★再び 今夏の 青春18切符旅の記事です。 (今日から 「山陰めぐりパス」での旅をしていますので、戻ったらその記事、もしくは 鉄道研究会での関ケ原線廃線跡めぐりの記事を書こうと思っていますのでまた、中断するかもしれません(笑) ) 塩尻での夕食は 塩尻駅一階の「ほっと ざわ」での 「山賊焼定食」 塩尻名物だそうです。   一枚のもも肉を竜田揚げにした感じで、お塩をつけて頂きます。 意外にあっさりと、さくさくとおいしかったです。 これだけでもボリュームあるのですが、定食です。 ざるそばとのセット。  食べるために途中下車する事の殆どない私の旅スタイルでは、夕食はささやかな楽しみです。
9年前に下車したのは、一体何時だったのでしょうか。駅前のスーパーもすでに閉店していました。 ピアゴ飯田駅前店。   このエスカレーターで昭和を感じるのはなぜでしょ? 手すり形状? 色? それとも照明の形? お店の外観も、昭和。やはり「駅前店」は、手を加えられる事なくなっているのでしょう。 系列のショッピングモールが郊外に出来ているようです。 人々の生活が、車によるものになっていっています。
旅先に、スーパーがあればできる限り入るようにしています。  きしめんのカップ麺、信州みそのカップ麺  ん? これも関西で見かけた事がない気がします。   やっぱり、高野豆腐文化。 こんなにたくさんの種類があり1000円以上する価格単位のものまで置いてあります。 高野豆腐の粉が特売になっているなんてのも、関西では考えられません。 どんな風に使うのでしょ。  信州へ来たのなら「ソースかつ丼」と思っていたのですが、観光案内所でお聞きすると 本場は駒ケ根で、駅近くで食べられるところまでは歩いて20分とのこと。。 ピアゴでお昼ごはんとしました。 私の一人旅では、「食」には重きをおかないので、いつもこんなもの。駅でおにぎり。。でなかっただけ上等です。。
9年前に飯田駅で下車した時は、もう日が暮れかけている時。 駅前のお店はすでにシャッターがおり、食事を取るところさえ見つけるのに苦労したのですが、太陽がさんさんと降りそそぐ昼間は全く印象が違います。 飯田市の中心駅というだけあり、そこそこの賑わいがあり、ここもまた観光拠点の雰囲気が漂っています。 
観光地「天竜峡」を見渡す、立地が最高の「天竜峡駅」 ここは、天竜川ライン下りの発駅でもあります。  
平日だからでしょうか。ひっそりとしていますが、そぅ~と様子を見てみました。   交通の便がよくないところです、さすが帰りの事まで考えてくださいます。 でも2900円かぁ。。。  対岸からの写真です。    冬には、こたつ舟もあるそうで、面白そうで、さらに雪景色の中 舟に乗ってこたつに入っているというのもオツなものでしょうね。
 雨の長野駅前。 バスの時間まではかなりあるし、どうしようか。善光寺あたりまで歩いてみようかと思っていると、蕎麦屋さん。 食べたかったんです。 信州へ来たら、なんたって信州蕎麦。 でも「 食旅」しているわけじゃあないから、なかなか遭遇しないし、やっと見つけても時間的余裕がなかったり。 「駅旅」をしている人は、多分みなさんそうだろうと思います。 今日のお昼には、なんとか蕎麦を頂けたけれど、「信州蕎麦」と銘打っているわけではありませんでした。  駅前の大きなお店。 観光客相手が主というわけでもなさそうです。
 蕎麦だけじゃきっと、物足りないんです。  うわぁ~ おいしそう~。 いろいろのってる~。 綺麗~。 おろし大根、なめこ。 信州らしさが漂っています。 よく冷えていて、歯ごたえ十分。 旅の終わりに「 食」で大満足させて頂きました♪  → そば亭油や
旧軽井沢駅舎。 現軽井沢駅 旧1番線ホームに寄り添うように復元されています。 その一番線ホームには、古い車両が並んでいました。   
近代建築がある小さな森の反対側。 軽井沢銀座商店街の通りの奥に見えている塔は、「軽井沢聖パウロ教会」でした。   昭和10年 レーモンド設計
  近代建築を追い求めていた頃、教会の内部にも、なんの抵抗もなく入室して 建築美を捉えたくて写真を撮っていました。 いつの頃からか、この吊下げ札にもあるように宗教的に神聖な場所である事を意識するようになり、キリスト教徒ではない自分が入室することをためらうようになったのです。 。。。。 かと言って、このように 覗き見るような形で写真を撮ることは、それ以上に宗教的に許されないことかもしれませんが。   屋根の形は、和風建築をも連想させます。  後ろからの姿がかわいい。奇抜ともいえましょうか。  
軽井沢銀座商店街から一歩入って、テニスコートを見つけた時、「ここが美智子さんと天皇陛下が出会ったというテニスコートなのかな?」 「いやいや、そんな簡単に見つかるわけないやん」 と思ったのがそもそもの間違い。 ただならぬ、静かな空気の中に点在する近代建築に目を見張りつつ、下調べもしてない私に、近代建築が押し寄せてくるわけないと思ったのでした。 ところが、このあたりこそが、軽井沢の近代建築群なのでした。  向こうに見える、ハーフティンバーの赤い屋根の建物は 軽井沢会テニスコートクラブハウス。 切り取って拡大してみます。   昭和5年 ヴォーリズ設計
