 上諏訪駅の連絡橋から見えた、大きな建物が解体されたような様子。  上諏訪駅の正面に見える、フェンスの中の姿です。   1965年開店 2011年に閉店した、「まるみつ百貨店」 暫くそのままの状態でしたが、今年 解体されたようです。
  駅前の「Suwa Plaza」は、1979年開業の商業ビルでしたが、こちらも2011年に閉店。間もなく解体されるようです。 ガラス貼のビルは、大きく駅前に堂々と建っています。   今や、郊外型のショッピングセンターが主流の時代。 百貨店、商業ビルが次々と解体されれば、町の様子はすっかり変わります。 「再開発」   今度訪れるとき、駅前はどのような姿になっているのでしょう? せめて、ずらりと並んでいた小さな近代建築は、町の歴史を伝え続けるものとしても残っていてほしいものです。
普通なら、上諏訪駅東口(霧が峰口)をスタートして町歩きをするのでしょうが、ホテルの関係で西口をスタート地点にした上に、元路地のような所からスタートしたもので、メイン道路が最後になりました。 歩き始めてびっくり。 これでもか、これでもかと、商業建築の 近代建築が並んでいるのにびっくり。 駅前の国道にこんな風に並んでいるのは江ノ電の、鎌倉駅~長谷駅と、神奈川県の国府津駅前 だなぁなんて思い出しながら歩きます。 いゃぁ。。 これなら昨日 上諏訪駅に着いてすぐ歩いたら良かった。 でも 時すでに遅し。 電車の出発時間が迫っています。 
朝。 窓を開けて目の前に広がった景色は、まるで大津の町のよう。 三井寺観音堂あたりからの景色にそっくりでした。  建ち並ぶ建築物の向こうに湖と、山。 湖の上の空間が、町に、ゆとりを感じさせてくれるのです。 いつものように、一人旅のスタートは早く、6時過ぎ。  ゆったりとした駐車場 かつて貨物取り扱い駅だった名残を感じさせてくれます。
私の旅の目的はあくまで 鉄道・駅舎なので、 食にお金をかける事はしません。それでもどうせ 食べるのならご当地物がいいのに決まっています。 出かける前 B級グルメを調べていきますが、なかなか駅前で出会えることは少ないのが現実。実は道の駅に、ご当地グルメはたくさんあります。 でも今回は、駅前でみっけ。 「信州諏訪みそかつ丼」 
愛想のいいおばさんは、一人旅での飲 食のやり場のなさを助けてくれます。   みそかつ丼だけかとおもいきや、たくさんついています。 これは豪華。ちょっとした定 食でお得。 ソースカツとは違って、甘みのある濃いあじが絡んだカツは、御飯によくあいます。  野菜たっぷり、寒天添え。女性にも優しい丼です。 硬めのお豆腐は、 食べごたえがあり、冬瓜もおいしく味付けがされていました。   お酒も呑める、定 食屋さんということで、町の人、ビジネスマン で賑わっています。 隣席のスーツ姿の紳士方々は、なんやら近代建築のお話。 文科省に答申だの。。話しておられたから 近代建築の権威の方々なのでしょうか。 実は、ここ諏訪は近代建築の宝庫でもあります。 さて、宿に帰ろうとしたら、実は 宿泊している宿の一階部分のお店でした。。  あとで気づいたのですが、展望温泉もあったらしくって、もったない事しました。 リーズナブルで 飲 食店を探す事もなく静かで心地のいい宿でした。 
湖明館通を真っ直ぐ、湖岸通りをつっきるとそこは諏訪湖。 そして、かわいい形をした遊覧船がずらりと並んでいました。 いつか、ガイドブックや絵本で見て メルヘンチックな遊覧船に一度乗りたいと思いつつもそんな機会もなく、確か子供が小さい時に木兵庫県の東条湖ランドで乗った事があるけれど、突然のかわいい姿に心が緩みました。   
