カトリック津和野教会近くにある 「分銅屋七左衛門」
建築物そのものよりも、重厚なタイルが前面に出ていて、その形が柔らかい事に目が行きました。


分銅屋さんの歴史は古く元禄10年(1697)の津和野藩の地図面に現在と同じ形の屋敷が記載されているのだそうです。
母屋は寛永6年(1853)の大火直後、普請で建設され 江戸時代の町屋の様式を保っていて国の登録文化財となっています。
予約制で見学できるようです。
江戸時代の町屋というのは珍しく 機会があれば見学してみたいものです。
分銅屋七左衛門本店 (津和野観光協会)
津和野観光のメインストリート。 殿町通と本町通の境界は津和野カトリック教会あたりでしょうか。
地図でみると、「中央新報津和野支局」は 本町通にあります。
津和野の町をぶらぶら、していると意外に
近代建築をちらほらと見かける事が出来ます。

「山陰中央新報津和野支局」の看板が上がっていますが、その機能が現在も続いているのかは、建物の様子からはわかりませんでした。
昭和5年建築、昭和9年建築のふたつの節があります。
「旧布施時計店」
正確に時を刻む、時計屋さんらしいデザインです。
津和野観光のメインストリート 殿町通にある「津和野カトリック教会」

昭和6年建築

近頃は、結婚式場に隣接して新しく教会が建てらる事が多いのですが、さすが90年近くの歴史ある教会は風格が違います。

そぅっと中に入ってみるとそこは、畳敷。
京都府宮津市の「カトリック宮津教会」に、何年か前の暑い夏に訪れた記憶がすぐに蘇りました。
宮津教会は撮影禁止だったので、「もしや?」と辺りを確認しましたが、特に貼紙もなく写真を撮りました。


ステンドグラスが美しい、そこから降り注ぐ朝の光が美しい。
教会の小部屋に「乙女峠」についての展示がありました。
「乙女峠」からの連想は「野麦峠」 女工哀史の歴史があるのかと思いましたが、津和野では幕末から明治にかけキリシタンの迫害の歴史があり、乙女峠にリシタン殉教史跡であるマリア聖堂がひっそりと佇んでいます。


津和野カトリック教会の裏手にあると案内がありましたが、時間の関係で展示物をしっかりと見せて頂くだけにしました。
昭和が潜んでいる納屋橋界隈を歩いてて見つけたもの。

枯れ草が絡まっています。



熱帯木のようなものが建物の周囲に植えられているというのも都会の谷間にあって面白い風景。
果たしてこの建物は使われているのかどうか。。
写真に写っていない側面は案外綺麗なのでした。

今回の名古屋の旅、一日目は
近代建築を見る事が目的。 思っていたより移動距離が長く、疲れを感じ始めた頃に出会った「加藤商会ビル」 出会ったことが一番うれしかった建築です。
私が好きなのは、丁度これくらいの大きさで、会社関係のものがいい。
このビルについて多くのサイトを閲覧させて頂きましたが、歴史的背景が一番良くわかるのはこちらでした。
→ 登録文化財 加藤商会ビル
堀川の袂に佇む「加藤商会ビル」
1931年(昭和6年)建築。


正面がアール(R)角。 煉瓦タイル貼。
縦長窓。
主張しすぎない装飾。
いい色合い、いい形。
何時間も眺めていたくなる。。





昭和6年頃加藤商会(貿易商)が社屋として建築
昭和10年頃建物にシャム国(現タイ王国)領事館が置かれる
昭和42年加藤商会から中埜産業㈱に売却
平成12年中埜産業㈱から名古屋市に建物寄附
平成13年国の登録有形文化財に登録
(名古屋 歴まちネット より抜粋)現在一階にはタイレストランが入っています。
次回はランチ時お邪魔させて頂いて内部を是非見せて頂きたいと思っています。
広小路通にはいくつかの
近代建築があります。
「旧名古屋銀行本店ビル(旧中央信託銀行株式会社名古屋支店)」

1926年(昭和元年建築)
縦に伸びる柱が重厚感を出しています。 コリント式列柱というそうです。
「三井住友銀行名古屋支店」


1935年(昭和10年)建築
こちらも縦の渦巻き列柱が重厚感を醸し出しています。
住友銀行名古屋支店
近代建築もしくは、低層階部分のみ残しての増築かと思えますが、実は1998年に 旧建築のイメージを継承しながら建築されたそうです。

「栄」と呼ばれている名古屋で一番の繁華街にある「中日ビル」
重厚な昭和建築だと思い写真を撮りました。
自宅に帰ったあと、旅の報告を友達として教えてもらった、このビルの解体。
→
「中日ビルの建て替えについて (中日新聞からのお知らせ)」中日ビルの地下二階 地上三階は飲食店や店舗、10.11.12階は中日劇場になっているそうです。
屋上部分にあるまぁるいものは回転レストランだったそうです。
私はそうとは知らず写真を撮るにとどまってしまいましたが、多くの人が足を運び、多くに人に感動を与えただろう場所が、消えゆくとゆうことは、とても寂しいことです。
この目で見る事が出来たことに感謝です。
名古屋市では歴史的な遺産の宝庫ともいえる名古屋城から徳川園に至る地区一帯を「文化のみち」として育んでおられます。
プリントアウトをしたマップ片手に歩きましたが、残念ながら休館日の月曜日。
もっとも、界隈の
近代建築は普段も公開されていないものが多く、大々的なイベントは「歩こう!! 文化のみち」とが毎年11月に開催されています。



