日の出は「5時05分」と書いてありましたが、朝焼けは日の出より早く、寝ていても何度も目が覚めます。 「日の出日の入朝焼け夕焼け」が大好きな私は、旅先では目覚ましをセットしていても落ち着かないんです。。 おかげで日中眠くてたまらなくって旅が楽しめなくなることもしばしば。でも今日は安心 帰って寝ればいいんです。 ごそごそと起き出したのは4時半。 とりあえず、デッキへ。  ほらほら、もう空は赤くなってきています。 このままじっと見ていたいところですが、5月6日といえども早朝の海の上は風か強く寒い。 部屋に戻ると連れ合いを起こしてしまうんで、船内をうろうろしたり、デッキに出てみたり、まだみなさん就寝中の様子です。  どんどん赤くなってきました。
   太陽は、一旦 出てくるどんどん昇ります。船もどんどん進むから見える角度もどんどん変わる。。     海を照らす太陽がキラキラととても綺麗です。 船の上から、日の出を見たのは始めてです。 南国ムードいっぱいの日南海岸からの日の出、さんふらわあからの日の入、日の出。 今回は、とても恵まれました。 ここは飾磨の工業地帯でしょうか、陸が見えてきました。   いよいよ下船です。  二番に乗ったから、乗用車の部二番に下船  さんふらわあともお別れです。  見慣れたはずの、関西がとても都会に見えた日(笑)  朝、早いため渋滞もなく神戸から1時間で自宅着。 昨晩、陸路で帰り着いた娘家族が朝食の用意をして待ってくれていました。 いつも、「ローカル電車で一人旅」の私が、大家族での車移動。 家族サービスに徹するつもりでしたが、十二分に楽しめた四泊五日(車・ホテル、主人の実家・船) 始めての経験ばかりで、得るものがたくさんありました。 家族全員元気で居られる幸せを噛み締めています。
乗船。部屋へ行く前に、デッキに出てみました。  日が沈みかけています。  港を見れば、まだまだ、乗船中です。 4時間も前に来なくっても、1時間前でもぎりぎり間に合っただろうに(笑) でも渋滞状況が全くよめなかったので仕方ありません。   日が沈もうとしています。 デッキから、真っ赤に燃える空を見るのもいいもの。。
  船は、大分を、九州を離れて行きます。 慌しい短い帰省でしたが、家族一同が主人の両親と会えたのは、何にも変えがたい思い出となる事でしょう。 「スタンダード洋室2名」   部屋が散らかっていてすみません。 決して広い部屋ではありませんが、プライバシーが守られ、のんびりと出来ます。 私など、これ位の部屋の方が落ち着きます。  25年前までに乗っていたフェリーの、相部屋、いわゆる「雑魚寝(ざこね)」は、言えば、船の中をいくつかに区切っただけの極めてオープンな場所でした。体育館にみんなが寝ているような感じで、プライバシーも何もあったものじゃありません、一応 毛布と枕は一人一枚用意されていますが、混雑時ともなれば早く寝たもの勝ち。 ウロウロしていたら場所はなくなり、廊下で寝るしかありませんでした。 「最近は、それぞれ一人ずつの場所は番号がつけられていて確保されているらしいよ」とは、聞いていました。  廊下の両側に「ツーリスト」 ドアがあり、18人の部屋になっていました。 25年のうちに客室事情も変わっていました。 → さんふらわあ ごーるど ぱーる 客室共有部分もなかなかゆったりしていますが、以前乗った時より狭く感じるのは 船の大きさが違うのか、客室を細かく区切ったために、開放感がなくなったのかどちらなんでしょうね。    海の上、携帯はつながらなくなりますが、案内所がWiFiスポットになっているので、心配はいりませんでした。 現在どこにいるかもわかります。  眠ってしまうのは勿体無いけれど。。 明日の朝も楽しみです。 