  とうに、乗船時間は過ぎ、人は誰もおられないし、ひっそりとしています。 お天気のいい日の休日等は家族連れや、カップルで賑わう場所なのでしょう。 我が琵琶湖にもこんな遊覧船があればいいのになぁと思ってみたけれど、日本一の大きさを誇る湖では、かわいい遊覧船に揺られている雰囲気ではないのです。 「琵琶湖」ってちよっと大きすぎるのかもなぁ。。    どこか、昭和の雰囲気が漂っていますが、SLが展示され、足湯や健康遊歩道もありのんびりと過ごせそうな素敵な場所です。   「静かな湖畔」です。 1人 日が沈むのも待つのもいいでしょう。 
上諏訪駅西口近くに予約していたホテルにチェックインしたあと、諏訪湖に向かって歩いてみました。   翌々日の7月25日は「市民まつり諏訪湖よてとこ」が ここをメインステージにして開催されるということで、準備万端。 諏訪湖に向かってまっすぐ伸びる「湖明館通」   赤い提灯がぶら下がっているのは、お祭だからなのか、普段からなのか、いずれにしても華やかで目に明るい。
「湖明館」? 近くに何か大きな建物でもありそう。 1906(明治39)年、地元の実業家金子兵助が諏訪湖畔に通じる道路を整備し、湖畔に金湖園湖明館を建設。館では客に茶や菓子が振る舞われ、湖ではボートやスケートで遊ぶことができたという。40(昭和15)年に廃館となったが、名前は通りに残った。明治時代の諏訪湖畔の金湖園湖明館への道。 多くの人が諏訪湖へ胸はずませ、この道を歩いたのでしょう。 75年の月日が流れても、昭和の雰囲気を色濃く残した商店が多く残り、この地を訪れるのが始めての私でも当時の様子が頭に浮かんでくるようです。       通りに溶け込むように小さな神社がありました。   京都伏見大社の分社だそうです。  「賀茂鶴今井商店」       この、洋館付住宅には、人の住んでいる様子がありません。 ふと、振り返ると、山が迫っていていい雰囲気。「賀茂鶴今井商店」さんには、煙突が見えました。     ここで湖畔の道路にでます。 大津の町に、こんな風にいい感じで琵琶湖に通じている道ってないよなぁ。。 穏やかに、静かに、庶民的、にまっすぐ琵琶湖に通じる道って。。大津にもあったのだろうか?。。。 夏の日の夕暮れ。 諏訪湖に向かって歩いた道は、とても気持ち良かったです。
  お正月では、ないけれど大きな注連縄が飾られていました。
  昭和の雰囲気を強く感じさせてくれる駅舎。 一日目の最終目的地でなければ、下車しなかっただろう駅舎ですが、好感の持てる駅舎でした。    天井からは、キラキラ光る風鈴がつりさげられていました。 最近、どうも駅の観察眼が甘くなってしまっているようです。 明るく広がりのある駅舎で壁、柱も綺麗なデザインだとは思いましたが、天井の傾斜と天窓に気づいていませんでした。 ウィキペディアからの借物画像です。  小駅舎ながら、なかなかの秀作です。  「霧ケ峰駅」「諏訪湖口」 綺麗な名称。  諏訪湖口から、霧が峰口への連絡通路からの眺め。 駅舎ぶぶんは、増築を重ねたのでしょうか。   ホームには足湯があります。   電車を眺めながら、ゆっくり足湯ですかぁ。。 いいですねぇ。。至福の時です。  ここは、私の住んでいる滋賀じゃないんだ。。 澄んだ空気 澄んだ水のある信州なんだぁ。。 遠くへ来たと実感できるものがつぎつぎ目に入ります。  「タケヤ味噌会館」ですか。 全国レベルのタケヤ味噌だけど、ここが本家なんですね。 そういや「信州タケヤ味噌」と言ってます。      東日本になじみがないからこそ、すべて新鮮。 
