平成筑豊鉄道の内田三連橋梁を見た後、平成筑豊鉄道の情報サイトの案内に沿って、赤駅に向かって歩きます。

方向音痴のくせに橋梁や煉瓦トンネルなどを見つけると近寄ってしまう。



この橋梁は塞がれていました。
こんなしているうちに、やっぱり道に迷ってしまって再び県道に出たようです。
でもここは、地元の方に教えて頂いて修正できたよう。。
でも「真っすぐ行けば赤駅ですよ」と言われたものの、分かれ道が幾つかあり自信のないまま歩いていると。。。



なになに?
これって本当の跨線橋?
思いがけない出会いです。
「油須原(ゆすばる)線」油須原線が計画されたのは、戦後間もない頃、石炭産業全盛期の頃で、鉄道による石炭輸送はパンク状態。
さらなる路線を作ろうと筑豊の内陸部にあった漆生線漆生駅と田川線(現・平成筑豊鉄道田川線)の油須原駅を結ぼうと計画されました。
昭和32年着工 昭和41年上山田線(漆生駅 - 豊前川崎駅 油津原線一部)開通。
豊前川崎駅から油津原駅までの開通を待つだけとなりましたが、石炭産業斜陽の時代を迎えます。
その後も工事は継続とされまさしく「線路を敷くだけ」という状態でしたが、その後 接続路線の廃止などもあり 「未成線」となりました。
未成線については、多くを知っていますが、ここまで進みながらの「未成線」は数少ないと言えましょう。
もともと 旅客路線より石炭貨物路線としての役割が大きかったのも災いしたのでしょう。
その一部にここでこうして出会えたのです。
出会えたと言うより、地図を見れば油津原線をオーバークロスして歩くように地図になっているので その記載がないため気づかなかっただけなのでしょう。 下調べの弱さを反省です。


跨線橋の下に見える線路のようなものは、未成線跡を利用した「赤村トロッコ油須原線」です。
平成15年10月5日、多くの人々により、実に計画から半世紀を超えて、「幻の鉄道」は開通日を迎えることができました。
トロッコ列車の運行は月に一回程度。
今度は、やっぱり 運行日に合わせて来るようにしましょう。
このあと、派手に迷いながら。。 ようやく「赤駅」に到着です。

道路下の低い位置にある赤駅。
駅前には、未成の油須原線の線路があります。


これは、使われていないトロッコ列車の一部でしょうか?