文化の道 「二葉館 旧川上貞奴邸 (移築復元)」
日本の女優第一号として名をはせた川上貞奴と電力王と言われた福沢桃介が共に暮らした家です。
休館日で残念ながら内部見学は出来ませんでしたが、それはそれは見事なステンドグラス。螺旋階段を備えています。
「旧春田鉄次郎邸」
道路に面して和風塀が続く奥には洋館と和風建築。

ん? ここは高級レストラン?



陶磁器貿易商として成功し、太洋商工株式会社を設立した春田鉄次郎が武田五一に依頼し建てたと言われています。春田邸は、洋館と奥にある和館で構成されており、昭和22年から26年まで米軍第五航空隊司令部により一時接収されました。現在は、洋館部分が創作フランス料理のレストランとして使用されています。
こちらも休館日。
折角ここまで来て勿体ないことです。
「主税町長屋門」
典型的な武家屋敷門(長屋門)です
江戸時代の門が当時の位置のまま修復保存されているということで、江戸時代を思い描くにありがたい存在です。



「カトリック主税町教会」
礼拝堂:明治37年(1904)/司祭館:昭和5年(1930)建築
名古屋・岐阜地方に初めてカトリックの教えを広めた井上秀斎がテュルパン神父と共に造った教会。名古屋・岐阜地方のカトリック教伝道の歴史の上で非常に重要な意味を持っています。伊勢湾台風後、入口と外陣両側が増築されたため、側廊ができ、三廊式となりました。礼拝堂正面の3連アーチが優美。鐘楼(復元)の鐘は百年前の仏製。


門がしっかり閉められているのは 「旧豊田佐助邸」
発明王として知られる豊田佐吉の弟である佐助が住んでいた邸宅 大正12年(1923年)建築
右側が白いタイルが印象的な洋館で1階の蓮のつぼみの形の照明や鶴にトヨタの文字をデザインした換気口などが見所です。左側が広い間取りの和館になっています。


おとぎ話にでも出てくるようなこの建物はなんでしょ。
明治43年(1901年)建設という古いたたずまいを残すお屋敷。特に有名人の邸宅ではないというのがまたすごいこと。
現在は結婚式場の百花籠の建物、200m進んだ左手に料亭香楽。

「文化のみち」と称されているだけあって、たくさんの
近代建築が並んでいるのがこの地域です。
今回 月曜日ということと、下調べの甘さでしっかりし見る事が出来ずに残念でしたが、次回は、こちらのサイトを参考に歩かせて頂こうと思っています。
→
名古屋市東区:白壁コース
名古屋の中心部に近いながらも落ち着きのある通り、お似合いの場所にこの建物は佇んでいます。


名古屋陶磁器会館。
名古屋陶磁器貿易商工同業組合事務所として 1932年(昭和7年)に竣工されました。
三階の前方部分が増築であることは、はっきりとわかりますが、それでも1942年(昭和21年)の増築です。

建物左側は現在駐車場となっています。
大洋ビルの横に並んでいる「日本陶磁器センター」

(再掲 右の茶色の建物が日本陶磁器センター)
1958年建築。


横に隙間なく並ぶガラス窓と、赤茶色の横ラインが綺麗です。

横面、裏側はどうなっているのかと周辺を歩いていると ん? 日本陶磁器センターの横面?


随分雰囲気が違っています。
三枚硝子の縦長窓 丸窓。




実は、こちら旧館。1937年(昭和12年)建築。
道路拡張のため、1957年(昭和32年)に曳家で現在地に移転。
移転後、この建物の前に新館が建てられました。
そのため、旧館の前面が見えなくなってしまっているのです。
多くの
近代建築を見てましたが、珍しい例です。
名鉄乗車のため、2017年9月11月と続けて東海・名古屋方面へ行ったのですが、さらに興味あるところが増え、三たび12月に名古屋へ行きました。

2017.12.18 京都駅ビルにクリスマスツリーが聳える季節の出発でした。

今回もリーズナブルで便利な高速バスの利用。
名古屋が随分近くなった気がします。
気になったのは名古屋の
近代建築。
駅の近くに多くの
近代建築があると気がつきました。
一ヵ月半前の事なのに計画書を見ないと行程がわからないのは歳のせい?(笑)
名鉄名古屋で下車したあと、地下鉄「高岳駅」で下車。
近代建築ふたつ。 歩道橋から眺めます。
大都市の
近代建築というのはやはり大きい。