奈良井駅を出て、30分で「塩尻駅」です。 篠ノ井線・中央本線の分岐駅。JR東海・東日本の境界駅でもあるため、殆どの場合ここで乗換となります。  過去に何度乗り換えたか。。 はじめて塩尻駅というところを訪れた時は、駅に果物の直売所があると期待して売店でお尋ねしたのですが30分位歩かないと、発送してくれるような所はないと言われ、がっかりしたものです。 それほど、このあたりは鉄道というものは、重要視されていないのだという現実を見たような気がしました。 駅前もひっそりとしていて、やっと見つけたお蕎麦屋さんでの食事。 「遺跡そば幸楽」 静かな店内で落ち着いたおもてなし。 さらに毎年送られてくる年賀状。 なんとも気持ちのいいお店で、乗換の度食事をさせて頂きました。 → 一路 中央本線で自宅まで 駅の外に出てみて、すぐ、以前と違う空気を感じました。 こんな景色ではなかったはず。
   出口を間違えたかと、あちこち歩いてみましたが、駅横にあった幸楽さんも、ちょっとした喫茶店とお店の横丁も見当たらない。 再開発? 駅舎リニューアル? ぐるぐる回っていたから、駅全景を撮るのも忘れてしまいました。 2014年に駅舎は改装を終えられたそうです。 幸楽さんは、再開発を期に閉店されていたというのは、帰宅後ネットで知りました。 そういえば、年賀状も届いてなかった。。 遠く離れた場所でも、おなじみの風景が消え、行きつけのお店がなくなっているというのは寂しいものです。 離れているからこそ、心で温めているイメージがあります。 時代の波は仕方ないけれど。 信州を思わせる看板がたくさん目につきました。        ガラスブロックの葡萄柄の待合室は以前から変わりなくあるような気がします。  さて、あと ひといきです。 
 奈良井駅の改札を出て、右 北東方向になどらかに伸びる道路は旧中山道。 カーブがやっぱり 街道だなぁと、嬉しくなります。 駅の目の前は、お蕎麦屋さん。  木曽漆器も有名なようです。
   東海道と違い、中山道はいまもなお、山あいを縫うように続いています。 中山道歩き。 やりたい事のひとつです。
奈良井診療所のあるあたりから、すこ~しだけ東へ向かうと、駐車場への案内板があり、向こうに線路が見通せます。 中山道奈良井宿と、中央本線との距離はこんなにも近いのです。    私が足を向けないわけがありません。。
 風格ある古い和風建築が軒を並べる、中山道の中にポツリとある、これまた重厚な洋館。  昭和初期の建築で「奈良井診療所」として活躍してきましたが、現在は空家になってしまっているそうです。
 葉っぱの上に、まぁるい黒い粒が。 虫でものってるのかと、そぅ~と。。近づくと黒豆のようなものが、ちょこんとくっついているのです。 何これ?
お花の好きな人なら、きっとご存知なのでしょう。   初夏に咲く花は、小さな花がの集まりのよう。 葉っぱからしても、紫陽花の仲間かなぁ。。  「はないかだ」 なんとも素敵な名前です。 家で育てられるかなぁ。 可憐な、小さな花が好きです。 
 本場で頂く、五平餅がこんなにも、おいしいとは。。感動的でした。 粒粒が気持ちいい食感として口の中にひろがり、甘味のきいたタレがそれに絡みます。 まるで、グルメ評論家のようでず、本当においしいものに出会った時は、自然とこんな言葉が出てくるものです。 五平餅ってこんなにおいしいんだぁ。。 どこかの屋台で食べたものは、粘りがありすぎたような気がします。 以前、高山で食べた、みたらし団子も忘れられないおいしさでした。 さらっとした食感と、タレの絡み。 あれはもう10年以上前になるでしょうか。 中津川の駅で「五平餅のタレ」というのをみかけて、わざわざ専用のタレなんて。。と思いましが、この地の人々には「タレ」にこだわりがあるのでしょう。 「さくら湯」のほどよい塩辛さが、五平餅の味をまた引き出してくれました。
奈良井宿には、たくさんの食べ物やさんがあります。 やっぱりお蕎麦が多いけれど、お昼御飯は電車の中でおにぎりを食べてしまいました。 よしずのかかった落ち着いたこちらで、「五平餅とさくら湯」     雨降りの平日だからひっそりとしているのでしょう。たくさんの色紙が掲げられていました。 有名なお店なのかなぁ。    そうなんです、折たたみの傘って、傘立に立たなくって困るとき多いのです。 小さな心づかいから、お店の方の心が見えてきました。
