海津の町にて。  (滋賀県高島市)

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「これお寺さんに供えてください。お寺さんのお参りは4時半でしたねぇ~ みんなに言うときます」

 
告別式を済ませ、血縁親族の方々が火葬場に行っておられる間、血縁でない私達は葬家で時を過ごします。
その間、次々にご近所の方々が写真の布袋を持って来られました。
袋はそれぞれのご家庭での手作り、袋の中はお米です。

血縁親族の方々が戻って来られると今度は徒歩圏内にある菩提寺でのお参り。
ご近所の方々もたくさんいらっしゃいます。
先ほど持ってこられたお米もお寺にお供えます。

再び歩いて、葬家に戻り「お内仏参り」、親族でとりおこないます。

このあと、「仕上げ」「精進落とし」と言われるお膳を料理屋さんで頂き、一連の葬儀行事が終わるまで8時間。

仏事は宗派、地方によりそれぞれですが、
「ご近所の方が手作りの袋にお米を入れてこられ、それをお寺にお供えする。
葬儀の後にお寺参りと内仏参りがあるというのは、はじめてで、もしかすると「海津」もしくは湖北独自のものかもしれません。

ちなみに袋のお米は、お寺さんの容器に移され、それぞれの袋には葬家が9つのお餅を入れてそれぞれのお家にお返しされます。



「海津大崎の桜」で有名なこの町は、重要文化的景観に選定されている落ち着いた風景の素晴らしい町です。
過去記事 → 「海津の町」

待っている間、お聞きしたおばあさんのお話が素敵でした。
80歳を越えておられるというおばあさんは、足がご不自由で歩行はほとんど這ってでないとできない状態ですが、頭はとてもしっかりされています。
お亡くなりになったおばあさんの10人兄弟の長男の嫁=親元 なのでどんな事があってもこの葬儀には最後まで出ていないといけないのだとおっしゃいました。

23歳で両親と他界。
当時の結婚適齢期を過ぎ、知り合いの紹介で嫁ぐことになったもののお金がない。お金がないから山で仕事して なんとか「壱万円」の結婚支度金を用意して嫁いだ。
嫁いだら 10人の兄弟が居る。まだ小学生の子が何人も居た。
当然ながら苦労は多く、また親が居ない事で肩身の狭い思い、辛い思いもたくさんしてきたけれど、お姑さんがいい人だった。。旦那がいい人だった。。  だから今まで私はこうしい生きてこられたのだと。。

 お姑さんもご主人もいいお方だったでしょう。
でも「お姑さんのおかげ、ご主人のおかげ」と言える おばあさんこそが素晴らしいんだと思いました。
体が不自由でもきちんと葬儀に出て、人の手をなるべく借りずに移動して、介助すれば「ありがとう。。ありがとう」とおっしゃる。
「ただの田舎のおばあさんよ」とおっしゃるけれど、決してそうじゃない。立派に一生懸命生きてこられたのです。

どこにでもあるようなお話しですが、海津の町で静かに聞かせて頂いたお話は私の心に大きく響きました。


 帰り際、またそのおばあさんは「姉さん ありがとうな。世話してもろてありがとうな」と繰り返しておっしゃいました。 
「またお会いしましょうね」。。。。




お寺さんの広い本堂には、ヒグラシの鳴き声が、大きく響き渡っていました。



多くの事を感じさせてもらった葬儀でした。。。。。





*ブログでこんな記事を書くのはどうかと思いましたが、お盆も近いのでアップさせて頂きました。
 実父のお盆参りも先週金曜日に済ませました。
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[ 2011/08/07 16:21 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(11)

こんばんは、みえはる様のところから来ました

はじめまして・・・・
滋賀の田舎って、書かれているとおりですよ
このお写真の袋は娘が嫁ぐ時に持たせました何かに付けいるのです

たいがいお米をいれる事が多く、袋にもしきたりがあり近所のおばあさんがプレゼントしてくれました
この後りん台も嫁入り道具です

今はもうしませんが旧の村に嫁げばこんなものですよ

滋賀の事やいろいろ楽しみにさせていただきます
宜しく御願いいたします
[ 2011/08/08 02:07 ] [ 編集 ]

