テレビニュースで見る、節分の豆まきを一度この目で見てみたいと思っていましたが、仕事柄、休みになる事は滅多にありません。
やっとめぐって来た、節分の日のお休み。
新年に行った建部大社へ行ってきました。
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建部大社参拝参拝した1/16には、人はまばらでしたが、節分祭となるとやはりいっぱい。
参道の両脇に駐車、さらに行列が出来ていましたが、自転車で出かけた私はすんなりと境内に入る事が出来ました。


参拝を済ませ、甘酒の接待を頂いてほどなくすると、追儺弓神事が行われました。

続いて豆まき。


これが、なかなか豆はキャッチできないのです。
気力でしょうか(笑) 遠慮は無用。。(笑)
でも前におられた背の低い女性が頭を押さえられている姿が気になって私はなかなか。。。
たったひとつ。。
丁度私の手の中に飛び込んで来てくれました。

大きな黄色い袋にはお菓子が入っているらしいのですが、ひとつでも頂けたこと大満足でした。
夜は例年通り、娘の家に鬼がやってきて、恵方巻とイワシフライを頂きました。


1月も今日で終わり。賑やかで多忙だった年末年始はもう遠い昔の事のように思えるくらいに、穏やかな日々を過ごしています。
そういえば、1月は 鉄道関連のお出かけは一度もありませんでした。それでもしっかりと、「鉄道忌避伝説の謎」やら「旅と鉄道」を読んだり、路線図を眺めて“行きたいなぁ”と思ったりしていました。
新年を迎えると、神仏に手を合わせたくなってしまうのは、日本人だからでしょうか。
神社に参拝する事の多い月でした。
「近江神宮」
鉄道歴史研究会で一緒の方が、禰宜さんをしておられるので自然と足が向いてしまいます。

なんと言っても朱の楼門は、自然の中に華やかに映え 心を引き締めてくれます。

ゆったりした境内に立てば、心穏やかになります。





ずらっと並ぶ絵馬は、ちょっと普通の神社の物とは違っています。
ジャニーズの「嵐」というグループの幸せを願う物、コンサートチケットの当選、神席獲得を願う物。。
滋賀県栗東市荒張 市街地からちょっと離れた所にある「大野神社」
嵐のリーダー 大野智さんと同じ名前である事から ファンが集まるようになりました。
2015年<滋賀・湖南4市PRモニターツアー>に参加させて頂いた時、大野神社をバスの車窓から見せて頂き、その後 大野神社とカフェアプリさんで作られた 「大野バウム」を紹介して頂き、大野神社の禰宜さんのお話しをお聞きしました。
嵐ゆかりの、大野神社 がこの滋賀県にある事を知ったのはその時でした。
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カフェアプリ 大野バウム <滋賀・湖南4市PRモニターツアー> (滋賀県栗東市)2019年1月27日 嵐の活動停止が発表されると、さらにファンがさらに訪れるようになったとのニュースが流れました。
ドライブがてらの参拝。。 いえ ミーハー?(笑)
1月20日、小雨の降る中、 今年も自治会主催で「どんと焼き」が行われました。

竹を高く組んだ中に、門松や注連縄、書き損じた書初めなどを入れ、一緒に燃やします。
Wikipediaでは「門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる」と記されています。
大津市中心部に住んでいた子供時代にはそのような行事に直接触れる事はなく、この地に住んでいた祖父母が「注連縄やら失敗した書初めがあったら、小正月に持っておいでや~~。 書初めが たこー 上がったら字が上手になるんやで~~」と言っていました。
始めて「左義長」を目にしたのは、この地に住むようになり子供会役員をさせてもらっていた時。(その頃には、どんと焼きとは言わず、「左義長」と呼ぶになっていました)
前日の午後から準備。三役さんは夜を徹して 左義長の櫓が倒れないかの見張り。
そして午前5時半に点火。 お正月飾り等が燃えている火で、竹に刺したお餅を焼いて、それを、おぜんざいにして食べます。
明け方の闇夜の中の左義長の火は、まさに神秘的で心あらたまるものがありました。
翌年は参加させてもらったものの、そのあとは気に留める事も時が流れました。
25年後。再び、左義長行事を身近なものとして感じるようになったのは、主人が自治会役員となったからでした。
子供会での維持は難しくなり、自治会の仕事へと変わり、「5時半」という点火時間も「10時」と変わっていましたが、絶えることなく伝承されていました。
生活スタイルの変化により、参加者も年々減少しているそうですが、この先末永く続いていく事を願います。

昨年は雪の中での左義長。
参加出来る機会を見つけたいと思います。
(画像はすべて主人提供)
鉄道好きの私も、何故か新年は神社仏閣に参拝したい気分になります。
京都に惹かれていたあの頃に戻ったようです。