「フェリー」というものに始めて乗ったのは、高校二年の修学旅行の時でした。 大分別府港~大阪南港 多感な時期。友達と、時折見える瀬戸内海の島々の灯りや、船の灯りを感じながら甲板で一睡もせずに話し込んでいました。 二度目は高校三年の卒業旅行。 「高知~大阪南港」 何もわからないのに、時刻表だけを手がかりに私一人が計画を立て四人の友達との旅でした。 どうしても「桂浜」に行きたくて、タクシーで行きそのタクシーで高知港に着いたのでした。 三度目は結婚して一年目のゴールデンウィーク」 「大阪南港~日向港」 そして最後は25年位前だったでしょうか。 「神戸港~日向」 「別府~大阪南港」 家族での宮崎帰省でした。 数えられる程に乗船回数は少なく、25年前が最後とは。。 殆どの事を忘れていて新鮮です。 今回「大分~神戸港」という航路を選んだのは特に意味はなく、なんとか個室を取りたくて連日予約状況を更新して勝ち取っただけの理由(笑) ただ、太平洋航路は船酔いが心配で避けました。 大分港に着いたのが、出航の4時間前。 それでも 2番のりでした。   「大分港」を利用するのは始めてでしたが、意外に殺風景。 それでも、二階には、代表的なお土産がずらりと並んでいたので、助かりました。
 連休最終日の一日前です。 一番混雑する日で、すべての割引が適用外の日。 駐車場がなかったら、みなさんどうされるんでしょ? 時間前に行列したら、周囲は渋滞しない? まぁ。。とにかく 2番に並んでいる私達には心配のない事です。  お土産を買って戻ると車は増えていました。 工事のフェンスのおかげで、せっかくの「さんふらわあ」なのに船体が見えないのは残念です。      西大分駅から帰って来た時に見た角度が綺麗でした。   いよいよ乗船。 これが見たくって、西大分駅から急いで帰ってきたのです    25年ぶりのフェリーですが、今までは、港と船をつなぐ紙テープがありました。 船会社が配っていたものなのかどうかはわかりませんが、「家族や恋人との別れのシーン」を感じる、もの哀しいものでした。 今は、交通網の発達で気軽にどこへも行き来できるようになり、紙テープが切れるまでつながっていたい。。などという感傷はなくなってしまったのかもしれません。   久しぶりの船旅です。
今回の大家族での主人の実家への帰省に際しては、全く自分の事は考えていませんでした。 目的は「主人の両親と会う事」 娘の連れ合い達には、貴重な休みを犠牲にして?遠路はるばるつきあって頂くわけで、申し訳ない限りで、「遊び」の計画などとんでもないのです。 でも、あとは、フェリーに乗るだけ、娘達は小倉泊で今日はそろそろ自宅に着いてるかなぁ。 フェリーの写真を撮り、お土産を買い、乗船手続きを済ませて車の列に並んだけれど、船に車を乗せるまでにもあと一時間あります。 しばし、車に乗って待ってましたが、あまりに退屈。 主人が「どこかウロウロしてきたら?」 そこで やっと ハッと気づきました。 そうそう 折角なのに町歩きしなくっちゃ。 旅に出れば寸暇を惜しんで町歩きをするのにどうして思いつかなかったのでしょう。 とは言え、どこに何があるかも調べてないしと、スマホ検索。 あ、徒歩圏内の「西大分駅」!! 木造駅舎なんだぁ!! 「行ってくる!!」 いつもの私にやっと戻りました。 久大本線、豊肥本線、日豊本線の乗り入れる「大分駅」から2.5キロ北西にある「西大分駅」 国道10号(小倉街道)という、交通量の多い幹線道路からほんの少し入ったところにあります。  奥に見える瓦屋根の建物が「西大分駅」  この場所に、この駅があることは、あまりにもミスマッチでしょう。 木造駅舎の殆どは、ローカル線、乗降の少ない、人里離れたところにあるのですが、ここは大分の大都会です。 交通量は多いし、ビルが建ち並んでいます。 この意外性が、いいじゃないですか。。。
 待合室のがらんとした風景の床も、プラスティックの椅子も昭和の雰囲気が漂い、 随所に、それ以前を感じさせるものがたくさん。    広い構内は貨物駅であるため。 現役の貨物駅ですが、以前は専用線が多数あったそうで、この駅舎に佇んでいると、当時の賑わいが見えてくるようです。    すぐ触れられそうな場所に電車が走る姿っていいなぁ。   駅を離れてからも何度も何度も振り返りました。 いつもは、電車を待つために駅に佇むけれど、今日は 駅を背にしてお別れです。  もう少し、早くに気づいていたら、もっと丁寧に見たのですが、やはり船の時間が気になりました。 九州には、このように 新旧が混在している駅というのがいくつかあるようです。 2009年に訪れた 「南久留米駅」 これも面白い風景でした。 JR九州には独特の魅力があります。 機会があれば、もっともっと極めたいと思っています。
