早いもので、今日は大晦日。
みなさまどのようにおすごしでしょうか。
あれもこれも、済ませてしまわねば。。と落ち着かない気持ちはわかりますが、無理をせず穏やかに新年を迎えましょう。。
贅沢言い出したらキリありません。穏やかに家族揃ってお正月を迎えられる幸せをかみしめましょう♪
今年は、皆様のブログ訪問、私のブログ更新も滞りがちでしたが、マイペースでぼちぼちいけたらいいなぁと思っていますので、よろしくお願いいたします。
今年、一年ありがとうございました。。
皆様、よいお年をお迎えください。。。。。
和歌山串本橋杭岩にて。
有効期間が三日間の「南紀パス」
丸々三日間使えるのが一番いいのですが、仕事の都合で三連休は取りづらく午後からの出発となりました。
新大阪発の「スーパー くろしお」 和歌山方面へ特急で行くのは生まれて始めて。
15時新大阪駅発。
和歌山駅手前の紀ノ川橋梁を通過する頃は、車窓から夕日が見えました。
12月の日没は早い、やっぱり三連休取りたかったなぁ。
串本駅着は18時過ぎ、すっかり暗くなっていました。
駅から歩いて20分位でしたが始めての土地の夜道は不安でタクシーで宿に到着。
うどん屋さんを営んでおられる小さな民宿でしたが、お店の方がとても親切な方で心地良かったです。
夕
食はお店の「まぐろ丼セット」でお腹いっぱい。。
目の前は海。。 民宿だからこそこのお値段で「オーシャンビュー」
今年も、通勤路の住宅街に「カレンダーご自由にお持ち帰りください」と。。多くのカレンダーが置かれていました。
ひと頃と比べると少なくなったとは言うものの何枚かのカレンダーは既に頂いていますが、なかなか気に入った見やすいものがないのが現状。
それにこちらのお宅、建設関係の方とのお付き合いがあるのか、建造物写真のカレンダーが多く、今年一年使わせて頂きました。
今年も何枚か有難く頂いて来ました。
シンプルイズベスト。。なんですよねぇ。こういうカレンダーが一番見やすい。
リビングのテレビの上に、今年もこちらで頂いたカレンダー架けさせて頂いていました。
こちらは現代建築のカレンダー。無機質な建造物から感じられる美しさ、暖かさに惹かれます。
今年使わせていただいていたものはこちら。
こちらのお宅、どうしてこんなに多くのカレンダーをお持ちなのかはわかりませんが、毎年助かっています。
今年も実は。。通勤しながら期待していたのでした。
JR西日本では時々、超破格値の企画切符が売り出されます。
2年前の西日本パスも、驚くほどお得な切符でおかげさまで、九州各地を随分楽しませて頂きました。
そして今回の「南紀パス」
JR往復特急列車(普通車指定席)+ 紀伊田辺駅~新宮駅三日間乗り放題+現地でのバス三日間乗り放題これで京都市内からの料金が6500円!!
普通車しか乗れない青春18切符三日間6900円よりも安い!
そしてさらに、JR西日本では珍しく、一人でも使えるんです。。
これはもう万障繰り合わせて出かけるしかありません。。
因みに、私は一日目串本駅まで、三日目は新宮駅から、特急指定席を使いましたが、これだけでも約13000円。
加えて、乗降自由区間を何度も乗り降りしています。
加えて、新宮駅から紀伊田辺駅までのバスは3500円。
ざっと計算しても6500円は三分の一以下のお値段となります。
詳細 →
「JRおでかけネット」
私の鉄道旅の楽しみは、古い静かな鉄道駅舎に出会う事。。古い駅舎に身をおくこと。。
でも今回は、特急に乗ること。。 ぼんやりと何時間も車窓を眺めている時間が大好きです。。
駅舎は、春に青春18切符で紀伊半島を一週した時に、気になるところは見ているし、特急を含めても1時間に2本弱では途中下車にも辛いものがあります。
それよりも、今回はバス路線に重きを置きたい。。
和歌山の内陸部を横断しているバス路線に大きな魅力を感じました。
いつもの私の旅とは少し違った観光的な旅となってしまいましたが、いつものフリー切符では訪れる事のできない温泉。。山の中。。
かなり満足して帰ってきました。。
何かと忙しい毎日ですが、少しずつ、私の見たもの、感じたものを紹介していきたいと思います。
どの色? 案内板の奥、擬宝珠の手前、塗装されている茶色?です。
ん? 部分的に塗装された感じは、どうも首を傾げたくなる色ですが、全体に塗装されると「木製橋」のイメージになるのでしょう。。
唐橋の色については、いろいろ論議されてきたようですが、この色に決まったんですね。
私としては、宇治橋のように「朱」がいいのですが、それはまた 唐橋が浮いた感じになるのかもしれません。
耐震化と伸縮装置の取替えもするようです。
橋の外側に工事用の通路が設置されています。
船の航行にも注意が促されています。
暫く、こんな風景が続きそうです。
島根県の一畑電車がストーリーの軸となった前回の「RAILWAYS」は、そのうち観に行こうと思っているうちに終わっていました。
私が一畑電車を乗り降りしたのは、まだ島根では上映中、あちこちにポスターが貼られている暑い夏。