★tyaaさん

tyaaさん はじめまして、ありがとうございます。ようこそおいでくださいました。
tyaaさんは湖西、湖北のご出身でいらっしゃるのでしょうか?
妹は、この地域の長男と結婚しましたが、住まいは県内の別のところなので実際風習に沿わないといけないのはごく濃い親族の冠婚葬祭の時くらいでしょうか。それでもお嫁入りの荷物を届けたら、「竹を折る」という儀式があったそうです。

布袋にも作り方、決まりごとがあるのですね。おりんの台も手作りなのでしょうか?

私は大津市生まれ、大津育ち、大津暮らしなので何も知らないんですよ。私の方こそtyaaさんにいろいろ教えて頂きたく思います。

よろしくお願いいたします。
[ 2011/08/08 17:24 ] [ 編集 ]

yumeさん こんにちは
フリーペーパーのお話はありがとうございます
後にメールで報告します
何年も前に 彦根のお葬式を見たときに
私の地域では見たことのない光景でしたので見入ってしまった記憶があります
湖北では見ることがないのですが
湖西や湖北では お葬式の風習も違うんでしょうね
yumeさんの話もtyaaさんの話も
すべてが初めてのお話で 詳しく聞いてみたいと思ってしまいました
[ 2011/08/09 07:42 ] [ 編集 ]

★みえはるさん

みえはるさん 昨日から暑いですねぇ。室内は現在36度ありますが、暑い(熱い)ところで毎日頑張っておられるみえはるさんを思って頑張っています(笑)
今までは年齢的に通夜に参列する程度でいい立場であったのですが、最近 歳のせい? 世代交代で遠くのお葬式に参列する機会が増えてきました。
tyaaさんは、湖西方面の方のようですので、これからいろんなお話を聞かせて頂くのが楽しみです。

つい最近で意外だったのは、大阪では火葬している間に、みんなでお食事(精進落とし 仕上げ)をするということ。。火葬場にそういう設備がちゃんとあって、先日は別の葬儀をされている方もそうでした。
「おや?」と不思議に思っていましたが 大阪ではそういう習慣なんだそうです。
火葬している時間というのは、確かに長いので 合理的といえば合理的ですが、どうも理解に苦しむというか。。。

大垣ではまた違った風習があるのでしょうねぇ。
またお聞かせくださいませ。
[ 2011/08/09 14:27 ] [ 編集 ]

こんばんは、もう日付けが変わりましたが

寝る前に・・・
私は湖東です、近江平野のど真ん中近代化されていない所が孤島のように・・・

要するに旧の村に当たるところです
又ぼちぼちと

お葬式は所変わればです、島根県はお葬式の前に火葬します、式には遺骨だけ・・・
終ればそのままお墓に入れます、これにはびっくりしましたよ

湖東の法事も一日仕事になりますよ
最近はこれでも簡素化したほうですが、皆さんお経を空で唱えられます羨ましいです
[ 2011/08/10 00:37 ] [ 編集 ]

忘れました

りん台も袋も手作りです、いい生地で作ってくださいました
[ 2011/08/10 00:39 ] [ 編集 ]

★tyaaさん

tyaaさん たびたびのコメントありがとうございます。
私は現在大津市南部に住んでいますが、育ちは大津市中心部 車のない時代でしたから何かと言えば国鉄、京阪電車京津線で京都方面に連れて行かれていました。だから殆ど県内に触れることなく、最近子育てが終わってやっとJR、近江鉄道で滋賀のあちこちに出かけるようになり滋賀を知るようになってきました。
だから、tyaaさんのお話はとても新鮮です。
海津でのお葬式でもみなさん空でお経を唱えられていました。お寺は「町全体のお寺さん」なんでしょうね。
県内の葬儀にも殆ど参列する機会がないのですが、木ノ本駅近くの北国街道でのお葬式に参列した時は喪主の方が白装束をお召しになっていたのが印象的でした。
また、子供の頃の大津市南部での葬儀はそのままみんなで並んでお墓へ行ってそのまま掘ってご遺体を埋めておられたような記憶があります。
おりんの台は、手作りされるのも大変でしょうね。中には何が入っているのでしょう?


