時は流れ、春の柔らかい風が肌に優しい季節となりました。
このまま ブログを忘れてしまってはいけません。
記憶も薄くなります。
よっこらしょっと。。。クリスマス前の名古屋。
早朝の大須観音参拝の後は、大須商店街。
人が絶えない商店街と言う事でしたが、お店もまだ閉まっていてひっそりとしていました。
商店街はやっぱり元気な時間がいい。

日本三大観音のひとつ「大須観音」
観音寺の魅力は、不思議な華やかさでなびく五色旗。 穏やかな気持ちになれます。

駅の案内に沿って歩けば、そこはすぐに「大須観音」

11月に名古屋へ行った時、あんなにさがしまわったナナちゃん。
名鉄のインフォメーションや、店員さんにお聞きするなんて、まったくもっての田舎者の観光客。
今日は、柳橋中央市場から抜けて偶然に出会えました。

これが知らないと大きすぎて見えないものなんです。
私世代の女性なら、朝食はホテルバイキング、いえ一人旅ならお洒落なカフェでのモーニングって所でしょうが、私は柳橋中央市場にある「さらしな」というお店。


夜も明けきらぬ早朝からお仕事されている方々の、お腹を満たすためのお店? ま、そうでしょうが、実は「柳橋中央市場」は民間市場なので一般人も自由に出入りが出来利用できます。
それでも、お仕事中の人が多いかなぁ。
「きしめん」を食べようと思っていたのですが、目が迷う。。


では、セットで。。
かつおだしのきいた、きしめん最高でした。 新鮮ネタのまぐろ丼もおいしかったです。
さてこれから町歩き。
こんなですから、なかなか私の旅に同行者は誘えません。
知りませんでした。
日本の三大都市。「名古屋」 その名古屋のターミナル駅至近に市場があること。
名古屋駅近くの市場なんて聞けば、おしゃれなビル、最新鋭の設備が整っているようなイメージを持ってしまいがちですが、そうじゃない。 手押し車にトロ箱を押した人が行き交い、転びそうになるくらいに床には水がこぼれてる。 迷路のように所せましと小さなお店が並んでる。
図書館で借りてきた観光ガイドを見ていてその存在を知りました。
早朝、伏見のホテルから駅まで歩きます。


急ぎ足で駅へと向かわれるサラリーマンさんの波をそれて脇道に入れば、散乱ている発泡スチロール製トロ箱。
あ、ここだなぁ。。。
昭和が潜んでいる納屋橋界隈を歩いてて見つけたもの。

枯れ草が絡まっています。



熱帯木のようなものが建物の周囲に植えられているというのも都会の谷間にあって面白い風景。
果たしてこの建物は使われているのかどうか。。
写真に写っていない側面は案外綺麗なのでした。

納屋橋界隈風景。

納屋橋を南から北へと横断しようとすると串カツお店が正面に見えます。

この欄干はもしかして架け替え前のものでしょうか。
名古屋のほぼ中心部を南北に貫く堀川。
文字の如く、610年名古屋築城の際にあわせてて開削され、舟が行き来し物流の大動脈としての活躍もありました。
名古屋陶磁器会館にあった堀川を利用した陶磁器運搬の写真です。


そして、今もなお、都会の喧騒の谷間に静かに流れています。
昨日投稿の「加藤商会ビル」は、堀川に架かる堀川七橋の一つ「納屋橋」の東詰に佇んでいるのでした。

(再掲)
文字色
「シャムズガーデン」は加藤商会ビルの地階前から南北に伸びる川岸の遊歩道と広場。 そこを歩けばなんだか外国の風景のよう。。







鉄道史好きとして見逃せないのは、かつて納屋橋に市電が走っていたということ。
名古屋駅もすぐ近くにあったということです。
今回 堀川・旧加藤商会ビルの記事を書くにあたって検索していた途中に見つけたこちらのサイト、
奥深くまで書かれていて非常に興味深いもので、こういう視点でまちあるきを楽しむのが私の理想でもあります。
私の拙い言葉で伝えるよりも、みなさんの視点でとらえ頂く方が確かなのでリンクさせて頂きます。
リンクフリーと いう事なので リンクさせて頂きます。
→ 名古屋歴史ワンダーランド「堀川」についてはこちらに詳しく掲載されています。
→ 堀川納屋橋界隈においての鉄道史については
こちらの 「なぜ納屋橋の地に」を参照してください。
→ 旧加藤商会ビル
今回の名古屋の旅、一日目は
近代建築を見る事が目的。 思っていたより移動距離が長く、疲れを感じ始めた頃に出会った「加藤商会ビル」 出会ったことが一番うれしかった建築です。
私が好きなのは、丁度これくらいの大きさで、会社関係のものがいい。
このビルについて多くのサイトを閲覧させて頂きましたが、歴史的背景が一番良くわかるのはこちらでした。
→ 登録文化財 加藤商会ビル
堀川の袂に佇む「加藤商会ビル」
1931年(昭和6年)建築。


