<滋賀・湖南4市PRモニターツアー>「銅鐸博物館」
「湖南4市」とは、野洲市・守山市・栗東市・草津市の四つ。
この4市は、観光事業にかかわらず多方面に協力しあっておられて、横のつながりに積極的です。
野洲駅集合。
今日一日こちらの観光バスで周ります。
最初に訪れたのは「銅鐸博物館」
野洲市小篠原大岩山から、明治14年に14個、昭和37年に10個の銅鐸が発見されました。
その中には、高さ134.7センチ、重さ45.47キログラムと日本一の大きさを誇る巨大な銅鐸もありました。
そのような背景の中、日本古代史の謎とされる「銅鐸」の謎解明に迫る日本初の「銅鐸博物館」が昭和62年オープンしました。
館内には、大岩山から出土した銅鐸の展示をはじめ、野洲の歴史と民族にかかわる展示がされています。
ついつい 目につくのは、古い駅の写真。。
野洲駅と言えば、野洲の教育センターの電算センターで、教育実習を受けた事や、クラブの合宿で青年の城に宿泊した事を思い出します。 いずれも駅から歩いてました。
あの頃の駅は、こんな風だったでしょうか?
ただ、この写真の上(北)には、その時すでにIBMがありました。
隣接している「弥生の森歴史公園」には、竪穴式住居・高床倉庫が復元されていて竪穴式住居には実際に入ってみる事ができます。
体験教室では「まが玉づくり」「土器・埴輪づくり」などができます。
*開催日・日曜日、祝日 夏休み・春休み期間中(休館日をのぞく) 要・申込
春の足音が聞こえてきました。
どこかへおでかけの時、ちらっ。。と訪れてみれば 知識が広がりますよ♪
「湖南4市PRモニターツアー」に参加させて頂きました。
各市のフレッシュな職員さんの案内により、終始和やかで、明るいツアーでした♪
滋賀県の「ブロガーによる歴史探訪情報発信」でご一緒した方々とも、またお会いできました。
思いがけず、ご近所のブロガーさんとの出会いもありました。
おやつも、お食事もいっぱい頂いて、お腹いっぱい。
さらに、お土産もこんなにたくさん頂きました。
さて中身はなんでしょう?
少しずつ、紹介していきます。 お楽しみに♪
「永源寺」と言えば、滋賀県で一番有名な紅葉の名所。
でも。。 2月となれば訪れる人は殆どいないでしょう。
どれだけ歩くとお寺に着くのだろう?と不安な気持ちで石橋を渡り石段を登れば左手の岩肌。
よく見れば十六羅漢様。
冷たい空気がさらに張り詰めた空気になります。
参拝者があるかどうかわからないような2月の平日だけど、きっと早くから雪をのけて、歩きやすいようにしてくださったんでしょう。
石段の両脇に盛り上がった雪に、お寺の心が見えます。
禅寺に「威風堂々」を感じます。
端正な佇まい、凜とした空気。
寒い中お掃除されていた方は、きちんと挨拶をして下さいました。
一軒だけあいていた、駐車場前のお店。
「寒かったやろう、まあ休んで行き」とお茶を入れて下さいました。
赤こんにゃくと、ふきのとう味噌を購入しました。。
滋賀県に生まれ育ちながら、訪れたのは今回が始めて。
紅葉の下の永源寺も素晴らしく美しいでしょうが、だぁれもいない雪の永源寺も格別でした。
「2月は逃げる」と言いますが、2月は残り一週間。
来客有、外出有、残業有、雪有。。。。。て何かと忙しくしていて、ここ数日はパソコンにもゆっくり向かう時間がなく、いろいろ手を広げてるから(?)忙しいのか、要領が悪いのか。。。
コメントレスも遅れがち、みなさんのブログにもお邪魔できずにすみません。。
「まちづくり大津」の方に、「三井寺・別所」の記事を書いているので、ご覧くださいませ。
「おさんぽしながら歴史発見!! 知られざる三井寺・別所の遺跡めぐり」
明日 2/16 午後3時5分から、NHKの滋賀発地域ドラマ「石坂線物語」が総合テレビで全国放送されます 京阪電車石坂線がメインになっていますので、みなさん是非是非ご覧くださいませ♪
→ http://www.nhk.or.jp/otsu/drama/
昨年の夏、
「バスでめぐる工場夜景探訪」に参加させて頂いた時に、全国各地で夜景ツアーをやっている事を知りました。
検索で見つけたのは四日市の夜景クルーズ。
末広橋梁を見たあと、夜の港をひたすら歩く。。 あまりに静かで、あまりに真っ暗でどこを歩いているかわからないけれど、ぷにょさんに助けられ、迷うことなく乗場に到着する事ができました。
申込・払込をしたのは11月。「催行できない場合は一週間前に連絡します」と注意書きがありました。