主人の実家で一夜を過ごし町をぐるっと回ったのですが、早くも帰る時間です。 まだまだ現役世代、仕事の都合があります。 帰路は運転手一人。フェリーでの帰途です。 関西に住む人にとって、九州の小さな町や道路網はわかりにくいと思うのですが、主人の実家は地図で言えば、南部の真ん中あたりになり、北東部にある大分港に行くには、北東方向に進めばいいのですが、東部の道路事情はよくなく、北西に進み横断という形になります。  もっとゆっくり出来たらよかったのになぁ。。 高速道路入口までは、10分。 暫く高速道路を走っていたのですが、ナビは国道を走るように指示を出して来ました。 距離的にどうなんでしょ。 でも 鳥栖ジャンクションの混雑は来る時に経験して知っている。 どっちどっちかなぁ。。 迷いつつ高速を出て、一般道へ。  「ナビ」と言うのは便利ですが、地図を見ず、頭を使わず、まかせっきりになります。 どうやら、大分・阿蘇を通るらしい。
渋滞回避のために一般道に周ったのに、なんのことはない。殆ど動かない状態が10分20分。。。いえいえ 一時間以上は続きました。 いったい、出航までに大分港に着けるのだろうか? 高速道路を行った方が良かったのじゃないだろうか?と不安いっぱいになりながらも、今更ひきかえす事もできず、「まぁ なんとかなるだろう」と。。 景色を楽しみます。 渋滞の一般道、非日常的な一般道は意外に面白い!!  「猿まわり劇場」があるって?。 そして、なんとここは「大津」 そういえば、修学旅行の時 バスガイドさんが「九州にも大津があります」とバスガイドさんがおっしゃってました。    一体私はどこにいるの?と、、戸惑ってしまいそうになります。  「ミルクロード」は阿蘇山を眺望する草原道路だそうです。   面白そうなものがいっぱい。 もっと時間があればなぁ。 娘達家族と観光したかったなぁ。    国道57号、大分まで続くこの道路は、 JR九州の豊肥本線とほぼ並行して走っています。 途中下車した駅の駅案内をところどころで見かけて、思い出します。関口知宏さんと遭遇してお話したあの日。。    阿蘇にいるんだなあ。 今。    時間があれば、こんな教会をゆっくりと眺めたい。   これも国道。 やっと大分市内。   フェリーが見えました。  主人の実家を出て5時間。 どこでどう渋滞するかの予測も出来ず、途中のスーパーでおにぎりを買ってお昼を済ませました。 出航までは4時間以上ありますが、良かったぁ。。 とにかく到着できました。 新幹線より、在来線の方が楽しいように、高速道路より一般道が楽しいですし、旅の実感があります。 やっぱり、私は、のんびり旅が好きです。
流れる景色に目をやりながら、ゴトゴト揺られ、電車を降りて、電車を見送る。。。 私が駅をおとずれる時の殆どはそんな風で、ホームを、跨線橋を、改札を、待合室を、駅の出入り口から見える風景を、そして。。駅の外観に胸はずませる。。 最後に町から見える「駅」を 眺める。。 私と、駅との対面はそんな手順だけど。 今回はすべて、「町から」 駅に出会いました。 電車に乗らないで 駅を見るなんて 自身に言わせれば「ズル」です(笑) でも たまには、「始めての駅から 電車に乗る」というシチュエーションで駅に出会ってみましょう。  三角屋根が目立つので すぐに「駅」だとわかりますが、20年ほど前はそうじゃなかったはず。 地味な木造の建物で いったいどこに駅があるのか教えてもらわないとわかりませんでした。
3家族、車2台の日程調整は大変でしたが、主人にとって折角の帰省。 ここからは娘家族とは別行動。 主人の実家。  コップ酒片手に、故郷の風に吹かれる主人(笑)  高台にあるため、市内が一望できます。
