JRと智頭急行の乗換「上郡駅」ですが、何故か乗降の記憶はありません。 JRとの接続はもう一箇所「佐用駅」であるため、そちらで乗り継ぐことが多かったのだろうと思います。 意外に始めての駅。 
  ホームは長く、智頭急行列車乗場は前方にあります。 駅好きの私が、今回何故か、始めて訪れる駅舎の写真をきちんと撮っていないのはどうしたことでしょう。 今更の反省です。 雨も上がり、瀬戸内海沿を東へと電車は走ります。  関西へ帰ってきたなあ。。。と実感する車内風景は、いつもこんな感じです。  山陰線、下関駅から鳥取駅。 広がる、日本海がとても綺麗でした。 桜色に包まれた、旅。 いい時間を過ごしました。
鳥取駅から因美線で45分 「智頭駅」止まり。  ホームの階段には「智頭急行のりかえ」の案内があります。  赤い瓦屋根の駅舎。緑が映える綺麗な駅舎です。   アナログの案内は、やはり暖かみを感じます。
   因美線「智頭駅」歴史ある駅です。  「智頭急行智頭駅は隣の駅です」  向こうに、見えるは、智頭急行の電車。   智頭急行は、「国鉄智頭線」として建設が進められていましたが、1980年に建設凍結。 1984年第三セクターにより開業した路線です。 鳥取から姫路へ、JRで行くには因美線で東津山駅。姫新線に乗り換える事になりますが、極端に本数が少なく距離、所要時間が大きくなります。 智頭強行線は智頭駅から山陽本線「上郡駅」までをショートカットする形で 半分以下の時間で結ぶので、殆どの乗客は智頭急行で移動します。 JR西日本の経路検索ですら、智頭急行線が選択されます。 青春18切符でのローカル線の旅を楽しんでいる私ですら「一度は姫新線、因美線での旅を楽しんだから」と、智頭急行を選んでしまうのですから、そのメリットは大きいものです。  青春18切符期間中はお得な切符が発売されています。
「東京へはもう何度も行きましたね ♪~」 ではなく「鳥取へはもう何度も行きました ♪~」 でも鳥取-関西間は、山陰本線であったり特急であったり、高速バスであったりします。特に 帰路に因美線普通列車を使うのは今回で2度目、とても新鮮でした。   車窓は、今までの「海」とは違い、山陽方面へと向かい 山間を南下。  郡家駅からは、東へと「若桜鉄道(旧JR若桜線)」が伸びていますが、その名にふさわしく、見事に桜に包まれていました。 若桜鉄道を訪れたのも、桜の季節で舞い散る桜吹雪の中で駅を見ていました。
   「流しびな」は子供の頃の憧れ風景で、一度訪れてみたいと思っています。 来年は4月27日実施だそうです。 → ながし雛 鳥取らしい地名。 駅名標に、旅を確認する時、心高鳴ります。 電車は用瀬川に沿って進み、やがて「智頭駅」に到着します。  
米子~鳥取駅。それぞれ乗換時間が短かったもので、駅舎の写真がありません。 車窓をご覧くださいませ。   海岸線に、風力発電の風車が並んでいます。  海岸に並ぶ瓦屋根は、人々の生活を感じます。
京都から山陰線で、出雲市駅まで行き一畑電鉄に乗車した事があるのですが、その時「米子駅」は通過でした。 夕刻だったため、電車は満員、駅も人でいっぱい、なかなかの都会だなぁと感じたものです。 米子駅乗換 10分余を利用して下車。   なんと、昭和の大都市駅の風格で、威風堂々とした構えです。 子供の頃の、京都駅・大阪駅はこんな風でしたが、近年どこもモダン?になってしまいました。 懐かしさの漂う駅。 県庁所在地の鳥取駅よりも重厚感が漂っています。 1958年(昭和38年)建築です。  駅前も鳥取駅よりも賑やかな感じがしました。
 駅の二階に飲食店があるというのも、昭和を感じます。  大きな地上駅。 子供の頃、両親に連れられ旅行した時、遠出をした時の高揚した気持ちが蘇ってきます。 ローカル線の小さな古い木造駅舎もいいけれど、高度経済成長期の夢を抱いていた大きな駅舎は、そのまま広がりを感じます。    米子駅からは 北へ境港線が伸びています。
「運転再開の見込みはたっていません」と言われ、なんとか米子駅か、鳥取駅まで辿りつけば後は特急だとか、高速バスがあるなあ。。 等と 考える事30分以上。 動き始めました。 ひとつ先の「江津駅」着。 実は当初の予定より35分早い電車に乗ったのはこの「江津駅」をゆっくりと見るためでした。   普通の国鉄時代の小さな駅のようですが、ここからは南東に三次までの「三江線」が伸びていて、山陰線の分岐駅のひとつです。  三江線も、去年夏の豪雨のため、不通区間がありましたが、7/19に復旧予定です。 「駅前 代行バス」という案内がいいですね。
島根県益田市から、東へと山陰海岸沿いを走ります。    青空の下の山陰海岸だったらどんなに綺麗だった事でしょう。 海岸線とともに、こんなに長い距離を走る電車は珍しい気がします。
  海岸線の石州瓦と、桜と。。 こんな景色の中に佇んでみたい。  でも、海は荒れています。    雨に曇る車窓を楽しんでいると、、 「強風のため停車」のアナウンス。 しかも、運転再開は未定という。。。 「都野津」駅停車。 今日はひたすら、東へと乗り継いで、自宅へ戻る計画。 本数の少ないローカル線の乗継、ひとつでも狂えば。。ガタガタになるのです。 過去、往路でいきなり京都~大阪間で濃霧のため1時間半遅れたため、最初から一部新幹線を利用したと言う経験があります。 まさか? 運転再開の見込みがないというので、とりあえず 駅舎の写真。     さて、どうなるのでしょう?
