山陽本線「徳山駅」

「昭和の駅」

広い1番線ホームからそのまま改札、徳山の町。
駅前にはタクシーばかりがずらりと並んでいる。。
子供の頃の京都駅のよう。
昭和の時代の大きな駅はみんなこんな感じで、みんなが心躍らせていました。
駅直結の大きなショッピングセンターがあるわけでなく、二階に上がってみたらちょっとした展示がしてありました。



何故か、ケチャップライスに旗の立ったお子様ランチがご馳走だったそんな日が蘇るのは、日常的でないこういう場所に来て、おばあちゃんに食べさせてもらったりしてたからなんでしょう。
あー やっぱりなぁ。。
ここも橋上駅になるんだぁ。


駅横のこんな工事の様子をいくつも見てきたなぁ。
大きな地上駅ってどんどん消えていくんですね。


何年も行きたいと思っている「金魚ちょうちん祭」
単純ですが、金魚もちょうちんも好きなんです。
来年かなぁ。
岩国駅と駅前をもっとじっくり見たいし、山陽本線車窓から見える海も綺麗だし。

ここまで高速バスがあるなら、未踏の山陰本線西部と、山口本線も周れるかも。
今度来るときも この徳山駅があるといいなぁ。

岩徳線の旅、ここから一路、山陽本線、東海道本線を乗り継いで自宅へと戻りました。
いい旅が出来た事に感謝です。

山陽本線と岩徳線の分岐駅が「櫛ヶ浜駅」です。
ただ、ここで乗換なくても岩徳線の列車はすべて徳山駅まで乗り入れてますが、駅舎を見るためにここで下車。

時間の関係で駅の全景は、至近距離からしか撮れませんでした。
この感じ、福井電鉄「花堂駅」から歩いて見に行った、北陸線の「越前花堂駅」の感じに似ていると思いました。

跨線橋と、ホームの上奥の感じがいいなぁ。



「下関」行に乗車。
下関かぁ。。 また行きたいなぁ。
私の旅の朝食、昼食は空腹を満たすためだけのものですからなんでもいいのですが、ローカル駅散策が目的なもので、食いはぐれることは、たびたび。
今日もどこでお店に出会えるかなぁ~と思っていたら、周防高森の町でスーパーに出会う事が出来ました。
コンビニよりも地元スーパーの方がいいんです。
コンビによりスーパーの方が安いというのは、主婦の当然の感覚ですが、それだけではありません。
地元の食材、地元の食べ物が並んでいるのを見るのが楽しいんです。
お土産屋さんよりも、きどらないその町の姿が見えます。
ただ写真を撮るのに勇気がいります。


「ちょるる」山口県のマスコットキャラクターだそうです。
このあと、どこでコンビニ・スーパーで出会えるか、買物をする時間があるかわからないので、おにぎりやら、飲み物、お菓子をたくさん買い込ませて頂きました。
「周防高森駅」で、途中下車。
駅を出てすぐの広い道路には、「昭和」がそのまま、わざとらしくなく残っていました。
大通りの脇には、小さな路地がいくつもありました。



「本屋さん」


こちらは昭和30年代を感じさせてくれる近代建築。






町並み風景と、こんな貼紙・標識で周防高森駅前の町が、いろんな意味でどんな位置にあるのかを感じる事ができます。




写真奥でカメラを構えておられる女性。
同じようにカメラを構えている私に声をかけてきて下さいました。
「旅の方ですか?」
千葉在住の彼女は、この周防高森に帰省中 同世代のブロガーさん♪
「子供の頃は、この道の真ん中に川が流れていて桜の木が植えられていたんですよ~」
と教えてくださいました。
そっかぁ。。 わかるなぁ。。 この町並みに川と、桜は似合いすぎます。
家並みは、その頃のままなのでしょう。
すっかり意気投合して、ブログ名を交換しあって、お別れしました。
→
お加代のブログ
ここは、旧山陽道です。
岩徳線、西へと進みます。時間の都合で途中下車は出来ないけれど、初めての路線を走る時は車窓に釘付け。
始めての駅名もひとつひとつが新鮮です。




そして「周防高森駅」下車。

ローカル線らしい瓦屋根の駅舎ですが、正面の屋根の形が、ほっとさせてくれます。


下車した駅がこんな風にのどかで落ち着いていたら。。「私の選んだ駅がここで良かった。。」と旅の感動が膨らみます。

待合室のこの、不自然なほどの広さはかつて「山陽本線」であった時代の名残。ちよっと寂しいけれど、私はその寂しさをも求めています。

改札を出て まっすぐ見通せる町は、きちんと整備されていました。

古駅舎好きの私ですが、ただ古ければいいわけではありません。
駅を取り囲む風景も含めて、暖かさを感じさせてくれれば嬉しい。
周防高森駅へ まっすぐ伸びる道路は気持ちいい。

西岩国駅の次の駅が「川西駅」



駅へは、急な階段でつながれています。
見上げる駅が好きで、画像を見た時、訪れたくなりました。
築堤にホームが設けられているわけではなく、山の斜面に駅があります。
錦帯橋から真っ直ぐ南に延びる大路小路には、さりげなくそのままの
近代建築がいい雰囲気で残っています。




