今日のお昼ごはんはなんだったかなぁ? 食べてないような気がします。 一日 興味のまま歩こうとすると時間が惜しい。 夜もホテルでコンビニ弁当で済ませることが多いのですが、宿泊先の近くにリーズナブルな名物があればお店で頂くことにしています。    どうやら、豊橋ではカレーうどんが名物らしい。
 結構有名なお店のようです。   ノーマルタイプです。  うずらの卵と、カラりと揚がった天婦羅が魅力。  ふむふむ。。 カレーうどんを 食べ終わると。。「御飯」出てきました。  とろとろ御飯とカレー これまた合います。 御飯を少しほぐしてからの方が良かったかなぁ。 おうどんと、ごはんが楽しめるカレー。得した気分でした。 こうして、豊橋での一日は終わりました。 翌日は飯田線秘境駅号に乗るために移動と途中下車。 前後しましたが、こちらへと続きます。 → JR東海飯田線 豊橋駅~天竜峡駅 (愛知県 静岡県 長野県)
豊橋鉄道東田本線(市内線)      一番気に入った車両です。 大好きなチョコレート菓子の一つだということも勿論ありますが、このデザインにインパクトを感じました。 ブラックサンダーの本社・工場が豊橋にあり 豊橋の銘菓にもなっているということは、今回の旅ではじめてしったのですが、動く看板が町を走っているなんて思いもしませんでした。 車両全体を遠くから見たかったのですが、タイミングが合いませんでした。 豊橋には限定ブラックサンダーも扱っている直売所があるそうです。
  もう一つの終着「赤岩口停留所」 停留所の先の線路が気になります。
 またもや、唐突に終わっています。  終っている方向から見るとこんな風で、まるで線路などないように道路に同化してしまっています。 もうひとつの線路は豊橋鉄道の車庫へと続きます。     車庫を出た電車は、先ほどの真っすぐ伸びる線路を走り、スイッチバックする形で、停留所に入ってきます。 さて、東田本線で豊橋駅に戻りましょう。 
 豊橋鉄道東田本線は、井原停留所で 運動公園前停留所と赤岩口停留所行きに分かれます。 
 日本の鉄道線路の中で最も急なカーブを「運動公園前停留所」に向かって走る電車です。 運動公園前停留所  路面電車でありながらも、終着駅。 土佐くろしお鉄道の伊野駅では、正面が民家で行き止まりという形でしたが、豊橋鉄道東田本線、唐突に線路が途切れて横断歩道とは。 車止めがなくても、電車は行き過ぎたりしないのかと心配になります。
駅前停留所から17分で「競輪場前停留所」  ここから先は単線となります。
 線路が道路を横切っています。 線路の先を見届けなければ気がすまない私は早速追ってみますが、すぐに行き止まり。   右側の建物は市内線(東田本線)の営業所。 ここは、留置線で朝夕には 競輪場停留場前発着の電車が何本かあります。 道路脇に留置線を設けることができるのは、路面電車ならではでしょう。   駅前方向へと走る電車。   運動公園前への電車の後ろには、ここ「競輪場前」止まりの電車が続いています。
豊橋鉄道東田本線 東田停留所の近くに 「東田園」という戦後の遊郭跡があると聞き、歩いてみました。   ごく普通の、静かな住宅街が続きますが、このような破風造りの玄関を持つ建物は、その名残でしょうか。
豊橋で見たかった 近代建築のひとつ。 豊橋市公会堂から豊橋公園の方に3分程歩いたところにありました。 豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬大聖堂大正2年(1913)建築 河村伊蔵設計   これが木造建築と言いますから、驚き、木造もいろんなバリエーションが可能なのです。
幼い頃、京都の町で市電の走る姿を見てきたせいでしょうか。 「路面電車」が好きです。人の生活にそのまま密着している電車。生活と電車が融合しています。 今まで、多くの路面電車に乗りました。 伊予鉄道(松山市) とさでん(高知県) 広電(広島県) 都電荒川線(東京都) 岡山電気鉄道(岡山市) 阪堺電車(大阪府) 熊本市交通局(熊本市) 長崎電気軌道(長崎市) 福井鉄道(福井市) 富山地方鉄道 富山ライトレール 万葉線(富山県) 札幌ではまだ鉄道に目覚める前に乗った事あるので、一度も乗車したことないものと言えば、鹿児島と函館と豊橋鉄道。 近いのに遠い豊橋。 やっと乗車する日がやってきました。 渥美線東田本線が路面電車。JR豊橋駅前に電停はあります。 始発駅 「駅前」を出た電車はしばらく直進したあと、右折すると、そこはメインストリート。 市役所前駅で下車します。    すぐ左手には堂々の洋風建築。 「豊橋市公会堂」昭和6年8月24日開設 中村興資平設計 