須佐17時47分発 益田駅着18時20分 今日の移動はここまで。    東へ進めば米子・鳥取。 南へは山口線が伸びています。
  須佐駅からは再び電車に乗り東へと向かいます。 ゆったりと海側の席に座ることが出来、カメラを向けることができました。  何をしているんでしょう、珍しい風景です。
 桜の季節は、本当に華やかでいいものです。  山陰地方らしい、赤屋根の景色が海岸線に広がってきました。     お天気が良ければ、夕日が綺麗でしょうに。。 山口線の終点駅でもある「益田駅」。 今日の旅はここまで。 もう少しお天気が良ければ思いますが、桜色の沿線と素敵な駅舎に出会えた楽しい一日でした。  
萩駅16時52分   通勤通学時間だからでしょうか、二両編成の電車がやってきました。 萩駅のお隣「東萩駅」通過。 実は、観光地「萩」も 萩市の中心地も此処です。 普通は此処で下車して、萩観光です。
 日本海岸を通りますが、生憎お天気が悪い。 奈古駅 17時13分着。  昨年7月28日の集中豪雨のため、桜咲くこの頃もこの先、不通。現在も不通ですが夏には開通予定だそうです。 代行バスが運転されていましたが、きっとそれは生活に必要な人達のもので、私のような青春18切符旅の者は乗れないのじゃないか。。 その時は運賃払えば乗せてくれるよね? なんて思っていましたが、意外に、なんの確認もなく流れに乗るように乗換でした。     線路を横に見て、海岸道路を走り。。 バス旅です♪     災害の様子が見てとれます。  須佐駅到着。 折り返し運転のため、電車から降りてくる人と入れ替わりに私達乗車。    流れるように乗換がすすみ、写真を撮る時間もなく、歩きながらの写真です。 始めての代行バス。雰囲気だけは記録できたかなぁ? 雨降る中 バスの車窓からの写真 とても見にくくてすみません。
下車した途端の大雨、雷雨。外に出る事も出来ず駅舎内を見ている時、ボランティアの男性が案内してくださったのが、「自然と歴史の展示館」 駅舎左側に鉄道資料等が展示してあります。 「こちら側が、昔の駅なんですよ」と おっしゃったので、それによりブログ記事を書いています。 なるほど、昨日の写真でもおわかりいただけるように、随所にそれらしき古さが現れています。  こちらが展示スペースです。
「萩駅」の記事を書こうと写真整理・加工、調べ事をしていて、自分のブログに出会ってしまいました。 そうだぁ。。 帰ってきてすぐ、「萩駅」の感動がさめやらぬうちにと、すぐに、この旅のまとめ記事を書いたのでした。 何をやってるやら。。 感動の大きかった「萩駅」 まだまだ 姿を伝えきれていないので、再び。。  電車を降りた途端、大きな音とともに雷。そして雨。 まるで映画のワンシーンのように、劇的な出会いとなった「萩駅」
本数の少ない仙崎支線。15分で折り返しですが、折角此処まで来たのですから、少し町歩き。  駅からまっすぐ伸びる道路には、金子みすヾさんについての、大きなボードが本の形になって掲げられています。 金子みすヾさんは童謡詩人。 ここで生まれ育ったみすヾさんにちなくで「みすヾ」通り。 
 長門市駅から、北へと延びる「仙崎支線」。  私の大好きな終着駅。 しかも山陰海岸にちょこんと。。延びた支線の終着駅です。
 10時21分 下関駅発 12時21分 長門市駅着  山陰本線代表駅のひとつで、運行系列分割駅です。 美祢線、仙崎支線の始発駅。   跨線橋は、駅の雰囲気を感じる大きなポイント。
 小倉駅 10時1分発。 夜行バスで7時に小倉駅に着いてから随分時間が空いているようですが、運転本数の少ない山陰本線。この時間出発です。  下関駅からは、オレンジ色の気動車が、唸りながら待っています。 いよいよ、これから山陰本線に乗るのだと、いう高揚感がたまりません。 10時21分発。