正面がアール(R)角。 煉瓦タイル貼。
縦長窓。
主張しすぎない装飾。
いい色合い、いい形。
何時間も眺めていたくなる。。





昭和6年頃加藤商会(貿易商)が社屋として建築
昭和10年頃建物にシャム国(現タイ王国)領事館が置かれる
昭和42年加藤商会から中埜産業㈱に売却
平成12年中埜産業㈱から名古屋市に建物寄附
平成13年国の登録有形文化財に登録
(名古屋 歴まちネット より抜粋)現在一階にはタイレストランが入っています。
次回はランチ時お邪魔させて頂いて内部を是非見せて頂きたいと思っています。
広小路通にはいくつかの
近代建築があります。
「旧名古屋銀行本店ビル(旧中央信託銀行株式会社名古屋支店)」

1926年(昭和元年建築)
縦に伸びる柱が重厚感を出しています。 コリント式列柱というそうです。
「三井住友銀行名古屋支店」


1935年(昭和10年)建築
こちらも縦の渦巻き列柱が重厚感を醸し出しています。
住友銀行名古屋支店
近代建築もしくは、低層階部分のみ残しての増築かと思えますが、実は1998年に 旧建築のイメージを継承しながら建築されたそうです。

Parco前スクランブル交差点。
滋賀県にはスクランブル交差点がありません。長野県の松本市で見かけた時、県庁所在地でない町にもスクランブル交差点があるんだと、驚いたものです。 スクランブル交差点を見ると 都会だなぁと思います。

高層ビルの建ち並ぶ名古屋でも、ビルの間から垣間見える名古屋タワーはランドマーク的存在です。

「栄」と呼ばれている名古屋で一番の繁華街にある「中日ビル」
重厚な昭和建築だと思い写真を撮りました。
自宅に帰ったあと、旅の報告を友達として教えてもらった、このビルの解体。
→
「中日ビルの建て替えについて (中日新聞からのお知らせ)」中日ビルの地下二階 地上三階は飲食店や店舗、10.11.12階は中日劇場になっているそうです。
屋上部分にあるまぁるいものは回転レストランだったそうです。
私はそうとは知らず写真を撮るにとどまってしまいましたが、多くの人が足を運び、多くに人に感動を与えただろう場所が、消えゆくとゆうことは、とても寂しいことです。
この目で見る事が出来たことに感謝です。
「文化のみち」界隈を歩いた後は、「矢場とん本店」へ
前回 名古屋駅名鉄店で「みそかつ丼」を食べた感動が忘れられない、ぜひとも本店でわらじとんかつを。今回名古屋を訪れた目的のひとつでもあります。


「大津通」という名前には親しみを感じます。
滋賀県の大津は地方都市らしさの漂う田舎ですが、大津通には百貨店・大型店・ブランド店が並び多くの人が行き交っていました。
「文化のみち」から真っすぐ南下するだけ。。 と思ったけれど、知らない場所は予想以上に遠く、わらじとんかつ のために空腹にしていたけれど、お腹が鳴ってきたり。。。。
名古屋市では歴史的な遺産の宝庫ともいえる名古屋城から徳川園に至る地区一帯を「文化のみち」として育んでおられます。
プリントアウトをしたマップ片手に歩きましたが、残念ながら休館日の月曜日。
もっとも、界隈の
近代建築は普段も公開されていないものが多く、大々的なイベントは「歩こう!! 文化のみち」とが毎年11月に開催されています。



文化の道 「二葉館 旧川上貞奴邸 (移築復元)」
日本の女優第一号として名をはせた川上貞奴と電力王と言われた福沢桃介が共に暮らした家です。
休館日で残念ながら内部見学は出来ませんでしたが、それはそれは見事なステンドグラス。螺旋階段を備えています。
「旧春田鉄次郎邸」
道路に面して和風塀が続く奥には洋館と和風建築。

ん? ここは高級レストラン?