    導かれるように伸びる幅の広い大階段。 ここを登る時は、緊張した面持ちになります。 玄関両脇に立つ二つの柱は階段室となっていてドーム頂上までの高さは、16m。 ドーム横には四羽の鷲が羽を休めています。 ドーム下にバルコニーがありますが、時にはそこに立ち、豊橋の町を見渡す事もできるのでしょうか? 細部にまで渡る細かな装飾が、建築当初の意気込みを感じさせます。  後ろから見ても、美しい姿でした。 「見学ご希望の方は事務所までお越しください」との貼紙を見て、事務所までの道すがら撮った画像。    残念ながら 今日は催しがあるので見学はできないとのお返事を頂きました。。 きっと細部まで見られる見学会の日もあったりするのでしょうが、うまくタイミングが合えば、行きたいです。 
豊橋鉄道では、渥美半島に咲く10種類の花をデザインした車両が、渥美線を駆け抜けています。 私が乗った車両の中で、一番 統一性を感じたのは「菜の花」 線路の両脇を彩る黄色い菜の花は目が覚めるような美しさで、渥美半島でもきっとご自慢の花なのでしょう。   
 ない!! ない!! 駅舎がない!!   バリアフリー化されたホームの後ろは、綺麗に整地された広場だけ。。 何度あたりを見回してもなーんにもない。。 そんなぁ。。
古い駅舎が少ない豊橋鉄道の中で唯一、渋すぎる駅舎が「柳生橋駅」。今回の旅の楽しみのひとつでした。 ところが、ありませんでした。 平成24年 駅舎と旧本社ビルは解体されました。 今から5年前かぁ。。 遅かった。。 古い駅舎を追いかけていますが、何度もこういう事は経験しました。 古い駅舎は一日でも早く見に行くべきものなのです。 柳生橋駅はかつて、市内線への乗換駅でもあり貨物ホームもあったと言いますから主要駅のひとつとして、立派な駅舎があったのでしょう。 思わず、同じ趣味のぷにょさんにラインをして、残念な思いを分かち合いました。 ぷにょさんが訪問された時の記事です。 → 遊郭跡と柳生橋駅
小池駅で降りたもう一つの目的。 遊郭跡を見る事。 旧陸軍第15師団長官舎とは、線路を挟んで反対方向に歩きます。 先ほどと違いこちら側には、大きな道路が通り 道路に沿ってお店がポツポツとあります。  
地図を片手に住宅街を歩いていると。。 ん~ このあたりかなぁ。     窓枠、破風 消えかかった「秀の家」の文字、しめ縄。何やら、怪しげな雰囲気が漂っています。 壁の色は薄朱色になっていますが、みなさんのブログで見た時はもっと濃く、他の建物との違い異彩を放っていました。 この建物も遊郭跡らしい。 少し前のブログを見せて頂くと、名前まで書かれていたりするのですが、どうやら今は営業しておられない。。というか、使用されていないようです。       塀の続きの壁がこんな模様になっている建物もありました。  周りは、新しい住宅が多く、キャッチボールをしている親子がいたりします。 一角だけ。。ひっそりと 残る不思議な空間でした。
愛知大学前から800mの距離にある「小池駅」 愛知大学前駅が休止していた1944年~1968年は、愛知大学の関係者は 小池駅を利用していました。   豊橋鉄道の駅舎・ホームには、趣のあるものは特に存在していません。 せめてホームの上屋にでも懐かしさがあればいいのに。。なんて先入観でここで降りたので、写真がありません。 ん、それでもきちんと駅を撮るべきだったと後悔。
小池駅に下車した目的のひとつは、愛知大学と同じく、「旧陸軍第15師団長官舎」。 ところが、地図片手に歩き回ったけれど、なかなか見つからない。。 実はちょっと高台にあるため見失っていたのでした。 しかも、フェンスに囲まれて建物の全様を見る事も出来ず。。 遠巻きでの写真のみとなりました。    年に何度かの公開日があるようです。 しっかり管理された、立派な建物である証です。 存在を確認できただけで満足です。
「機銃廠」銃が保管されていた場所なのでしょう。   明治41年(1908)竣工。 一部手は加えられていますが、今も現役で使用されているようです。
「養生舎」   こちらは、かなり手が加えられているのですが、縦長窓、屋根の形状から現在の建物ではないことを感じます。 愛知大学キャンパス内には、旧陸軍第15師団 当時の名残が多くありました。 全国的にも、こういった遺構がどんどん消えているのでなんとか、いつまでも残っていてほしいと思います。