夕暮れの町をぶらぶら歩き。  右手は旧道。  新しく道を作ろうとしたら、こんな地層が見えたそうで、当時は全国から学者さんもいらしたとか。  主人にとって生まれ故郷だけど、私は結婚前にはじめてここに来た日を思い出す。。 11月だったかな? 始めて聞く町の人々、親戚の方々の言葉はまるで英語で、牛も鶏も居て、お風呂の薪を一輪車で運んだなぁ。 度々の帰省の思い出は決して楽しいものばかりでなく、戸惑い続けてたけれど。 今となれば、それらも懐かしい。 義両親の元気な姿が嬉しい。 思えば、あの頃の義両親より 私達の方が歳が上になってる。 庭で花火をして走り回っていた娘達ももうおかあさん。。 世代が変わり、歴史が出来た。 翌朝は、車で市内をひとめぐり。 これと言って観光資源のない町だけど、西郷さんがここを通ったそうです。   ここのスーパーも、始めてこの町に来た時、始めて買物した場所。恐らくスーパーはここだけだったかもしれません。 義母さんのお気に入りでしたが、去年8月に倒産したそうです。   この町を走る吉都線。 そういえば、電車を使っての帰省は一度もありません。
朝の散歩から帰り、四世代家族が朝食を終えた後は、ホテル近くの青島・鬼の洗濯岩界隈をそれぞれに楽しみました。    太平洋日向灘。 日本海とは全く違う、明るさは、この先果てしなく続く海の大きさからくるのでしょうか?
さらに南へと車を走らせてみます。    さらに南へ行けば、子供も楽しめる 「サンメッセ日南」というアミューズメントパークのような所があるということで、進んでみたのですが、GW。さすがの宮崎県も(?) こういうところは人が多いようで、渋滞で車を停めるところすらなく。。。 宮崎県縦断。 再び主人の実家近くに戻り昼食。      宮崎市内と違い、こちらは山の中で、川魚料理が有名。 滋賀県民にとっては、あまり珍しくありませんが、旅先でみんなと一緒に食べるとまたおいしいものです。
ホテルのプライベートビーチから、今までに見た事のない素晴らしい日の出を見て、「こどもの国」駅を見たあとは、周辺を歩きました。 娘たちが小学生の頃に、「こどもの国」へは行ったのですが、記憶が薄い。当時から昭和の雰囲気を感じさせる遊園地だったと思うのですが、外から見る限り遊具も見えません。 かなり敷地も広いようで、宮崎県細大のアミューズメントパーク。 海岸で、自然と戯れる事の出来る公園的要素もあるようです。  
   長い歴史持っています。 海岸線を歩けば、高くなった太陽がまだまだ綺麗です。  弧を描いた先に見えるのは、宮崎ドーム。  国道には、わずか数百メートルの間に「ういろう」のお店がたくさんあります。 「ういろう」と言えば、名古屋。 そしてなんたって 近江八幡の「わた与」ですが、ここ青島の「ういろう」も名産なんです。     そのどれもか、個人のお店で手作りされている様子。。 気になっているのが通じたか、義弟がお土産に買ってくれていました。  いかにもお土産っぽい十文字がけの紐がいい。 カラフルな包装紙は昭和を感じさせてくれます。  そしてなんと、薄い木の皮で包まれているではありませんか。 子供の頃のお饅頭はやっぱり木の皮に並べで包んでいました。 黒糖と白(白糖)の二種類が別々に包まれています。  切ってあるから食べやすい、もっちりとおいしかったです。  昔は青島には100軒以上ものお店が並んでいたといいますから、その賑わいぶりは凄かったでしょう。 全国どこへ行っても、同じようなお土産が多い中、昔からの姿のままのお土産「青島ういろう」 日持ちがしないからこそ、名産です。 また口にすることができますように。
「こどもの国駅」から、南へ1.3キロ 「青島駅」があります。 何故、歩ける距離に?と思いますが、1962年(昭和37年)まで、宮崎交通線という私鉄だったそうでその名残でしょうか。 日南海岸を走る国道220号沿、 海岸方向へ歩けば「青島」 山手方向に2~3分歩けば「青島駅」があります。  突当たりの右側が駅。 日南海岸は、どこを見ても南国ムードが漂います。
九州の義両親に会うための 3家族大移動です。 旅行好きの私ですが、今回は全く自分自身が行きたい場所等は考えていませんでした。 ただただ、みんなが楽しく過ごせればいいと、それだけを考えていたのですが。。 前日 ホテルのすぐ近くに線路があり、駅がある事をしっかり確認しました(笑) 空がオレンジ色に染まり、街が明るくなってもまだ6時前。食事までは随分と時間があります。 さぁ 駅へ行こう!!  海岸沿の道路を北方向へ10分も歩くと、左手に駅が見えてきました。  朝陽が当たり、ほんのりオレンジ色。
