北国海道 札の辻起点 ~みっつ目の角(大津市)

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北国橋を渡り、最初の交差点を右へ折れます。
交差点の西角には「大津湯」という銭湯があり内風呂のなかった私は、大津湯へ通いました。
銭湯への行き帰りは、母に学校での出来事を話す時間でした。

次の角までほんの少しの距離、どうしてここで道が折れているのか不思議です。
街道らしい、細い道路ですが、昭和30年代から京阪バスが通っていた事から、昔から重要な道であった事が伺えます。


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昭和の面影を残す建物が並んでいます。
ガラス戸4枚の建物は、衣類を売っているお店、肌着や靴下が並んでいました。
子供の頃 運動会と言えば「地下足袋」を履くものでしたが、母はここで買ってくれました。

この向かいには、貸布団店、薬局、バーが並び、今思えば、海道全盛期の名残からお店が多かったのかもしれません


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海道沿の京阪電車の脇道につく、線路の向こうの、不思議な空間に同級生が住んで居て、面白そうだなぁと思っていました。




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線路を越えて左が「若山医院」 右手には4歳位までかかりつけの小児科「光吉医院」がありましたが、今は浜大津に移転しています。
あの頃の医院は、普通の民家をそのまま使っていて、靴を脱いで畳の部屋で待ってという形が殆どでした。




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「伊庭善」の角が北国海道への角。

近所では少し大きななんでも揃うお店でした。
「ハウスの焼き飯の素」を一人で買いに行ったのは「はじめてのおつかい上級バージョン」だったよなぁ。


そしてここは江若の踏切があったところでした。
→ 江若鉄道 三井寺下駅


この碑は当時からあったのでしょうが。。。
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江若の線路にまぎれていたか、踏切番のおじさんの小屋に隠れていたか。。
でも廃線跡も気づきませんでした。。

「山王唐崎道」は坂本方面への道の事、納得出来る案内板です。


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[ 2013/03/27 13:22 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(10)

京阪バス

 バスが走り出したのは、市役所は別所に来たからかな。
それまでは長等公園から北国町、今颪町を抜けて浜大津から大津駅 から石山へ東海道を走ってました。

バスは 狭い通りを走っていたことを思い出します。終点は大津駅で、どこから来たのかおもいだでませんわ。

 伊庭善はよーく流行ってましたね、江若の横で。
前に交番がありました。

 懐かしい思い出です。
[ 2013/03/27 22:45 ] [ 編集 ]

「交番」ありましたね。
江若の踏切番のおじさんがいて、交番があって、比較的治安もよかったのかもしれません。

伊庭善は なんでも売ってましたね。
北保のアオイの卵屋さん、隣の部分も店舗にして野菜等を売り始められたのは、伊庭善の様子を見てだったのかな? アオイさんでは、天ぷら揚げて売っておられて母によく買ってもらっていました。

北国町を京阪バスが走っていた風景は記憶にあります。 今の市立図書館(旧郵便局)の通りの突き当たりは「森永キャラメル」と大きく書いた看板のあるお店でそこを曲がっていた風景とか。。
いくつくらいだっかなぁ?
長等神社の下手にもバス停ありましたね。
大津百町をバスが通る風景。。 今では信じられないですね。
[ 2013/03/27 23:04 ] [ 編集 ]

No title

この道標 20年ほどまえに行方不明になり
その後 戻ってきた・・・と『近江の道標』に書いていました^-^
文政からここに建ってた・・・って考えたら不思議な気分になりますねw

それにしてもこのシリーズ おもしろくてたまりません
自分もよく散策するのですが yumeさんみたいな個人的な思い出がないので
これほど魅力的な探求ができないのですね
「あそこに頭のいい子が住んでいた」
・・・とか読むと 知りもしないのに なんだか風景が浮かんできます^-^
[ 2013/03/27 23:54 ] [ 編集 ]

★dendoroubik さん

dendoroubikさん コメントありがとうございます。
地元、大津・滋賀を真面目に探訪しておられるdendoroubikさんに「面白くて仕方ない」と言われるとくすぐったくなりますよ(笑)
地元の人でないとわからないお店の名前や、地形が出てくるので、地元の人でないと興味が持てないと思ってます、あわせて 私個人の思い出を語っても誰が面白いでしょう?(笑)
まぁ、所詮 私のブログは自己満足そのものの内容ですから。と。。開き直って書き続けているのです。。(汗) 意外なコメントでありがたく、嬉しくなっています。
改めて、dendoroubikさんの大津の北国海道を書いておられる記事を見せて頂きましたが、同じものが気になったりしていて面白かったです。