日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祭神とする近江国の一の宮


奉納されたお酒がずらり。

社殿の後ろから参拝する習慣は子供の頃に親から伝えられてものですが、建部大社では、後ろからもお賽銭がうまく入れられるようになっていました。
その隣には、さざれ石がありました。


稲荷社。


昨年、京阪タイムス掲載のために、「エンコ」について取材をさせて頂いた際、「建部大社でも自噴しているんですよ」とおっしゃっていました。
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大津けいはんタイムス 2018年駅号「沿線水紀行」の10番に掲載しています。


新年になってから、いくつもの神社にお参りしましたが、「おみくじをひきたい」という主人と行った神社で、こんなおみくじに惹かれてしまいました。
あらためまして、みなさま 新年おめでとうございます。
例年どおり、年末年始から娘家族の来訪、妹一族の来訪、従弟の来訪 父の実家・母の実家への新年のご挨拶、お墓参り。
加えて、仕事の方は 一年で最大の繁忙期。 本当に目の回る日々でしたが、やっと落ち着いてパソコンに向かっています。
一生に一度でいいから、年末年始を海外で過ごしてみたい。。いえ、贅沢は言いません。温泉でいいです。。
いえ 贅沢は言いません のーんびりと誰にもじゃまされない年末年始を過ごしてみたいものです。
元日は例年通り、父の実家へ年始のご挨拶(と、言っても今では父の男兄弟の子供とその子供が集まります)と、先祖代々のお墓参り。
その後、運よく夕方までの「ひとりの時間」が出来ました。 さて、どこへ行こうか。 家に帰ってのんびりとするのもいいけど 元日です、初詣に行きましょ、どこへ行きましょ、イノシシ年とくれば「護王神社」でしょ。
京都に魅せられ極める直前まで歩いた私。 「今の場所は浜大津、今年はイノシシ年」という事での直感です。

地下鉄丸太町駅下車。 烏丸通を北へと歩きます。
「そんなに遠くはなかったよなぁ」と進むと なにやら行列。何があるのか?。。 なんてのんびり歩いていると、その列が護王神社へのものである事に気づきました。
神社に沿った烏丸通から一つ目の角を西へ室町通あたりまで続いていました。

さーてどうしましょ。京都にはたくさんの神社があります。 でも折角ここまで来たのです。イノシシ年です。
それに列の動きも早い様です。
ところがところが、どうでしょ。途中から列の動きは悪くなるし、やっと鳥居をくぐったかと思ったら境内を何重にも折り返しています。
でもここまで待ったのです。








一時間半は待ったでしょうか。
やっと参拝は出来たものの、足早に境内を出ないと、後から後から人が押し寄せてきます。
境内の様子を見るもそこそこ、お守りを手にするのもそこそこに脱出です。。
普段は訪れる人は数少ないだろう小さな神社です。
「知る人ぞ知る」神社だろうと思っていましたが、間違いでした。
列に並んでいた人たちのお話しを耳にすると「京都、イノシシ、神社」で検索すると一番に出てくるそうですし、おすすめ初詣神社のトップにもあがっています。
まさかの、大混雑の護王神社でしたが、元日風景を目にするとが出来て良かったです。
当日私が列に並んでいた時の動画がありました。報道の方が列と反対方向に走っておられました。
→ 初詣で混雑する護王神社12年前の1月4日に訪れた時の様子です。
→ 初 京都ひとり歩き今年は1/2~1/6には、入場制限までかけられたそうです。

14時23分 倉吉駅発 京都行。

指定席で京都まで特急に乗れるなんて、贅沢すぎます。




車内はゆったり。鳥取駅で多くの人が乗車してこられましたが、隣の席に座られる方は京都駅までだれもおられず、快適そものでした。

「山陰めぐりパス」
おかげさまで、多くの場所を回る事ができました。
とてもいい企画切符でした。
「山陰めぐりパスの旅」
全行程をアップする事が出来て、ほっと ひと息。。
今なお完結していないもの、まったく手がつけられていないものがありますが、いつか。。と思っています。。
長々とおつきあいありがとうございました。
山陰めぐりパスでの旅、3日目は津和野を11時過ぎに出発して、倉吉駅に到着したのは15時過ぎ。
それから駆け足で倉吉の土蔵の町をみてホテルにチェックイン。
4日目は倉吉線廃線跡探訪。 (梨用はすでにブログアップ済)
倉吉駅に戻ってきたのは12時頃でした。
14時23分の、「はくと」にしばらく時間があるので、のんびりと昼食を取る事にしました。
私旅では、食をメインとせず、できるだけ多くの興味あるものを見る事にしているので、昼食は車中でおにぎりを食べる事が多く、夕食もひとりで外に出ていくよりホテルでゆっくりテレビをみたり、翌日の行程の確認をしたりするので、コンビニ弁当で済ませる事がほとんどです。
4日目。
ちょっと おすまし顔のホテルセントパレス」の一階レストランでの食事です。





1400円のランチ。
もう後は、帰るだけ。
のんびりと、4日間の旅の疲れを癒しました。

本町通から北へと歩いてきて出会う変形交差点。




くるっと回って、津和野駅に戻ってきました。
なんの下調べもなく、ただ「津和野の町を歩いてみよう」と歩いただけなので、見落としがたくさんあります。逆に下調べがなかったからこその、発見や驚きがありました。
さて。。 ここから 一気に倉吉まで戻ります。

津和野駅下車、観光メインルートのちよっとだけ反対側。
趣のあるお店は綺麗に飾られています。



「鯉の米屋」?