軽井沢にヴォーリズ建築が多数あると知りつつも、まさか駅からの徒歩範囲に多くあるとは思いもしていなかったので お上りさん感覚で町歩きの計画をしていました。 でも、実は 軽井沢銀座の裏手にいくつもあったのです。 「この近代建築はなんだろ?」と撮った写真が 実はヴォーリズ建築だったなんて ヴォーリズファンだとは言えません。 これもヴォーリズ建築。 かの有名な「ユニオンチャーチ」 なんてことでしょ。もっとじっくり見るべきでした。
    まるでふたつの建物が並んでいるように見えるけれど、一体です。 ヴォーリズさんらしく「窓」を上手に使っています。 1906 (明治34年) ヴォーリズ設計。
軽井沢は近代建築の宝庫。 ヴォーリズ建築の宝庫。 今回は、途中下車して「軽井沢」って所を、とりあえず見てこようという気持ちだったので、具体的場所も調べていませんでした。 観光案内所で頂いたマップを参考に、近代建築らしい場所に行ってみました。 軽井沢銀座からは、ほんの一本 路地を入るだけ、という場所でこの建物発見。  ヴォーリズ建築とすぐわかる建物。 大正13年 三越社長、朝吹常吉ら日本人有志14名の出資によって建設されました。 W.M.ヴォーリズ建築
 表札は建設当時のままのものだそうです。    少しずつ、手は加えられているけれど、綺麗に保存されています。 赤い瓦屋根。下見板張がヴォーリズさんらしさです。 現在でも催事場、講演会、コンサートに使用されているそうです。 銀座通りも一歩入れば、異国情緒すら感じる白樺並木の 軽井沢です。 
 いよいよ軽井沢銀座。 多くの人が歩いておられます。
軽井沢の観光的中心が「旧軽井沢」「軽井沢銀座」であるということは、旅の直前に調べ、バスがあるのだという情報までは得ていましたが、バス停がよくわからず、観光協会でお聞きしました。 「バスはありますが、歩いても20分程度なんで町を見て歩かれるといいと思いますよ」とのお返事。。 関西人ですから、軽井沢については「上流階級の避暑地」という概念のみ。この間 ブラタモリで、町の様子を見たのが始めて。 まぁ。。いっか。歩いてみましょ。   駅前からひろーい道がまっすぐ続いています。
信濃追分駅。 周辺には、お店も学校も、昔ながらの集落もなく。 特徴のない町のようですが、南東方向に軽井沢を感じさせてくれる風景がありました。
   木立に囲まれたおしゃれなお宅。 ゆったりと、まるで外国のような。。 こんな風景は今まで目にしたことがありませんでした。 いよいよ軽井沢なんだなぁと。。  でも、その昔 このあたりは、寂しい場所だったのでしょうか。
次の電車まで、少し時間があります。 ここらあたりで 食事をしないと、またお昼抜きになります。 ローカル線の旅は、そういうもの。 自分が惹かれる駅で降りれば、そこには、何もありません。 駅前に「お 食事」のノボリ発見。  
 なかなかいい雰囲気。 駅前で何年も飲 食店をやってきているのでしょう。 親に連れられ、外 食に目を輝かせていた幼き昭和の時代の雰囲気が漂っています。   信州と言えば、お蕎麦。 ところが、昨日からまだ一度も口にしていないし、このままだと、お蕎麦を 食べないままかもしれません。 果たして、このお店の蕎麦が、生粋の信州産であるかどうかはわからないのですが、どうしても蕎麦を 食べたかったのです。 具たっぷりの天婦羅蕎麦。 よくわからないけれど、滋賀で 食べるお蕎麦よりおいしかったのは確かです(笑) やはり、信州。 善光寺の笹熊手が掲げられていました。 食事を終えて振り返れば、ここきビジネスホテルなのでした。 
 大屋駅から1.5キロの距離にあるという「海野宿」は北国街道の宿場町。 帰ってきてからサイトを見れば、街道好きの私が惹かれる魅力がいっぱい。 時間調整をうまくして是非とも足を伸ばしたかった場所です。 → 海野宿 街道沿の雰囲気が漂っています。 
別所温泉の静かな通りを歩いていて、立ち止まってしまいました。  子供の頃に見かけたような自転車が三台。道路脇に寄り添うように停められていました。  自転車の前の建物の中をのぞくと、またまた懐かしいものがいっぱい。 懐かしい乾電池も見えています。
なんなんだろ、ここは。  「cliosed」 あ、お店なんだぁ。。。  なんやら、お店の情報のようです。 メールアドレスも書いてあります。。 以前お店をやっていたのかなぁ? 気になりながら、その場を去りました。  後日 調べると ここは若い青年が経営する古道具屋さんなんだそうで、素敵なフェイスブックもありました。 ひとつ、ひとつの古道具を心暖かく、守っておられるのが、素晴らしい。 五月の連休頃からの営業だったようで、残念。 ゆっくりと店内を見たかったなぁ。。 また行く機会あるかなぁ。 → 古道具店・店主保科大輝
 別所温泉駅降りてすぐ坂は二つの方向へ 人の心理は、何故か右ですね。 これは右利きの者の心理かなぁ。
八木沢駅。少しだけ歩いてみました。  北方向、橋の向こうにはいい感じの道が続いていて集落が見えています。  橋の竣工は昭和42年3月。
  絵に描きたくなる風景です。
「中塩田駅」の近くを少し歩いてみました。 南側には、旧家がたくさんあるようでした。  
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