中山道「奈良井宿」 街道好きなら知らないわけはありません。 でも、まさか駅からこんなに近いとは思っていませんでした。 駅を出たところが中山道。奈良井宿です。   
JR東海の中では、最も標高が高い位置にある「奈良井駅」 旧中山道の「奈良井宿」は、歩いてすぐのところです。 
中央線に始めて乗ったのは、子供の手がやって離れて自分の時間が出来た頃 2006年。 身延線に乗り、清里ってところまで行った帰りでした。 日本の中央の山の中を走る路線ってこんな景色なんだぁ。。とものめずらしくキョロキョロ。 私の最寄駅から関東とを結ぶのは、東海道本線か中央線。 旅情を味わえるのはなんたって中央線で、わざわざ中央線を選ぶこと、しばしばです。 昨日、東海地方は大雨でした。 最近はどうしてなのか、旅に出ると雨、雨、雨。 あの頃より、日頃の行いが悪くなったのでしょう。。(笑) 中津川駅を出ると、濁流の木曽川が見えてきました。   此処は、「中仙道」 鉄道、道路というのは、ほぼほぼ 昔の街道に沿って作られています。 だからでしょう、「街道」にも非常に興味があります。
  このあたりは、確か、岩肌が綺麗に見えている釣り人が多い場所のはずです。 ここは、「木曽」 長距離列車に揺られている時、駅名標も、旅情を感じさせてくれる大切なものです。  眼下に見下ろす木曽川。  おや? かわいい列車があります。木材運搬車かなぁ。    此処は、貨物ホームだったのでしょうか。  ホーム脇には   まもなく「奈良井」です。 
青春18切符を使うのは、久しぶりです。 高速夜行バスを使って、あまり移動せず現地滞在型にしたり、私鉄型にしたり。 JRのお得切符を使って、特急を駆使した旅をしたり。 でも、夏は「乗り鉄」に限ります。暑さに弱く、下車して町を歩く元気などありません。流れる景色を列車の中から見ているのが一番です。 夏の最高の過ごし方です。 さてどこへ行きましょう?  朝は早くから行動しないと勿体無いです。   東へ東へ  ここからは、中央線。
米原・大垣・名古屋での乗継時間は15分程度でしたが、中津川駅では50分の待ち時間があります。 中央線を利用すると、中津川駅での乗換えが殆どで、何度か下車しているのですが、その都度 やはり見る目が違っています。 前回訪問記事 → 中央本線 「中津川駅」 -2012夏の青春18切符は乗鉄で- (岐阜県中津川市)この夏も乗り鉄だったんですね。   降りてすぐ左横の特産館がかなり大きく目立ちます。全体像を捉えた写真は前回の方が綺麗なのでそちらをご参照ください。 昭和の雰囲気の漂う建物で、内部も決して活気の感じられないのですが、中津川の町の特産品がしっかりと紹介され販売されています。      車社会になったとは言え、やっぱり駅にもご当地物を置いて欲しいというのが、鉄道派の私達の思いです。   駅前から、真っ直ぐ伸びる道を逸れれば庶民的な町が見えてきます。  手形はなんでしょう?  そう、中津川と言えば「中津川フォークジャンボリー」です。   今も、何らかの形で、継承されているのですね。 中津川の町の人にとっては、忘れられないイベントの一つなのでしょう。  栗きんとん発祥の地なんだそうです。 この地下通路も、昭和を感じさせてくれます。 京都の四条に地下通路が出来たとき、父に先導され歩いた家族は、壁と床だけの視界に驚いたものですが、あの雰囲気が漂っています。     さらに、東へと進みます。
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