「ご遠慮なくお入りください」 と言われても お米を買うわけじゃないしなぁ、店内をのぞき見しただけでした。
帰宅後調べてみると、たくさんの綺麗な鯉が泳いでいる動画がありました。
もう少し勇気を出していれば、と思います。
お店の奥にお庭があり、たくさんの綺麗な鯉が泳いでいる事は、帰宅後ネットで調べて知りました。

気になって立ち止まった建造物
「染と織のやまさき」
昭和初期の建築です。




二階部分を取り巻くような長窓。 ブリキ?で作られた文字。
窓と窓の間には照明器具も取り付けられています。
夜になれば、なお綺麗な建造物でしょう。
津和野のメインストリートは華やかで楽しいのですが、その裏の風景、通りを見通した風景も素晴らしいものでした。




「つるべ」は井戸水をくみ上げる時に使うバケツのような容器の事なのですが、 どうしても「笑福亭鶴瓶」さんを連想してしまいます。
「おっ」という感じでシャッターを押しました。

その隣のお寿司屋さん、「みのり」。 食品サンプルのあるお店は少なくなりました。


観光センター「石州館新館」



団体さんを受け入れる施設になるのでしょうか。
近代建築かと思いましたが、そうではないようです。
私が宿泊したホテルの目の前にはこれらの飲食店が並んでいたのですが、17時50分にチェックイン後はすべて営業終了で、コンビニ弁当の夕食でした。。
津和野の町を歩いていると、目に留まるのは「源氏巻」の看板やお店。
源氏巻の発祥・由来には、さまざまな逸話があるようですが、津和野の町には源氏巻を作っているお店が9店。
それぞれお味も違うのだそうです。


食べ比べセットも販売されているようで、気になります。
→ つわの銘菓源氏巻食べくらべセット

殿町通の重厚な和風建築は、なまこ壁に囲まれていました。
どなたかのお屋敷だったのかと思ったら実は、現役の津和野庁舎でした。


大正8年(1919)建築。 一時、警察署として使われた事もあったそうですが、その後、役場として使われ続けています。
「タイムスリップしたような」という表現は、こういう建築物の事を言うのでしょう。
大正期に建てられたものなので、多くの改装、改修はされているのでしょうが、外観は「そのまま」を忠実に守り続けておられます。
見た目にはわからない改修、改装を繰り返してこられたのでしょう。
このような保存の仕方、私は今まで見た事がありませんでした。



現役の役場という事で、あまり近寄って写真を撮る事はしなったのが残念です。
庁舎内はどのようになっているのでしょ。とても興味のあるところ。
見学会があれば、飛んでいきたいと思います。
本町通で目に留まった建物。

(手に持っていた資料が画像に入ってしまいました。慎重に写真を撮らないといけませんね。)
土間と土壁の残る種屋さんだそうです。
明治/1883-1896/1912-1918改修
登録有形文化財。



正確には、この建物に貼り付けられているプレートが気になって立ち止まったのでした。
店内には生活雑貨を扱うギャラリーもあるそうですが、残念ながらお店は空いていませんでした。
平日の朝9時は、のんびり見学しながら町あるき。。という時間帯ではないようです。
本町通にある「古橋酒造」

ここでも、私の目に留まったのは、店舗である綺麗な和風建築ではなく、その横にくっついている大正~昭和初期に増築されたと推定される部分。

明治大正期からの店舗は改修されてて、真ん中が大正~昭和初期、手前近年に増築されていると思われ、気になるのは真ん中の部分です。
カトリック津和野教会近くにある 「分銅屋七左衛門」
建築物そのものよりも、重厚なタイルが前面に出ていて、その形が柔らかい事に目が行きました。


分銅屋さんの歴史は古く元禄10年(1697)の津和野藩の地図面に現在と同じ形の屋敷が記載されているのだそうです。
母屋は寛永6年(1853)の大火直後、普請で建設され 江戸時代の町屋の様式を保っていて国の登録文化財となっています。
予約制で見学できるようです。
江戸時代の町屋というのは珍しく 機会があれば見学してみたいものです。
分銅屋七左衛門本店 (津和野観光協会)