島根は昨年夏、一畑電車に乗りたくて青春18切符を使って訪れましたが、平田の町で このような建物を見かけました → 
http://michiyo0520.blog20.fc2.com/blog-entry-2173.html
「葬家」というのは「喪中」である意味なんでしょうか?
[ 2011/08/10 08:27 ] [ 編集 ]

いいお話ですね。。

お通夜ややお葬式、関わりの薄い人だととかく
義務的に参加して事務的に済ましてしまいがち
ですが、文化や習慣の違いを目にしたり、貴重なお話を
聞けたりする機会なのですね。
そのおばあさんのお話のように昔の人は我を抑えて
責任を果たすことが当然であったのですね。
ちょっと思い通りにならないだけで文句ばかり言っている
私など、そんな方々の目にどう映るか・・と考えたら
恥ずかしくなります。
周りの人々に感謝を忘れず、生きていかなければ
なりませんね。
[ 2011/08/13 19:23 ] [ 編集 ]

お葬式は本当に所変わればですね

昔は滋賀でも(湖東)喪主や家族は白装束で素足で藁ぞうりをはきましたよ

安土は長く土葬をされていて最後に土をかけるのが悲しかったですね

りん台は中に何が入っているのでしょうね?梅の形をしていて金襴で作ってもらいました、かなり硬かったですよ

「葬家」・・・これは
最近親戚に葬儀が有りましたがやはり「ここのお家がお葬式ですよ」の感じの提灯が外に立て掛けてありました
葬議場に行ってしまいますのでね、それに喪主も喪服(和装)を着ないで黒服でした
いろいろですね、滋賀よりも島根の方が進んでいるんでしょうか??
[ 2011/08/16 20:33 ] [ 編集 ]

★ぷにょさん

 年齢的に叔父伯母や直接血縁関係にない親族の葬儀に参列する機会が多くなりましたが、お経の間いつもその人の一生について考えてしまいます。特に女性の方だと、やはりこんな?所に1人嫁いできて苦労されただろうなぁと思ってしまうことが多いです。
亡くなられた妹の義母さんにしても旦那の一族ばかりのような漁師町に嫁いできてご苦労があっただろうに入院中は「海津に帰りたい 海津に帰りたい」とおっしやっていたそうです。2年前にご主人が亡くなられた後もご近所の方々と楽しく過ごされていて「まるで町がディサービスのようで、面倒も近所の人が見てくれるんよ」と妹が言ってました。
嫁いできた町も50年経てば故郷。。 最後に帰りたかった場所は嫁いできた町なんです。

 病気をしたり何か大変な状況に陥ると、当たり前のようにしてきた今までの「日常」に感謝するのですが、それが普通になるとまた不平不満が出てしまいます。。
[ 2011/08/17 11:28 ] [ 編集 ]

★tyaaさん

最近は喪主の方でも洋服が多いですよ。50パーセント位が洋服ですね。
和装は見ていても気分が引き締まりますが、大変ですものね。私のお嫁入りの時の喪服はもしかすると一度も手を通さないままかもしれません。。
お葬式に行ってしまったあとの自宅には葬儀社が用意してくださった葬儀案内が貼られますが、平田で見たものはそういう軽い感じではなく重みがありました。。

風習は残って欲しいけれど、実際するとなるといろいろ面倒なことも多くこれからはどんどん簡素化されていくように思います。
[ 2011/08/17 11:53 ] [ 編集 ]

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