1931(昭和6)年竣工です。


近代建築ファンの方はその魅力の所以を建築用語を使って表現されるのですが、私の場合ただ、自分の感性でながめるにとどまります。。 懐かしい。。 美しい。。
「東名古屋港駅」 多くの終着駅のような車止めはありません。
線路はまだ先へと続きます。 そしてそれは決して廃線跡ではなく、現役の不定期貨物路線として機能しています。
駅前は交通量が多く、陸橋を利用して横断。その陸橋の名標がまた味があるもので私の心をそそります。


先へと続く線路に沿って道路があります。






この車達は駐車しているものではなく、船でどこか遠くの国に運ばれるもののようです。

うーん。海は見えてきたけれど、線路にフェンス。




グーグルアースで確認すると、岸壁ぎりぎりまで線路は続いています。

東名古屋港駅から西へと歩いている途中に見かけたこの建物。
ただものじゃない、立派な
近代建築のはず。。と気になりました。
名古屋航空宇宙システム製作所大江工場 (旧三菱重工業名古屋航空製作所)
昭和11年(1936年)建築 ゼロ戦はここから誕生したそうです。
もう少し近づいて、見てくれば良かった
近代建築です。

あ、中に入れる。
今日の予定は、瀬戸線旧線巡りでもなく、大須商店街だったけれど。。
煉瓦の
近代建築が好きなので、ふらふらと吸い込まれるように入っていきます。

外観も素晴らしいけれど、内部もこれまたたまらなく素晴らしい。
まるで 海外の映画に出てきそうな雰囲気。
実際、映画のロケ・テレビ撮影に使われる事も多いようです。
正面はステンだグラスです。
建物内部 あちらこちらに見事なステンドグラスがあるのですが、小走りに見て回ったので見落としたものが多数あります。



立派な階段から玄関部分を見てもその姿は美しい。




玄関支柱に至っても細かい細工がされています。
ここは再訪すべき
近代建築。
所要1時間といったところでしょうか。
瀬戸線の旧線をたどろうとキョロキョロしていると、今度は煉瓦建築の建物が目に入りました。

うわぁ、今度はもっと大物のよう。
素通りするわけにいかず、近づいて行きました。



間口は何メートルあるのでしょう。
とても全体像をカメラに収めることはできません。
こんな大きな煉瓦建築は見た事ないような気がします。
大正11年(1922年)に名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎として建設されて以来、昭和54年(1979年)に名古屋高等・地方裁判所が中区三の丸一丁目に移転するまでの60年近い間、中部地方の司法の中心としての役割を果たしてきました。
名古屋鉄道瀬戸線東大手駅で下車して廃線跡をさがしはじめた時に見えた
近代建築。
なんだろう?
暫く鳴りをひそめていた
近代建築への興味に火がついたのはこの時。
そういえば、名古屋にはたくさんの
近代建築があり、いつか訪れたいと思いつつも、鉄道の方への気持ちが強くなり忘れていた事を思い出しました。
県庁? 市役所?



立派な時計塔。屋根の部分は名古屋城を意識したものだそうです。
もっと近くから撮るか望遠をきかせればよかったのですが、屋根部分には「鯱(しゃち)」を載せています。
1933年(昭和8年)竣工
平林金吾 名古屋市営繕課設計
よくよく調べてみれば、この近辺にかなり大物の
近代建築がたくさんあります。
近くて遠い名古屋 今度は
近代建築めぐりに行きたくなりました。

大正3年(1914年)建築 平成13年修復
「旧第百三十銀行行橋支店」
現在の行橋の町の中心からは少しだけはずれて、長狭川のほとりの細い道沿いに佇んでいます。

ひいて見ることができない位置にあるので気がつきにくいのですが、セセッション風のデザインが見事です。
直方の町歩きを終えて、駅へ戻ろうと線路沿いを歩いていると、面白そうな場所発見。


線路右手に、いい形の建物が見えています。
道なりに歩けば、目の前に蒸気機関車と記念館が見えてきました。



1941年頃に建築された医院建築、1989年に改修されています。

直方谷尾美術館収納庫
大正4年(1915年)に建てられた豪華な町屋建築「旧篠原邸」。当初は、旅館だったようですが、その後、篠原家の所有となり、米屋として活用されました。
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殿町薬局のように見えますが、画面右切れかけている「江浦耳鼻科医院」 明治34年建築だと言うのに、肝心の玄関部分も見落としてきました。


時代を感じる建築物が点在しています。

取り壊されている建物はなんでしょう?
今回歩いていて、更地になっている場所、ビニールシートのかかっている建物を多く見かけました。
駅前開発などの手が入らないことをのぞみます。
こちらも、商店街の角にあった気になる建物。
コーナーの造りとタイルが綺麗で写真におさめてきました。
昭和初期に建てられた木造建築です。



検索すると、コーナーに続く部分に菱形窓、縦長窓があり
近代建築らしさが漂っています。
近代建築を見る目は、まだまだです。。