明治41年(1908)旧陸軍第十五師団司令部として建立された建物は、正門 正面に威風堂々と今もなお鎮座しています。 戦後まもない昭和21年(1946)その跡地にに創立したのが、東亜同文大学で、愛知大学の前身となりました。 現在 司令部だった建物は記念センターとして綺麗に使われています。 建物外観を遠巻きに写していると「どうぞ~~ おいりください」と女性の方が声をかけてくださいました。 まさか、建物内部に入れるとは思っていなかったので嬉しいお声かけです♪ 
駅名とまでなっている「愛知大学」 新学期、入学式前ということで 満開の桜の下、クラブ勧誘などで賑わっていました。   向学心いっぱい、期待と不安いっぱいで賑わうキャンパスは、明治の時代からの歴史を持っています。 明治40年(1907)第15師団として開校 大正14年(1925)廃止 昭和2年(1927)豊橋陸軍教護学校解説 昭和14年(1939)豊橋予備士官学校開設 昭和21年(1946)愛知大学設立(東亜同文書院前身) そのため、随所に明治の頃からの名残があり、それを見るためにここでの下車となりました。  私の近隣では、伏見の聖母女学院のも 第16師団の敷地の払い下げを受けたもので 本館は本館は司令部庁舎の建物を継承しています。 関西では多くの近代建築を見たはずなのですが、聖母女学院は 一度 見学に行きたいと思いつつそのままになってしまっています。
 地図<2>番 正門   地図<9>番 塀 教護学校時代のものです。  地図<16>番 歩兵第六十部隊正門 現在は愛知大学の通用門となっています。  現在の構内図です。  さて、これから敷地内を歩いてみます。
豊橋鉄道渥美線 三河田原駅から一路、豊橋方向へ。 豊橋駅の三つ手前の駅です。   2005年にホーム改装という、ホームだけの簡易な綺麗な駅で、駅名どおり大学生のための駅という雰囲気が漂っています。
駅の前には、国道259号(田原街道)が線路に並行して走っています   昭和ファンとしては、目の前のビルが気になりましたが、市営住宅だそうで、窓一区画分が一軒なのでしょうか。 賑やかな写真屋さん、電車待ちをしていると必ず目に留まるのでお客さんもそこそこいらっしゃるのかもしれません。  線路に沿った歩道を歩けば、愛知大学正門。 踏切の向こうにあるのが、面白い風景ですが、駅の出入り口はホーム端にあるのであまり使われていないようです。  
今まで訪れてきた終着駅のような、寂しさがまったく感じれないのは、南への移動だからでしょうか。 大きな道路が駅前に控えているからなのでしょうか。 駅が新しいからかもしれません。。 あ、私の場合 特にそれがあるかもしれません。 それでも、人の住む町らしさを探して歩いてみました。 
   駅前は随分と開発されてしまったのかもしれません。 その昔、この町はどんな町だったのか気になります。 長年渥美半島で親しまれているパン屋さん 実はここを探して歩いていました。 香ばしいパンの香がする方向へふらふら。。。    おいしそうなパンがたくさーん並んでいましたが。。 塩パンとラムレーズンパンを買いました。 そして駅前のベンチに座りお昼ごはんです♪ 旅の醍醐味。 
愛知県内の鉄道駅では最南端に位置する駅です。 
  2013.10月完成という新駅舎は、大きくうまくカメラに収まりません。  駅前広場も同時に整備竣工されたのでしょう。 1944年まではこの先、黒川原駅まで線路が伸びてましたが、第二次世界大戦による資材転用のため、レールが撤去により営業休止。 1954年廃止。 旧駅舎時には、線路が伸びていたようです。 また、。。少し来るのが遅かったかなぁ。 
鉄道に興味を持ち始めた時から、ずっと気になっていた「近いで遠い、遠いようで近い」 豊橋鉄道。 まずは、渥美線 始発の新豊橋駅から終点の三河田原駅まで一気に駆け抜けます。  JRの豊橋駅から、豊橋鉄道渥美線「新豊橋駅」までは連絡通路で移動します。    新豊橋駅を出て、しばらくJRと併走したあと、クロスして南西方向へと進みます。
豊橋駅は平成8年に橋上駅となり東西連絡通路が綺麗に通っています。   頭上になびく、カラフルな旗が気分をポップにしてくれます。   観光客をも優しく迎えてくれます。 この地が、どういう地なのか、最初に感じ取れるのがこういったものです。
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