カーブの角にある、山口銀行錦帯橋支店、昭和初期の建築で、当時の中心地であったことを感じさせてくれる建物です。
大路小路を行くと、やがて大きな道に合流。
この雰囲気もなかなか面白い。

そしてそこに 洋館長屋のお店がある。 その雰囲気がとってもい。。



大きい道路に沿わなかった、細い通りは、控えめに遠くまで続いている。。
今回、
近代建築について何も調べずに出てきたけれど、こうして私の好きな風景に出会えた。
電車に揺られて落ち着いた町でこんな風景に出会えた。。。
錦帯橋からまっすぐ南に延びる通りは「大路小路」と呼ばれ、旧道の雰囲気が残り、
近代建築・看板建築の多くを見かけます。

「細田写真場」
昭和初期竣工


心ときめかせ、おめかしして写真を撮りに行く。。 そんな場所。
現在はお隣のお店での営業が主でしょうか?
ここもまた昭和の雰囲気が漂っていていい感じです。


錦帯橋周辺を歩いていて、目につくのがこの風景。


赤い幟がとても綺麗です。
登ろうかと思ってここまで来ましたが、先ほど見た長く続く階段を思い出したら、やっぱり尻込みしてしまいました。。。。
登ったら岩国が一望できたでしょう。

33式年大祭は、2ヶ月後です。
「うまもん レトロ館」近く。
18時半を回っていると言うのに、日はまだ高い。
道の真ん中の小さな子が居て、奥様が二人。
車を心配するでなくのんびりとお話。


ああ。。このあたりはゆったりしているなぁ。。


「うまもん」本社・工場。
そんな通りに、落ち着いた建物がありました。
ここは、300年続いた醤油工場でした。
昭和38年、奥様の実家を引き継いだ社長さんが、漬物製造販売を始められました。。
「うまもん」
「ひらせい」さんで美味しい郷土料理を食べたあとは、町歩き。
こっちの方向にいい香りが漂っているなぁ。。と歩いていると坂の上にいい感じの建物が見えてきました。


シンメトリーなこの感じは「銭湯」だと直感。
いいなぁ。右の石段を登って降りれば、錦川河川に下りられる。。 錦川沿の銭湯。



ステンドグラス。 石柱。。。
錦帯橋近くの、モダンな銭湯。
当時は地元の人や観光に訪れた人もここで、疲れを癒していたのでしょう。
お風呂上りには、錦川の流れを眺める。。

建物裏側。
ここにボイラーなどがあったのでしょうか?
1930年竣工。
現在は「うまもん レトロ館」としてお漬物の資料館、販売店となっていて、脱衣場等がそのまま利用されているそうです。
定休日+営業時間外だったのが残念です。
二階は展望台となっていて、錦川を一望できるそうです。
「レトロ館」
車窓を楽しみながら、遠い所まで行く青春18切符の旅では、朝ごはんもお昼ごはんも電車の中で「おにぎり」。
せめて、夜だけは旅らしいものを
食べたいと思うのですが、それも行先によってはままならないで、結局 手持ちのお菓子で飢えをしのんだ。。なんて事もあります。
観光地錦帯橋。夏の営業時間を調べて行ったのに平日だからでしょうか、目的のお店は17時で閉店。
他も定休日なのかなんなのか。。
食を求めて歩き回ってしまいました。
丁度 暖簾を掲げているお店の前を通りかかり、ひと安心。
「お二階へどうぞ」。。
穏やかな口調に安心。
「夕日が入るんで半分だけ開けておきましょうか」


手頃なお値段で、岩国名物「岩国寿司」のついたメニューが何種類もありました。


岩国ならではの、もの。

「岩国レンコン」は穴がひとつ多いのだそうです。

「おおひら」= 、鶏肉をだしにサトイモ・ナガイモ・シイタケ・高野豆腐・ゴボウなどを入れて煮たもので、汁の多い煮物といった感じの
食べ物

「岩国寿司」 簡単に言えば「押し寿司」
「おおひら」「岩国寿司」ともに 岩国では祝い事に欠かせない料理だそうです。
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「岩国寿司と大平」 お料理はどれも薄味で上品。十分に岩国の郷土料理を心地よく楽しむ事ができました。


150年も続いているお店。
「日が落ちたからあげましょうね」
とブラインドを上げて頂くと。。

高い位置から、錦帯橋を望むことが出来ました。
一人旅の私に適度に距離を置いて、適度に近づいて来てくださる。。 とてもいいおもてなしをしてくださるお店でした。
帰りに、あぶらとり紙も頂きました。。。
大満足な夕
食時でした。。。。
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錦帯橋たもと ひらせい
青春18切符等で、西日本の各地は結構訪れていますが、駅舎・車窓・路線経路を楽しむ旅をしているので、いわゆる「名所・旧跡」と呼ばれるものは素通りしていて、旅行話が友達と合わなかったりします。
「出雲大社前駅」には行ったけれど、出雲大社は鳥居を見ただけ。
今回の一番の目的地は「西岩国駅」
今回 名所の錦帯橋を訪れたのは 「建築物」としての「橋」に興味があるからでした。

