松本電気鉄道終着駅からさらに延びている線路は、1984年廃線となった「島々駅」までのもの。


廃線になった線路の上を一人で歩いて辿る勇気はない。。
野麦街道(国道157号)に、回り込んで、遠目に廃線跡を辿って見ることにしました。

線路は野麦街道に沿って続いていますが。。 どこに入れば不法侵入なならないのか。。冷や冷やしながら小さな道に入ってみると。

線路が見えました。

日高へと続く野麦街道。山が迫り 小さなドライブインがあり、車で来たならそれはそれで 風情があっていい感じだろうなぁ。。
山は雪。。いえ。。風が冷たく雪が舞い。。薄着をしてきた事を後悔して身震いしながら歩きました。

線路が確認できたのは、このあたりまで、わずか十数メートル先だったでしょうか。。
新島々駅から島々駅までは1.3キロです。

1985年に廃駅となった「島々駅」は、見通しのいい「新島々駅」前に移築されていて、その美しい姿を何処からでも眺める事ができます。
上高地への玄関口として賑わった駅舎らしく山小屋風で、山好きの人には胸高鳴る思いだった事でしょう。
天井が高いけれど、内部は二層になっているのかな?

観光案内所として利用されているそうなのですが、残念ながら私が訪れた時にはそんな様子もなく駅舎内に入る事は出来ませんでした。


現役時代の画像を検索すると、「舎駅々島旧」と書かれている部分には「車電行本松」と書かれています。
左のベンチ部分は当時も待合のベンチがありました。

建物裏側のこちらは石垣により一段上がっていて、ホームになっていて、前に線路があります。。
移築という形ででも、このようにきちんと保存されている事は、とても嬉しい事です。


松本電気鉄道 終着駅 「新島々駅」
国道158号線(野麦街道)沿にあります。
開業当初は「赤松駅」を名乗り、その先さらに「島々駅」がありました。
1966年 「島々駅」にあったターミナルを こちらに移転した際「新島々駅」と改称。
その後、台風などの土砂災害により、「新島々駅」から「島々駅」間が不通となり、そのまま「新島々駅」が執着駅となりました。
大きく綺麗な駅です。

新村駅の前を斜めに走る道の先は、踏切で、その正面はお寺。
日本的ないい風景です。

こういう地図も、昭和の時代にはあちこちにありました。。。

「新村駅」のこの感じが一番いいなぁって思います。
駅の横を斜めに道路が通っていて、踏切が見えます。


でも、どの角度から見ても、綺麗。

真ん中の丸は、筑摩鉄道時代の社紋
横の稲妻模様は「電気」を象徴しているとの事。
電灯がまた。。昭和を感じさせてくれます。



ホームの真ん中に聳え立つ立派な松。

島式ホーム、この駅で列車交換

なだらかな坂を降り構内踏み切りを渡って駅舎へと続きます。


ホーム側から見ると、普通の木造駅舎です。
でも。。。 ここも現役駅舎ではないのです。。



森口駅と時を同じくして、旧駅舎の営業が終了になりました。



旧駅舎営業終了を知らずに訪れました。
電車が速度を落としホームに入っていって、最初に目に入ったのが新駅舎で。。「しまった」と思いました。
古い駅舎を求めていても、それが消えている事はよくある事、立派な駅舎が誇らしげに堂々と建っていたりすると、寂しくなります。
平成24年3月かぁ。。一年前かぁ。。
嬉しい事に、古い駅舎は残っていました。
でも 現役がいいのに決まっています。
「松本」に行ったのは、「松本電鉄上高地線」の電車に乗りたいから。古い駅舎を見たいから。
新潟県の糸魚川までを結ぶJR大糸線と同じホームからの発車です。
JRから分離した第三セクターの場合駅舎がない事が多いのですが、開業当初から民間私鉄だった鉄道会社としては珍しい構造です。


軽快な色合の電車。



「上高地 乗鞍 白骨」
テレビ、活字でしか見たことのない場所が そこ。。にある事。。
思えば遠くに来たもんだ、今ここに居る。。という感動。

松本電気鉄道上高地線は、松本駅から新島島駅までの14.4キロを結んでいます。
「新島島駅」、しんしま「じ」ま駅と読んでいましたが、「しんしましま駅」 アナウンスも「しんしましま」でその発音が意外な感じで 「縞々」を連想する音でとてもかわいく思えました。


今日は夕刻まで、松本電気鉄道上高地線の古い駅舎をまわります♪