秋になり、DVDが発売されるのを待って、すぐに観て、映画館で見なかった事を後悔しました。
そして、再びの「RAILWAYS」
今回は、私の大好きな「富山地方鉄道」
今度こそは、見逃さないぞ。。と公開4日後の今日、行ってきました。
「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」
ローカル鉄道好きの私が、このシリーズを観るのは、やはり「電車」「駅」「沿線風景」が気になるからなのですが、前回同様ストーリーに感動します。
今回は、定年間近の熟年夫婦の話。
結婚直後に建てただろうマイホームに夫婦二人。愛妻弁当を持って自転車通勤。ごくごく普通の夫婦の間にできる溝。 娘は嫁いでいて出産間近。。
静かに流れるそれぞれの心の動き、風景は、私達夫婦とそう違わない。。心の動きがよくわかる。。
そこに映し出される風景は、父を亡くして始めての一人旅で見た立山連峰の雪景色。。
最後の運転席から見える風景の中に、手を振る娘、先輩。。
やっぱり映画館はいい。物語の中に入りこめる。
思いっきり涙を流す事ができる。。
観たいなぁと思う映画はよくあるんです。「相棒」も毎回見に行こうと思っているんです。
「鉄道員」も見たかったし。。
でも。。映画のためだけに出かけるということに慣れていなくって、「パルコ大津」は15周年。併設のユナイテッドシネマも15周年ですが、始めてでした。。
また、いい映画をみつけたらでかけるとしましょう。
心の洗濯にとってもいいと思いました。
旧大津公会堂(手前の濃茶の建物)の向かいにある「NTT西日本滋賀支店」
子供の頃「電電公社」と呼んでいたこの建物。
各階の突出した軒がアクセントとなり浜大津界隈を飾ってくれているように思います。
いくら検索しても、竣工した年がわからないのですが、1965年位ではないでしょうか。
このあたりにあった、大津市役所、NHK大津放送局、大阪ガスサービスセンターの記憶はあるのに、電電公社建築中もしくは、建築前の記憶がありません。。
いずれにしても、もう「
近代建築」と呼ばれてもいい年代です。
窓の大きさも特徴のひとつでしょう。
浜大津界隈の銀行の殆どが、新しい建物になりましたが、こちらは堂々と残っていてくれて嬉しいです。
今となると記憶力の退化を日々感じるのですが。。。幼い日の記憶は驚くほどに鮮明です。
今朝も、幼稚園で貰ったカルタ「ち ちゅうしゃは、ちくりではいおしまい」 「ろ ろけっとのゆめ、ほしのゆめ」「めんどうがらずに、つめきり ぽっちん」 なんて札を思い出してしまって 我ながら、よく覚えていると関心したものです。
特に妹が産まれる5歳以前の記憶までが鮮明で、それ故、幼い日の思い出を辿る事が好きなのかもしれないと思います。
大津の菱屋町商店街を歩くといつも気になる此処。商店街の間の小さな路地。
ちなみに、おとなりのシャッターの下りてるお店は「キリン堂」さん 帽子はいつも此処で買ってもらいました。頭のサイズに合わせてお店の人が色々と出してきてくれるんですよねぇ。
そのお隣が威勢のいい魚屋さんかな? 母は「四つ切 三つ切」と頼んで切り身にして貰っていました。
あの頃は、そんな風に、ひとつひとつお店の人と会話しながら買物してました。
写真の前は現在 「西友」になっているところ、スーパーでも最近は閑古鳥が鳴きぎみでしたが、現在リニューアル中で、楽しみです。
アーケード商店街のお店の間の、薄暗い路地を入っていくんです。。
子供心にはちょっと気味悪かったかもしれない。。左手にドアがあって。。入り口の手前には小さな池があったかもしれないし、うっそうと背の低い緑の植物が生えていたような気もする。。
中も薄暗かった。。 テーブルは低くって、ソファーの椅子に座ったような気もするけど。。
おばあちゃんが来ると、連れてってくれたんです。
ホットケーキとか。。アイスクリームを食べました。
まだまだ「甘いもの」は貴重なその時代に子供の私は年に何度か、このお店へ行くのが楽しみでした。
確か 「フジヤ」って言っていた気がするんです。
音でしか記憶がないけれど、ペコちゃんはいなかったから不二家ではないでしょう。 今 検索するとこの界隈に「フジヤ不動産」というものが存在するのでその関係のお店だったのかもしれないと思います。
今でもワクワクしてしまう路地の奥の喫茶店。
確かこの路地入るんよなぁ。。
以前一度、居酒屋か何かになっている案内図を見た事があります。
今も? 今も 「海」っていう居酒屋?スナック?
この奥に入ってみたいんだけどねぇ。。 勇気いります。
京都の大丸上階の食堂で、氷に敷き詰められた一口大に切ったスイカを祖父母に食べさせて貰った記憶もあるんですけど。。汁はストローで飲んだんですけど。。
そんな記憶が間違いでないことを明らかにしようと検索しても。。そんな食べ物はみつからないし。。
「フジヤ」もみつからないんです。。
幼い日のぼんやりした記憶として残しておくしかないでしょうかねぇ。