前夜は何時に寝たでしょう。みんながそれぞれ部屋に戻り、主人も早々と酔いつぶれて寝てしまったけれど、旅館での夜を寝てすごすのは勿体無いという心理は子供の頃から変わらず。。。 遅くまでテレビを見ていました。 私が「朝焼け」「夕焼け」を人一倍好きな事は、ブログを見続けていてくださる方なら分かって頂けるでしょうが、海の近くに行けば特にそれを求めます。 夜更かしをしたというのに「朝焼け」が気になって、何度も目が覚める。もしかしてもう太陽が昇ってしまったのじゃないか。。 あたりが少し明るくなってきたような気配がするともう目はパッチリ。 ごそごそと置きだして、部屋を出て、プライベートビーチへ。  撮影テクニックが未熟なため少し明るいように見えますが、ちょっと 空がしらみはじめた頃でした。 午前4時過ぎ。 まだ日出には一時間以上あるけれど、これからどんどん空の色が変わっていくのかと思うと、海の向こうから目が離せません。
     南国情緒漂う、海岸で、これほどまでに美しい風景に出会えるなんて。。。。 写真で見ているんじゃない、目の前にこの景色が広がっている。。。。 至福の時です。 こちらは スマホで撮影した画像です。    最近は、ワイド幅と、デジカメより綺麗な画質。 そしてfacebook、LINEへの投稿のしやすさからスマホで撮影する事が多くなりました。 この日も、その場で同行の家族に画像を送ったら 義弟と義息子(娘の連れ合いですが。。)から、同じような朝の光の写真が送られてきて、同じ行動をしていることが判明。 14人もいれば、「早起き組」もいるんです(笑)
 (わざとわかりにくい写真にしています) 生後2ヶ月の赤ちゃんから、90歳の義父まで総勢20人。 宮崎市内青島のホテルに集合しました。 主人の従兄弟、従兄弟の子供、従兄弟の孫まで。。。 なんだか、どこかに結婚式のようです。 始めて顔を合わす人同士も居るって事で、自己紹介から。。 それでも今や、facebookの時代。 「いつも見てるから、始めて会った気がしないねぇ~」「久しぶりに会う気がしないねぇ」なんて、すぐに和気藹々。   「また元気で会おうねぇ~」と 従兄弟達を見送りました。
お風呂に入って帰って来ると、既に部屋では二次会(笑)  わいわいがやがやと楽しい一夜でした。 「新婚旅行のメッカ」「太陽と緑の国」と 宮崎県がもてはやされていたのは、昭和30年代後半~40年代中頃までだったでしょうか。 海外旅行等、まだ庶民のものでなかった時代、南国情緒漂う宮崎県への新婚旅行は、若いアベック(あえて)には憧れだったのでしょう。 青島にあるこちらのホテル。 GW中というのに格安のお値段。建物もお風呂も綺麗、接客も良く穴場だったと思います。  
「みんなで九州のおばあちゃんとこ行こう」と言い出したものの、まず日程調整から。 娘の連れ合いは勿論、娘たちも仕事をしているのでみんな揃っての休みがない。結局どう頑張ってもGWのど真ん中。三日間だけ。「折角行くのに、勿体無い」 じゃあまたの機会にする? そんな事言ってたらいつまでも行けない。仕方ない。 じゃあどうして行く? 当初「九州へ行こう」と言い出したとき見ていたフリープランはあくまでウィークディーのもの。GWのど真ん中となると予想していた金額の倍以上。 飛行機?、、新幹線。。 ん~。 さらに二ヶ月前でパック物の殆どが満員。 どうする? 小さい子も多いし、車か。 車で主人の実家へ行っていたのはもう20年以上前の事だけど遠いよなぁ。 でも運転手は6人いるし。。 行こう!! 難航した計画は何とか落ち着いたけれど、やはり直前で長女一家の都合が悪くなってしまいました。 今更だけど。。仕方ない。 5月2日午後10時半。 ワゴン車2台。大人6人 幼児4人。 とにかく、西宮あたりを夜に通過すればあとは、問題ないでしょう。  途中、故障車渋滞などがあったものの、子供達は寝ているし、順調に進みました。  「玖珂サービスエリア」 5/3 4時。 岩国市のあたりです。  6時 関門海峡通過。 九州上陸~!!