 小倉駅前の商店街 アーケードに覆われていて壁面しか見えない 「湖月堂赤煉瓦館」  大正7年(1918年)に、湖月堂の酒造倉庫として建てられたものです。   アーケードに覆われてしまっているのが残念ですが、年月を経た風貌が魅力です。
  JR九州では博多駅に次いで、乗車人員が多いという「小倉駅」 その小倉駅からわずか800メートルしか離れていない「西小倉駅」ですから、大都市の延長線上にある町といえましょう。  人の流れに沿って歩けば、聞きなれた地名看板のある道路に出てきました。
  目に入ったのは、大津は勿論、京都でも見られない洗練された建物。 これは「西日本工業大学小倉キャンパス」 都会の中にあるキャンパスというのは、こんなにお洒落なのでしょうか。  これまた、大きな道路に沿う、大きな建物。 「リバーウォーク北九州」西日本工業大学も含め、この並びを「リバーウォーク」と呼ぶらしい。。 朝日新聞社 NHK 劇場 美術館 映画館 文化施設の結集。 あー 都会だぁ。。。。と 足を進めると、 左手に 先ほどの 「旧小倉県庁跡」があるのですが、ここも新旧融合の地。  旧小倉県庁跡の脇にはこんな風景も残っています。 少し歩けば、関門港にそそぐ紫川。     ここを起点に長崎まで続く「長崎街道」があったんですね。 こんな街道も一度、辿ってみたいけれど、行きたい所、やりたい所が多すぎるなぁ。 リバーウォークの一本 北側、西小倉駅に近い側の道を戻れば、そこは 懐かしさの残る町。   しばしの間、小倉の町を感じました。 
 「小倉県」 聞きなれない県名 それもそのはず、明治4年11月から明治9年4月までの4年間だけ「小倉県」がありました。 その時の県庁跡です。 後は、裁判所、警察署、医院へとその役割は変化し、現在は「BLUE BLUE KOKURA」という洋服屋になっています。 こちらのHPを見れば、 近代建築ファンの私は感動します。 → BLUE BLUE KOKURA
営業中であれば、内部を見せていただけるようですが、7時半。 外見だけからは、洋服屋さんだとはわからないくらいに、「そのまま」が残る建物です。  裏側から。  雰囲気を保ったままの、意匠が素敵です。  
もう二ヶ月も前の話になりますが。 長い冬が終わり、町がピンク色に染まろうとしている頃、青春18切符で山陰本線に乗りました。 自宅から乗り継いで、「出雲駅」までは行ったのですが、出雲駅以西はまだでした。何年も前から何度も 山陰本線→山陽本線で自宅へ戻る計画を立ててみましたが、自分の休める日数ではどうしても不可能でした。 新幹線を利用すればいいのですが、費用の事は勿論、もっと時間を有効に使うのは 夜行バス。  京都駅八条口 21時30分発博多行。
 夜の八条口は次から次へと夜行バスがやってきて、不思議なにぎやかさがあります。 夜行パスって何年ぶりでしょう? 小田和正さんのコンサートに通っていた頃(笑)以来ですから、20年ぶり位。 随分変わりました。 バスそのものにも、座席にもランクがあり選択肢も広くなりました。 3列独立シートの真ん中。 自分自身が開け閉め出来るカーテンはありませんが、両側にカーテンがありプライバシーは守られています。   走行中は運転席後ろにもカーテンがひかれるので、真っ暗です。 リクライニングも十分できますしシート幅も狭くなく、リーズナブルに移動するには十分です。 7時 小倉駅着 目が覚めたら九州小倉と言うのもいいものです。    すぐに山陰線方向に乗車するかと思えば。。   少し時間があるので、近代建築を見にいきます。
| HOME |
次ページ ≫
|