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琵琶湖疎水 (滋賀県大津市)

琵琶湖から琵琶湖疎水を上りましょう。

ここが取水口。
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ボートが停泊していたりして、どこか港町の雰囲気。
母の押す、乳母車の中から、琵琶湖を見ていたのは何年前?。。
色とりどりのヨットの帆が今でも記憶に残っています。


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取水口から最初の橋。
この橋を渡って六年間小学校に通いました。
親が、車が危ないと言う事で、近所の友達とは違う迂回する道を通学路として届出た事で、近所の友達が少なかったと言う。。ちよっと苦い思い出があります。

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京阪電車が疏水を渡ります。
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「大津閘門(こうもん)」
京都より、また、琵琶湖より乗り入れた舟の水位を調節するためのものだったそうです。
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取水口から三つ目の橋。
ここを再び渡ると小学校の正門です。

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「洞門」
近代化遺産に指定されています。
石・煉瓦造の素晴らしい洞門なのですが、写真がとても撮りにくい位置にあります。

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ここから京都まで2400メートル以上ある大変長いトンネルが続きます。




子供の頃、時々 疏水の掃除だったでしょうか。。水位が下げられ底にわずかに水が残るような状態になっている事がありました。
疏水の水面近くにある通路まで降りて釣りをする人々も見かけました。
あの頃、もっと疏水に近づいていたらよかったなと思うのですが、特に事故を心配していた両親ですから、決して 疏水には近づけてくれなかっただろうと思います。
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[ 2009/07/06 17:00 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(1) | CM(8)

琵琶湖疎水無しに京都市の現在の姿はなかったかもしれませんね。
 史跡が豊富な静かな地方都市か、大阪のベットタウンにとどまっていたと思います。
[ 2009/07/06 19:38 ] [ 編集 ]

★うてきなぷりぱさん

「疏水 疏水」と それこそ幼い頃から、幼稚園の頃から隣にあった言葉で、疏水=川 みたいな感覚で育ちました。
大人になり最近にってからその偉大さを知ったのです。

校歌の中にも「疏水」と言う言葉ある小学校ですから、本来はもっと 疏水についての勉強時間があってもよかったのになあって思っています。
[ 2009/07/06 21:11 ] [ 編集 ]

こんばんは。

以前、私のブログにコメントをお寄せいただいたとき、乳母車の思い出をお書きいただいたいたこと、鮮明に記憶しています。

色とりどりのヨットの帆・・・

お母様の押される乳母車・・・

三好達治の詩を読んだとき・・・みたいに、映像が浮かんできました。

「母よ―/淡くかなしきもののふるなり/紫陽花いろのもののふるなり/はてしなき並樹のかげを/そうそうと風のふくなり/時はたそがれ/母よ 私の乳母車を押せ/泣きぬれる夕陽にむかって/轔轔と私の乳母車を押せ」

海も川も湖も疎水もないとこで育ったので、よけいに憧れが強いんですね、きっと。
今は、めでたく琵琶湖の畔に住んでます(笑)
[ 2009/07/06 22:49 ] [ 編集 ]

昭和初期の頃

ちょうど京都文化博物館で「疏水、流れにそって」という映画を見たところで、「ああ、ここ、ここ」と思ってしまいます。
この洞門の中に小船が何艘も漕ぎ進んでいく様子が写されていて、にぎやかだった時代が偲ばれます。

yumeさんの思い出の地でもある、大切な場所ですね。
[ 2009/07/07 05:36 ] [ 編集 ]

おはようございます
以前 三井寺に行ったときに yumeさんの通学路を通りましたよ
この周辺って 散歩するのにいい場所でしょうね
琵琶湖疎水って素敵な建築物ですよね
[ 2009/07/07 07:42 ] [ 編集 ]

★dendoroubikさん

両親の金婚式の時、娘からの言葉ってのがあって。。(そんなたいそうなものじゃぁなく、近所のお寿司屋さんの二階を借りて親戚で集まっただけですが。) その時言いました。
「幼い頃の記憶が鮮明なのは、父が撮ってくれた写真、きちっとアルバムに整理された写真のおかげです」と。

琵琶湖に佇んで乳母車を押している母の写真があります。
自分の中の記憶と重なり、場所も色もとても鮮明なんです。
あの頃の ヨットの帆って どうしてあんなに綺麗だったのでしょう?。。 ピンク、青、緑。。 本当に綺麗でした。
あの頃から、琵琶湖はどんどん埋め立てが始まりました。

でもこの取水口の姿は変わってないと思います。
[ 2009/07/07 20:04 ] [ 編集 ]

★vivasanさん

私もvivasanのブログを見て、丁度 いいタイミングに記事がアップできてよかったなぁって思いました。

> この洞門の中に小船が何艘も漕ぎ進んでいく様子が写されていて、にぎやかだった時代が偲ばれます。

話には聞くんですよ。あの洞門の中を舟が通っていたって。。 
でもあんな真っ暗な中をどうやって進んだのか不思議なんです。
その映像見たかったなぁ。
[ 2009/07/07 20:07 ] [ 編集 ]

★みえはるさん

6年間 乳母車の頃から友達だった妙子ちゃんとこの通学路を歩きました。
目に馴染んだ風景で、何も感じなかったのですが、今 あらためて訪れると、いい通学路だったなぁって思います。

記事中にも書きましたが、同じ町内の友達は、全く違う道を通っていたのに母が交通事故を心配してここを通学路に指定していて、当時は嫌だったのですが、今は感謝してます。
[ 2009/07/07 20:10 ] [ 編集 ]

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