6時10分 古賀サービスエリア。 それぞれに朝ごはん。    意外に駐車場が満員で、九州でもGW人が多いのかなぁ、帰省する人も多いのかな?と思ったものの、お昼前には、おばあちゃんちに着くよなぁ。。と わくわくとした気持ちいっぱいでした。 が。。。。 ここからが大変でした。車 殆ど動きません。1時間も2時間もそんな状態が続きます。 九州は渋滞しないなんて考えは甘かったのです。 ダラダラ ダラダラ。。 やがて 子供達も起きだして 酔ったり、泣き出したり。 運転手も睡魔が。。 とりあえずのパーキングに入ろうにも行列で入れない。。 「とにかく入れるところに入って、休憩を」と 悲痛な(?)LINE。  写真を撮る余裕もなかった「基山パーキング」 仮眠と、子供たちの気分転換と。。 ん~~ やっぱりGW初日だもんなぁ。。  予想外の渋滞で 北熊本パーキング12時。 御昼御飯は、義両親と一緒に、なんて思っていたけれどまだこの先どうなるやら。 二階レストランが空いていて、やっとゆっくりと全員座っての食事。   「スイカの名産地~♪」の音楽を流してスイカを売っておられました。 熊本の声を聞けば、すぐそこのような気がしたけれど、この先も長い、いやいや疲れているから長かったのかも。  主人の実家に無事着いたのは 14時30分。 大津を出てから16時間。 30年25年前 中国道しかなかった頃、部分開通しかしてなかった頃と同じ位の時間がかかってしまいました。 いやいや~~ この道のりはなかなか大変でした。。 男性運転手陣は仮眠。子供達は庭を走り回って生気を取り戻したのでした。
義父90歳、義母86歳。 義父は二年前に体調を崩し元気になっていたものの、3月に二度目の手術を受けました。 義母も精神的に不安定な時があり、一度帰省しないといけないなぁと思っていました。 そんな時、娘たちが「一度みんなで九州のおばあちゃんとこ行こう!!」と言い出し計画を進めました。 5/3 主人の実家到着。 敷地が広いだけが取り得の田舎。孫達は思いっきり走り回っていました。
 昔は牛小屋や作業小屋がいくつもありましたが、今はそのほとんどが取り壊され、住居と、納屋がひとつ残っているだけ。  でもゆったりした環境の中、義両親は仲良く元気に暮らしていました。 娘家族と別行動になった夜、義父は「焼肉が食べたい」と。。  そのあと「珈琲飲みに行こう」と。。  いえいえ、珈琲でなく、抹茶パフェを夫婦揃って注文。 そして それをペロリとたいらげ、「おいしかったぁ~」と。。。。。。 おとうさん、おかあさん。元気やん。 良かったぁ。。 本当は体調崩している時に来てお手伝いしてあげないといけなかったなぁ。 元気になってからなんて、申し訳なかったなぁ。。 お布団を干して、お土産のお赤飯一升も炊いて、お漬物梅干をそれぞれに用意してくれて、結婚した頃から変わらないおかあさん。 若さゆえ、感謝の気持ちも持てずいたあの頃の自分を今更恥じてみたり。。 悪い嫁、実は15年も帰省していませんでした。 15年の月日は、やはり町の様子を変えていましたが、変わらず元気で居てくれました。 「今度は 100歳のお祝いしようね~」と三女が言っています。
一人旅。 ローカル鉄道旅。 そんな私が、この連休は娘家族2組と、主人とのワゴン車10人旅。 目的は、主人の両親に会いに行く事でしたが、道中や迎えてくれた親戚との楽しい時間がいっぱいでした。  みんな元気で集まれた幸せに感謝しています。 今回の旅のお話 また少しずつ紹介させていただきます。
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