この道標行方不明でしたか。。 20年前といわず、もっと昔だったのかも。。 。。
「近江の道標」木村至伸さんの本でしょうか? 私も欲しくなってしまいました。

相変わらず 木造駅舎も近代建築もいいのですが、最近は地元、特に大津に興味が沸いています。。
「道」も気になります。
琵琶湖岸 中の庄あたりから、湖岸を離れて曲がっている大きな道、突然途切れていますが、どういう経緯なんでしょうね?
観音寺の郵便局前から国道161号につながる道はなんなのか。。 考えたら寝られなくなります。
[ 2013/03/28 17:17 ] [ 編集 ]

No title

地図を見てもどの辺りなのかわかっていませんでしたが、「線路の向こうの、不思議な空間」のお写真でどの辺りか分かりました!
あの空間は記憶に残っておりました^^。
[ 2013/03/28 20:29 ] [ 編集 ]

★京都の老舗暖簾旅人 様

たぴたぴコメントありがとうございます。
大津にお住まいになった事がおありなのでしょうか?
散策にいらしてくださったのでしょうか?
あの空間が記憶に残っているとは、余程インパクトがあるんですね。
あの空間からやってくる同級生自身も不思議な人だったんですよ(笑)
「かえる」というニックネームでしたが、色黒で小柄な目の大きな 本当に「かえる」がイメージできる人でした。
もしかするとあそこは 居空間だったのかもしれません。。。
[ 2013/03/28 21:05 ] [ 編集 ]

長等公園発着のバス

そば打ちおじさんがおっしゃるとおり,
長等公園がバスの発着場所になってたんですね。
公園入口に駐車場がありました。

私は,「京町通」のバス停から,
東海道沿いに走るバスで小学校に通ってました。
(もちろん「国道1号線経由」のバスもありました)

江若鉄道が廃線になるまでは,
浜大津駅をバスターミナルとして機能させるのが難しいので,
長等公園とかに終点を持っていたんですかねー。

朝日ヶ丘までも浜大津からバス路線がおった時代ですからね。
[ 2013/03/29 11:31 ] [ 編集 ]

★あかおさま

らいん屋親父さんと、同級生でいらっしゃるから、私の1歳上でいらっしゃると思うのですが、長等公園がバスの発着場になっていたという記憶はまったくありません。もっとも、長等公園は日常的に行く場所ではなく、お花見の時位しか行ってなかったですからね。。
記憶にあるのは、長等神社の前の通、北国町通、浜通をバスが走っていた事です。

京町通のバス停から東海道沿に走るバスで学校に通われていたという事ですから私の小学生の時にも走っていたのでしょうが、乗った記憶が無くってとても残念。。
京阪電車で石山千町の祖母宅に行くのは常でしたが、たまには「バスで行って見よう」って 江若の浜大津駅の石段で待っていた事もあるのに、あのバスはいったいどこを走っていたのでしょう。
いろんな記憶が鮮明な割に車窓に記憶がないんです。。

それより三条までバスで行った時の車窓の方が鮮明だったりします。


朝日ヶ丘行きのバスは懐かしいです。
[ 2013/03/29 17:28 ] [ 編集 ]

湖岸道路ができて

東海道経由のバスはなくなって,
バス停が学校から遠くなったんで,石坂線に変えたんですが。

東海道は今もそうですが,狭い道幅の直角カーブがありますから,
ワンマン運転は無理でした。
対向車に出くわすたびに,
車掌が降りて対向車を誘導してましたね。

湖岸道路経由になる頃とワンマン化する頃は時期が重なっているんですね。
[ 2013/03/30 09:12 ] [ 編集 ]

★あかおさま

「湖岸道路経由になる頃とワンマン化する頃は時期が重なっているんですね」
そうなんですか。。 なるほど。。

湖岸道路はいつ頃できましたっけ?
幼い頃は、大津の公設市場(京阪膳所のあたりでした?)位までしか湖岸がなかったのでは?
琵琶湖博覧会の時に埋め立てをして、あの時に湖岸道路も?
ちょっと。。わからなくなってしまいました。

この間 ドコモショップ大津店から、錦駅まで歩いて、あかおさまの通っておられた小学校と錦駅の関係、湖岸道路との関係がわかりました。。
[ 2013/03/30 23:22 ] [ 編集 ]

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