陶磁器貿易商として成功し、太洋商工株式会社を設立した春田鉄次郎が武田五一に依頼し建てたと言われています。春田邸は、洋館と奥にある和館で構成されており、昭和22年から26年まで米軍第五航空隊司令部により一時接収されました。現在は、洋館部分が創作フランス料理のレストランとして使用されています。
こちらも休館日。
折角ここまで来て勿体ないことです。
「主税町長屋門」
典型的な武家屋敷門(長屋門)です
江戸時代の門が当時の位置のまま修復保存されているということで、江戸時代を思い描くにありがたい存在です。



「カトリック主税町教会」
礼拝堂:明治37年(1904)/司祭館:昭和5年(1930)建築
名古屋・岐阜地方に初めてカトリックの教えを広めた井上秀斎がテュルパン神父と共に造った教会。名古屋・岐阜地方のカトリック教伝道の歴史の上で非常に重要な意味を持っています。伊勢湾台風後、入口と外陣両側が増築されたため、側廊ができ、三廊式となりました。礼拝堂正面の3連アーチが優美。鐘楼(復元)の鐘は百年前の仏製。


門がしっかり閉められているのは 「旧豊田佐助邸」
発明王として知られる豊田佐吉の弟である佐助が住んでいた邸宅 大正12年(1923年)建築
右側が白いタイルが印象的な洋館で1階の蓮のつぼみの形の照明や鶴にトヨタの文字をデザインした換気口などが見所です。左側が広い間取りの和館になっています。


おとぎ話にでも出てくるようなこの建物はなんでしょ。
明治43年(1901年)建設という古いたたずまいを残すお屋敷。特に有名人の邸宅ではないというのがまたすごいこと。
現在は結婚式場の百花籠の建物、200m進んだ左手に料亭香楽。

「文化のみち」と称されているだけあって、たくさんの
近代建築が並んでいるのがこの地域です。
今回 月曜日ということと、下調べの甘さでしっかりし見る事が出来ずに残念でしたが、次回は、こちらのサイトを参考に歩かせて頂こうと思っています。
→
名古屋市東区:白壁コース
このあたりに国道19号が南北に走り、東西にも交通量の多いの道路のある賑やかな場所。
名古屋陶磁器会館から「ぶんかの道」あたりへ行こうとして見た風景。
方向音痴ゆえ、見つけられる風景も多くあります。

中華料理店、住宅に挟まれた銭湯。

名古屋の中心部に近いながらも落ち着きのある通り、お似合いの場所にこの建物は佇んでいます。


名古屋陶磁器会館。
名古屋陶磁器貿易商工同業組合事務所として 1932年(昭和7年)に竣工されました。
三階の前方部分が増築であることは、はっきりとわかりますが、それでも1942年(昭和21年)の増築です。

建物左側は現在駐車場となっています。
筒井町商店街近くにある「筒井小学校」
ここは、名古屋市内で唯一戦前に建てられた鉄筋コンクリート造の小学校です。
1936年(昭和11年)建築

塔屋と思しき高くなっている部分から右側が建設当初からのもので、左側は増築らしいとの事。

三階部分のアーチ窓。これが建物全体を優しくしています。
上部の茶色も建物を引き締めています。
日本陶磁器センターを見た後、事前に調べた地図を片手に知らぬ町を歩きます。
ちょっと中へ入ればこんな風景が。

大洋ビルの横に並んでいる「日本陶磁器センター」

(再掲 右の茶色の建物が日本陶磁器センター)
1958年建築。


横に隙間なく並ぶガラス窓と、赤茶色の横ラインが綺麗です。

横面、裏側はどうなっているのかと周辺を歩いていると ん? 日本陶磁器センターの横面?


随分雰囲気が違っています。
三枚硝子の縦長窓 丸窓。




実は、こちら旧館。1937年(昭和12年)建築。
道路拡張のため、1957年(昭和32年)に曳家で現在地に移転。
移転後、この建物の前に新館が建てられました。
そのため、旧館の前面が見えなくなってしまっているのです。
多くの
近代建築を見てましたが、珍しい例です。
名鉄乗車のため、2017年9月11月と続けて東海・名古屋方面へ行ったのですが、さらに興味あるところが増え、三たび12月に名古屋へ行きました。

2017.12.18 京都駅ビルにクリスマスツリーが聳える季節の出発でした。

今回もリーズナブルで便利な高速バスの利用。
名古屋が随分近くなった気がします。
気になったのは名古屋の
近代建築。
駅の近くに多くの
近代建築があると気がつきました。
一ヵ月半前の事なのに計画書を見ないと行程がわからないのは歳のせい?(笑)
名鉄名古屋で下車したあと、地下鉄「高岳駅」で下車。
近代建築ふたつ。 歩道橋から眺めます。
大都市の
近代建築というのはやはり大きい。





1931(昭和6)年竣工です。


近代建築ファンの方はその魅力の所以を建築用語を使って表現されるのですが、私の場合ただ、自分の感性でながめるにとどまります。。 懐かしい。。 美しい。。