東海道と北国海道の分岐点「札の辻」 (大津市)

 今年2月に「石坂線がつなぐ 大津のまちの物語」に行った時、樋爪歴史博物館館長さんの講演の時に頂いた資料に、街道地図がありました。

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江戸から続く東海道は、大津の札の辻で南へ折れます。
直進しているのは「北国海道」




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この交差点が「札の辻」
線路は京阪電車京津線 左・浜大津方向 右・三条方向



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マンションの並んでいる方向が東海道。
ここで、クリーニング屋さんの方向に折れて三条へと向かいます。
ちなみにこのクリーニング屋さんの位置には、京阪電車京津線「札の辻駅」終着駅があったそうで、この「クリーニング屋さんの基礎部分は当時のもの」と大津百町のご老人が話しておられるDVDがあります。

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「旧東海道」の看板が見えますが、こちらはもう「北国海道」 山に見えるお寺が三井寺です。


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道路工事中ですがこの建物の前に説明板と道路元標があります。

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 幼い記憶では、道路元標のある後ろの建物で、母は機械編みを習っていたような気がします。
またこの建物の前で、母は友達と出会い立ち話を長い間していました。「手ぇ取ってごめんなぁ」と言って友達はどっか行った。。 妹が居ない時でしたから、やはり3歳の頃の思い出です。。


「北国海道」。。
その存在は知らなかったけれど、地図を見れば生まれ育った家の前も通る生活道路。
後日 少し歩いて見ました。。


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[ 2013/03/24 15:00 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(8)

札の辻

札の辻の南西角って千代田生命でしたっけ。
2階はいろんなテナントがあったきがします。
ブラザー編み機の教室もあったような。

北国街道に入ってすぐは、
スーパーマーケットでした。
大阪マート?

北東角のタケタニの隣に交番がありました。
[ 2013/03/24 18:58 ] [ 編集 ]

★あかおさま

あかおさま。地元出身の方にコメント頂けるのはとても嬉しい事です。ありがとうございます。
あかおさまは中央学区でしたっけ? 電車道の所が長等学区と中央学区の堺でしたから、やはり中央学区については若干記憶が薄い私です。
北東角の交番が、やはりわかりません。。学区の違いって凄いものです。
南西角、千代田生命でしたかねぇ? ブラザー編み機の教室があったとの事。。やはり私の薄っすらの記憶は間違ってなかったんですね。編み機がズラリと並び、みなさん編み物されていて 私と母は手前の部屋で本を見て何か教えて貰っていたような記憶があります。

この続きを書こうとしています。
やはり スーパーがありましたよねぇ。。
「チェーンストア」と母は呼んでいました。赤っぽい建物だった記憶があります。

暫らく、記憶とともに北国海道の記事を続けますので、お付き合い頂けるとうれしいです。

[ 2013/03/24 20:26 ] [ 編集 ]

いやぁ、毎回yumeさんの日記を見るたびに自分が何気に通った事のある道でも見落としてる事が沢山あるなぁって思いますね(^.^)
来月末に帰省するので散策する楽しみが増えますね♪
[ 2013/03/24 22:16 ] [ 編集 ]

札の辻

 今まではここは洋服屋さんがあったところでした。
いまは大きなホテルですね。

 京阪がなんで札の辻で開業かがやっとわかりました。
樋爪さんの歴史街道の講演で。道がなかたんですね、浜大津まで行くんのは、都市計画が必要だったんですね。
 浜大津にはすぐ開通したはずです。

 そう、日赤いくのも。今の道とちがって、札の辻を曲がらbんといけませんでしたね。
[ 2013/03/25 01:14 ] [ 編集 ]

★あるふぉんすさん

普段生活しているた場所、している場所って意外に見てないものなんですよね。目に馴染んでしまっているのでしょう。
私も皆さんのブログを見て おや? と自分の近所の景色に驚くことが多いです。

遠くへ遊びに行くのもいいけど、身近な場所をじっくり見るのもなかなか楽しいなぁと最近思っています。
[ 2013/03/25 09:37 ] [ 編集 ]

★そば打ちおじさん

 この場所の洋服屋さんは紳士服屋さんだったでしょ? 「マルヤマ」って言いましたよね?
父の背広はいつもそこで買っていました。木製のハンガーが今もあって「マルヤマ」って書いてあったと思います。 昭和50年代には向かい位に スリーエムが出来たと思うのですが、いつしか無くなっていますね。

日赤も正面玄関は今の西友の裏=北国海道からしか入れませんでしたよね? 他に入り口あったのかな?
上栄町の駅から細い道を通ると日赤に抜けられましたが、それでも玄関は今の所とは違いました。

 都市計画で「浜大津」という大都市が出来ました。。
今、大津市中心部で道路開発が大きく行われていますが、大津の町、次代はどんな風に変化しているのでしょう。。楽しみですが、生きてるかな?(笑)
[ 2013/03/25 09:43 ] [ 編集 ]

日赤は

お化けが出そうな旧館だけのときは正面玄関からしか入れませんでした。
奥に新館(病棟)が建ったときに,上栄町側にも出入口が作られ,
外来も上栄町側から入るようになったはずです。

日赤旧館は見舞いなどに行っても気味が悪くて,「ここにだけは入院したくないな」と子ども心に思ったものでした。

ある病を得たときには,大津日赤から大阪日赤旧館に移送されましたけど。
[ 2013/03/25 12:27 ] [ 編集 ]

★あかおさま

~4歳位までの時期に日赤に通っていましたから、きっと「お化けの出そうな旧館」だけの時期だったと思います(笑)
なんせ待合室も全科共通の廊下に長椅子がくっついていて光の差し込まないような暗いところで、元気な者でも病気になりそうなところでした(笑) ただ、診察室は明るかったですよ。
旧館の時も入院施設はあったのでしょうか?
あれから50年、日赤は大きな病院になりましたね。

大阪日赤に移送とは、大きな病気をされたのですね。。
無事治癒され、今 お元気でいられる事に感謝ですね。。
[ 2013/03/25 20:01 ] [ 編集 ]

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