幅5.0メートル 長さ193.3メートル。
穏やかな錦川に架かる錦帯橋は、予想以上に大きいものでした。



緩やかな木の階段は登り坂である事を感じさせません。
もっこりもっこりの橋を渡るのは楽しいものです。
橋の下に立ってみました。



釣りをしている人もおられます。


日中は、窓口が空いていて事実上 通行料金が必要です。
ただし、券を持っていれば何度も往復できます。
夕刻になって 鵜飼の舟が出て行きました。


1909年(明治42年)~1929年(昭和4年)
現在の岩国駅付近から、錦帯橋付近まで、鉄道が通っていました。
一部 併用軌道で中国地方では、始めてとなる路面電車が通っていました。
岩国電気軌道とほぼ同じルートを走っているのが「いちすけ号」


残念ながら、時間的余裕がないのと本数が少ないのとで、見かける事すらありませんでしたが、西岩国駅から錦帯橋まで乗ったバスのこの区間もを走っていたそうです。


こんな細い道路を路面電車が?と不思議ですが、京都の市電も狭い場所を走っていた事を思い出しました。
岩徳線と並行するので廃線となったという経緯は、滋賀県の江若鉄道とも少し似ています。


岩徳線「西岩国駅」
岩徳線は 山陽本線岩国駅から分岐して北側を通り櫛ヶ浜駅で再び山陽本線に合流。
山陽本線の支線のような形になっていますが、駅名、所属路線は変遷をたどり、昭和9年から昭和19年までは山陽本線として賑わいを見せていました。

JR岩国駅から、錦側に沿って北西方向に走っているのが「錦川鉄道」
JRの「岩日線」から転換された第三セクターの路線です。
岩国駅の0番ホームからの発車です。


錦川の清流をイメージしたなんとも涼しげな車輌。暑い夏には気持ちいいです。

翌朝の画像、黄色い車輌もあるんですね。
学生さんが歩いている坂を登った高い所にあるのが「川西駅」
手前に少し進んで岩徳線と分岐して錦町まで走っています。

今回、時間の都合で乗車できませんでしたが、各地のローカル私鉄も大好きなんで次回は是非にと思っています。
自宅を出て9時間。「岩国駅」到着です。

あ。。。 これもまたいい感じ。
どうして昭和の駅は、こうも 気持ち穏やかにさせてくれるのでしょう。

まぁるい空気が流れているようです。
こういう駅はいつまでも、この姿で居て欲しい。。

駅舎にさらに増築され続けたかのような付属施設もいい感じ。

改札はこのように、そのまま、その土地へ一歩を踏み出せるのがいいんです。

1番線 岩徳線ホーム。
意外にたくさんの人が乗り込んで行きました。
私は次の駅で降りるから、のんびりと写真撮影。。

「ウ~ン」と唸りながら一生懸命走る「キハ」は私の好きな列車。

古い車輌だから、扇風機がついていて、これも懐かしい風景です。
岩国駅は、貨物の専用線もありじっくり見るべき箇所がたくさんあります。
駅前風景も、素敵なはず。
話題の岩国基地も比較的近いし、ゆっくり滞在したい町。
乗換のため短時間の滞在でしたが、次回は。。 岩国駅と南岩国駅。
「相生駅」
石山駅を出て、姫路駅で乗換。そして次は相生駅で乗換。
関西人に取っては耳慣れた駅名で、何度が乗換たとは思いますが、駅舎を見た事はありません、この駅を見るために、朝少し早く出ました。

1万~1万5千㌧級の貨物船に使われていたという重さ3トンの本物のストックアンカー = 特大アンカー の後ろに青色屋根の駅舎。
さすが、造船の町です。

昭和30年代、40年代を感じさせてくれるこの駅舎は、ほっと。。するものがあります。
この風景、私の最寄駅舎 石山駅の一代前のものにも似ています。オレンジ色のバスはまるで帝産バスのよう。


大津でも、びわ湖ペーロンやってます。
ん、やっぱり 大津に似てる、石山駅に似てる。

あの、ちょっと固い塩味饅頭もおいしいんですよね。 久しぶりに食べたくなってきました。

駅前にも昭和を感じさせてくれるビル。

バスに乗って、相生港に行ってみるのも面白いかもしれません。

相生駅は、赤穂線の起点駅、た新幹線の駅。
のどかで、懐かしい雰囲気のある駅舎でありながらも、重要な駅なのです。

ここから三原駅まで3時間。車窓を楽しむ旅が続きます。

山陽本線「南岩国駅」
ホームの向こうにハス畑が広がっています。。。
うだるような暑さの夏。
電車の窓から、流れる景色を眺めるのは至福の時です。
大津から、山口県徳山駅まで。。 電車に揺られ 日本を感じてきました。。

少々多忙のため、のんびりペースで、この夏の青春18切符の旅の記事をアップしていきます。。