真冬にクルージングしたいのって、ぷにょさんと私位のものじゃないかなぁ。。連絡来るかもしれないなぁと思っていたのですが、係員の人に聞けばキャンセル待ちまであるそう、参加者も老若男女さまざま。。
ライフジャケットをつけて船に乗り込みます。
三脚・一眼レフの方が多い中。私はコンパクトデジカメ。撮影技術もなくまともな写真を撮る事が出来ませんでしたが、雰囲気だけでもお伝え出来たら。。と思います。
冬の海で輝く光。
人工的な光であるものの、イルミネーションのような装飾の光ではなく、人の生活の営みに必要な光。
その光がこれほどに幻想的な風景を作ってくれるのは不思議です。
コンビナートでお仕事をされていた方の解説では、四日市工業地帯が過去に抱えてきた問題、現在の環境への取り組みなどに触れられ、単なる観光事業として華やかにクルーズをされているだけでない事が感じられました。
近鉄名古屋線の東側をほぼ並行して走るJRの関西本線。四日市駅の東の四日市港に向けての貨物線が伸びています。
途中にある千歳川を渡る「末広橋梁」は、「跳開式可動橋」
川を運航する船舶の通過の妨げになるので、読んで時のごとく、橋が飛び跳ねて船の運航を可能にします。
近鉄四日市駅から、ぷにょさんとひたすら歩いてやっと見えた「跳開式可動橋」は、予想以上に迫力のある大きいもの。
やがて係員の方が自転車でいらっしゃいました。
四日市駅から操作のためにいらっしゃると、事前にネットで調べて知っていたため。。 ぷにょさんと二人カメラを構えて待ちます。。
あ 動き始めました。
(動画に不慣れなため、お見苦しくて申し訳ありません。 橋の先を見ると動きがよくわかります)
この間30秒位。
係員の方はすぐにまた自転車で戻られましたが、橋が閉まったのだから、必ず貨物列車通過するはず。。と
5分。。10分。。 30分 待てども待てどもそんな気配はなく。。日も暮れてきました。
仕方なく諦めて、末広橋梁の南にある橋を渡ります。
こちらも、船舶通過時に、跳ね上がる構造で自分の目で見てみたいものです。
上がった状態のままの末広橋を横目に向かうのは四日市港埠頭ビル。
ここを通る貨物列車が見たかったのになあ。
ここはきっと 貨物の廃線跡。。
後日調べてみたら、休日は橋が降りている状態になるそうで、土曜日の夕方 降ろしにこられただけだっのかもしれません。
イマドキ、自転車でかけつけて、手動で上げ下げするという、原始的な方法も面白いものです。
西日野駅から再び四日市駅に向かって電車に乗り、途中下車したのは「日永駅」
内部線と八王子線の分岐駅です。
近鉄八王子線は、西日野駅の先 1.2キロの「伊勢八王子駅」まで走っていました。
伊勢八王子駅前には、「しょうぶ園」があり、たいそうな賑わいだったそうです。
1974年(昭和49年)に並行する天白川の集中豪雨による水害で日永駅 - 伊勢八王子駅間が休止となり、西日野駅-伊勢八王子駅が廃線となりました。
四郷資料館で、鉄道に興味を持っている私達の様子を見て、伊勢八王子駅には、四郷資料館(四郷町役場)建設のため寄付をした伊藤伝七が興した「伊藤メリヤス」の工場があった事などを教えてくださいました。
さらに、その建物が残っているので 「車でご案内しましょう」とぷにょさんと私を連れてってくださったのです♪
、
1903年(明治36年)建築
塀に囲まれていてうまく見えませんが、蒸気を逃がすための越屋根が屋根の上にあります
後に「亀山製紙室山工場」が使用していましたが平成7年に操業が停止されたそうです。
さらに工場の裏側に回ってくださいました。
空地になっている所には、宿舎などもあったそうです。
旧亀山製紙室山工場途中 西日野駅-伊勢八王子駅 の間にあった、「室山駅」の銘板を置いておられる場所も通って下さいました。
最後は「西日野駅」まで送ってくださって。。。。 本当に暖かく丁寧に案内して頂いて、四郷の町、四郷の人がすっかり好きになりました。
町の人々も、おらが町を愛してやまずにいらっしゃるのだろうと思います。
西日野駅から、思わず身をおきたくなるような素晴らしい風景の中を10分ばかり歩くと見えてくるのが、塔屋が誇らしい洋館が見えています。
1921年(大正10年) 郷土の先人で県下有数の経済人であった第10世伊藤傳七翁(元貴族院議員、元東洋紡績社長)が郷土への恩返しにとの6万円の寄付により、「三重郡四郷村役場」として建てられたものです。
建物を高台にある道路から見ていたら「どうぞ入って見てくださいね」と。。建物の中から声をかけてくださいました。