で入りづらいものですが、ちらしずしが1200円なら大丈夫♪

カウンター席と、お座敷席のある品のあるお店。
愛想のいいご主人が「おすすめは、ちらしすしですよ~ 明日やったら1000円ですけど。。(笑)」
おすすめを注文すると、色々な楽しいお話をしながら手際よく ちらしずしを作っておられます。
そして運ばれてきたのが、これなんです。

大きなネタが何種類ものっています。
そしてまた、これが新鮮でコリコリとおいしいんです!!
よく似た海鮮丼もあちこちで
食べたけれど、こんなに大きなネタがいっぱいのっているのは始めて。。
う~ん。。海の幸。
昨日の、アイランドハウスいえしま荘のお料理といい、このちらしずしといい、新鮮でプリプリと甘い。。
海が近いとここまでおいしいものなのでしょうか?
漁港の近くで
食事をした事は、数あれど、ここまでおいしくはなかったなぁ~~
楽しいお話もたくさん聞かせて頂きました。
姫路から日帰りでのお客さんも多く昨日は忙しかったとの事。
夕方船で着いて、最終の船で姫路へと戻る。。 都会の喧騒を忘れて、島でおいしいものを頂くのって、素敵な時間の過ごし方。。
「夏になったハモを
食べにおいで」って。
いいなぁ。。 ここのお店なら絶対間違いないはず。
「漁業の町であるけれど、海の上で売買をするので漁港らしさがないでしょ。。」
そっかあ。。
店主さんが海草で作られたプリン。

とっても居心地のいいお店で随分と長居をしてしまいました。。
旅のひとときをこんな風に過ごすのも、またいいものです。
何も知らずにふらっと入ったお店ですが、なかなか有名なお店のようです。





→
乱菊HP シンプルなHPですが、クリックして色々見ると楽しいですよ。
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#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「家島本島~坊勢島」

家島本島の南にある「網手港」に到着、
道路の目の前に、で~ん船体が。。
いいなぁ。船、海、港、島。


#昭和レトロ
<中播磨旅モニターツアー>「宮~網手港」
家島諸島には、四つの大きな島があり、家島本島の次に人口の多い島が「坊勢(ぼうぜ)島」です。
家島へ行こうと決めた時、四つの島を巡りたかったのですが、距離的なものと船の時間の関係で、どこへも行けないと諦めていたのですが、アイランドハウスいえしま荘でお聞きしたら、家島の南「網手港」から船に乗れば坊勢島へ渡れると教えてくださいました。
網手港へは、山越えをしないといけないので徒歩では無理と聞いていたのですが、それも私達の足なら大丈夫な事が判明したのでした。

「宮」の町、今度は山手を歩いて、網手港へ向かいました。

「イエスキリストは。。」の貼紙の横に、お地蔵様。。

ショーケースには、キティちゃんと一緒にお昼根しているにゃんこちゃん。。
「島」だなぁ。。
ゆったりと、のどかだなぁ。。と思います。

この煉瓦は、何の跡なのでしょう?

瓦屋根の大きな家の向かい。煉瓦造の立派な建物でもあったのでしょうか。気になります。





山の斜面に寄添うように建つ民家。
石段と、細い路地と、見下ろせる海。
尾道の風景を思い出します。

わんちゃんが、吠えていたこの場所あたりから、南へと進みました。
なんとまぁ、鮮やかな赤なんでしょ。。


「宮」から網手港へと向かう道の分れ道付近にある「破風地蔵尊」と「赤坂清水」



赤いトタン屋根、網で覆われた中は、湧き水で、水道がひかれるまでは地区の水がめとして使われていたそうです。

この道まっすぐでいいかなぁ?
一人だったら、きっと心細いだろう道も、二人なら大丈夫♪

ほうら、道を下ったら 港です。
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