
雨の木屋町通、西木屋町通を七条通から北へと歩きます。
なんとも静かで風情があります。町の歴史を感じる建物が自然に溶け込んでいます。
五条大橋を渡って少しまた引き返した問屋町通の「洛東遺芳館(柏原家)に着いた頃には雨も上がりました。
江戸時代初期、京小間物の扇子の行商から始めて富を蓄え「江戸店持ち商人」として東京-京都間を往き来していた柏原家は、明治初期に東京へ移住しました。それからさらに百年が経つ今も、家は歴史とともに守られているのです。
土曜日のお昼だと言うのに、先客は誰もおられません。広いお屋敷と雨に濡れて緑鮮やかなお庭も貸しきり状態。
そしてなによりも、「写真撮影禁止」だの「お手をふれないでください」などの注意書きも、監視カメラもなく、ゆっくりと座って庭を眺めることもできて、とても気持ちのいい時間を過ごすことができました。
二百六十坪の敷地に三十六部屋。そして広いお庭。

部屋数が膨大なこの家で、主人がよく使っていたのは「水屋」と呼ばれるこの部屋。茶道具が置かれ、傍らには水道をひいた小さな流しが備え付けられていて明治末期までここで食事をしていたそうです。



鬼門封じの猿像は江戸時代から屋根の上に座って東北の方角をじっと見つめています。
こういう町家を落ち着いて静かに拝見させて頂く時間が好きです。
柿が綺麗に色づきはじめ、今年もお店が素敵になってきました。

柿の色が日、一日と変化して、自転車で通り過ぎる私の目を楽しませてくれます。
季節の和菓子の貼紙とともに、季節を感じるこの甘味処は京阪石山寺から石山寺へ向かう参道の途中にある
「茶丈藤村」です。
夜の木屋町通は歓楽街、繁華街としての賑わいを見せるようですが、お昼ととても風情のある通。高瀬川のほとりに
「立誠小学校」があります。
歴史を感じる重厚な小学校。猫ちゃんが何匹もお昼寝していたりするのどかな空気も流れています。
普段はロープが張られていたのですが、
「まなびや2005」というシンポジウムが開催されていて中に入ることができました。

これ、どこにあるかご存知でしょうか?
京都駅駅ビル地下2階。
三省堂書店の横。エスカレーターの近くお洒落な休憩所の所にありました。
いつも京都に行った時は、通過点か、三省堂書店の中に入るので今まで気づきませんでした。
少し暗い場所にあるその時計は綺麗に輝いていました。
駅ビル5周年を記念して作られた。手塚治虫さんの「火の鳥 水 時計」です。
過去から未来への象徴として火の鳥を中央に置き、小宇宙の営みが途切れず続く永遠性を表現しているそうです。火の鳥の下にあるガラスの地球の中には、本物の水琴窟が埋め込まれていて、そこから綺麗な音が神秘的に聞こえてきました。
数え切れない位に京都に行って、京都駅での始めての発見でした。

JR大津駅から浜大津へと通じる寺町通。駅前通として賑わっていたその通りも今はひっそりとしています。その通りに一軒の駄菓子屋さんがあります。

一度目は通りすがりになんとなく写真を撮りました。

二度目はお休みでした。
二階の屋根の下に「波か雲か」の左官仕事の細工があります。

昨日紹介した
「長等神社」ここのしだれ桜の事を、友達のコメントから思い出し画像を見つけ出しました。


家事に合う前の社務所も映っています。
京阪電車石坂線「三井寺駅」下車、そのまま疎水を右に見てつきあたりまで歩いて、左に折れて少し歩くと
「長等神社」です。
昨日の「三尾神社」からは疎水を超えてまっすぐ歩くことになります。



ここはこの朱の楼門が市の指定文化財になっています。
京阪電車「三井寺駅」下車。疎水沿に山手に向かって歩き、長等小学校(母校です)の前を通り過ぎると「三尾神社」の鳥居です。
卯年生まれの守護神として全国的にも珍しいそうです。

「その昔、いざなぎのみことが長等山の地主神になられた。この神は常に三つの腰帯をつけておられ、その色は赤・白・黒その形は三つの尾をひくのに似ていたので三尾神社と名づけられた。ある時、その三つの腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となられ、その中で赤尾神が本神とされ、兎の年、卯の月、兎の日、兎の刻、兎の方より出現された」という言い伝えがあるそうです。
なるほど境内は「うさぎさん」ばかりです。


毎週、水曜と土曜。ここでお習字を習っていました。
終わったあとはここの手水で筆を洗い、そのあと「うさぎさん」にいっぱい水をかけ。。。 境内で夕方遅くまで遊んで帰ったこの神社。
まさか、そんな珍しい神社だとは知りませんでした。
きなりさんのサイトでたくさんの画像をご覧頂けます
趣のある入り口の小屋根は桧皮葺。現在の経営者で五代目。
親子二人で切り盛りされています。
「暖簾を上げてみると、脱衣場と風呂場とを仕切る欄干が目に入る。
端から端までつながった松の木と鶴の透かし彫り。その真ん中に福助人形が置かれている。脱衣場の床は板の上に蓆のようなものが敷いてある。風呂場の壁には、富士山が描かれている。
(「
大津百町物語」からの抜粋)

カメラが斜めになっているのではなく、坂道のところに建っているのです。

ここは 逢坂山から浜大津へ下る道。斜めの道に対して水平に建っているというのも、また面白いと思います。
子供の頃、家にはお風呂がなく、夕食後、家族でいろいろな話をしながらお風呂屋さんに行くのはひとつの楽しみでした。
あの頃のお風呂屋さんどうなったのでしょう。

バス停の後ろにあった「大津湯」 住宅になっていましたが、ちょっと離れたところに移転していました。

「大津湯」がお休みの日に行っていた「昭和湯」
あの頃とは姿が変わっていましたが、同じ場所にありました。

工事と定休日が重なった時に行っていたお風呂屋さん。
住宅に変わってました。

ここもお風呂屋さんでした。

今じゃ お風呂屋さんは日常的な場所じゃなくなりました。
面白いサイトを発見しました。 →
お風呂屋さん的京都案内
「神泉苑」こちらも京都の名所のひとつでありながら、まだ行っていなかった場所。
京都の旅『らくたびコラム』さんの「祗園祭と神泉苑」と言う記事を読んでから、尚、興味を持ちました。

こちら本殿です。
本殿よりも印象的なのは池と、朱塗りの太鼓橋。
「法成橋」です。真面目な願いを一つして橋を渡り、善女竜王社にお願いすると叶うと言われています。


ここを見落としがちなのは、二条城の真南にあること。
その真南の二条城側から入ろうとすると、「
神泉苑平八」さんという、料理屋さんを通って入る形になるので とまどいました。

こちらの船は 食事をする場所です。
神泉苑と平八さんの関係が少し不思議です。
訪ねたのは、お月見の日でした。こちらでのお月見は静かで神秘的だろうと思います。
今度は御池通から正式な入り方をしようと思っています。