「せんだごさん」小さい頃は耳から入る音が最初の出会い。 両親がそう言うから「せんだごさん」
それはそれは、多くの人で賑わっていました。 どこか人出の多い所へ出かける時、たとえば「大津祭」だったり、四条の繁華街だったり。。「せんだごさん みたいにいっぱいの人やで」と比喩する位の、人の多さでした。
とにかく お祭そのものより、露店の数が半端じゃありませんでした。
今思えば、京都の、弘法さんや天神さんよりもお店の数は多く、その範囲も広かったと思います。
おなじみの金魚すくいや、ヨーヨー釣り、綿菓子屋さんなどは10店以上あったのではないでしょうか。
原色に近い赤・緑・黄色のヒヨコ。亀・ヤドカリ。ベビーカステラ。リンゴ飴。お面。
モンペに帽子、靴、長靴、アクセサリー、モール、玩具、もうとにかくなんでもあり!!ー
冗談じゃなく「押すな押すな」状態。 何がなんやら。
子供心に、一番嬉しかったのは、ままごとセットのばら売り、包丁、フライパン、お皿。。買って貰ったのはトースターだったなぁ。。 おばあゃんには お嫁さんのお面。。。
通っていた小学校はその「せんだご」さんのお店が並ぶ中にあったので、勉強どころではなく、家庭訪問期間で午前中授業だったり、「小運動会」をやっていました。
時は流れ、何年か前、「せんだごさん」に行った時、あまりにひっそりとしていて驚いたものでした。
「今日じゃなかった?」と思くらいで、すこ~しだけ 植木が売られているだけ。
これがあの「せんだごさん?」。。
世の中が受け入れなくなったのか。。この地域の過疎化が原因なのか。。
2013年5月18日土曜日。 久しぶりです。。
せんだごさんの日、小学校への道で最初に目にするのは、公衆電話ボックスの横の此処にあった「綿菓子屋さん」でした。。
毎年、いつもここにポツンと一軒の綿菓子屋さんがありました。


三井寺へのなだらかな坂道。色とりどりの露店が遠くに見え、胸が高鳴っていたものです。

ここまで来ると、左手に露店がずらりと並び。。

鹿関橋には両側にお店が並び、人の波の始まり。。 下校時には露店の間を縫うように帰ったものです。

そして、ここには必ず、足を無くされゲートルのようなものを巻いておられる兵隊さんが二人、アコーディオンを弾いて立っておられました。。


小学校の運動場の隣のこの道路にもぎっしりとお店が並び、教室から見えるのはお店の背中で、その向こうは満員電車のように人がいっぱい。

真ん中の三尾神社への参道も、左も右も、とにかくお店が並んでいたものです。。

小学校の西口もあの頃は両側にお店が並んでいたけれど。。
やっぱりあの頃の賑わいはもう無くなったよなぁ。
そう思い、三井寺への右の道を歩き、小さな門をくぐると。。。
ありました。。 植木屋さん。。♪ 子供には一番面白くない場所でしたが、あの頃と同じ場所に植木屋さんがありました。 せんだごさん。。実は一番有名なのは植木屋さんなのです。



え? 23万??

植木屋さんの並ぶ前を過ぎて、あの頃 男子の一番好きだった、見世物小屋があったあたり、鬼子母神の祀られている護法善神堂の近くにはたくさんのお店がありました。人も多い。。 あー このあたりは あの頃の「せんだごさん」







あるある~
あの頃のような、まがい物のような品物。。 これがまた見ていて面白いから不思議。






何年か前の、静かなせんだごさんではなく、お店がたくさん出ていて賑やかになっている様子に安心しました。
小学生の時ほどにまでは、戻らないだろうけれど、いつまでも 楽しく賑やかな 「せんだごさん」が続いて欲しいと願います。
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数年前にはじめて覗いてみただけで
往時の模様は知るよしもありませんが…
そんなに賑やかだったんですね!
土山田村神社の厄除け大祭とか富山まつりみたいに 特になにがあるわけでもないのに露店がズラリと並んでいるのは その頃の名残りがいまもつづいてる…ってことでしょうか…
でも千団子さんの あのまったりした雰囲気…子供を思う親の気持ちが表れてるからでしょうか…すごく好きです(^-^
そうなんです。数年前にdendoroubik さんが訪れられた記事を見て、久しぶりに行ってみようと思いつつ、今頃になりました。
鬼子母神に千の団子をお供えする。。お祭りなのに。。 あまりの露店の多さに主旨が見えなくなっているような。。そんな感じが当時からありましたが、今もそうかもしれません(笑)
賑やかな露店の片隅で、ひっそりと亀を流しているようなそんな感じがします。
10年以上前に訪れた時は、お店が殆どなく 亀流しだけが目立ってましたが。。(笑)
あのあたりをよくご存知ですから、大体の規模はわかるでしょうが、とにかく小学校を四方八方囲んでお店がずらりとあり、満員電車のように人が居ました。
ふと 思ったのは、あの頃は公道にお店を出す事も簡単だったんでしょうね。
当然露店のある所は車など通れませんでしたが、今だと届けが大変なのでは?
dendoroubik さんのブログ拝見させてもらっています。
私が、鉄道を全線制覇したいと思っているように、dendoroubik さんはお祭り制覇したいと思っておられるのかなぁ?なんて思っています。
10万を越える祭りがあるそうなので 100回生きても無理みたいです(>_<)
10万を越えるんですか。すごい数ですね。
私も全線制覇なんてとんでもありません。「自分の出来る範囲で。。」と納得するしかありませんね♪
ところで、先日 親戚の法事で際川の「孫幸」さんに行きました。お料理とってもおいしかったです。
カラーひよこ‥大人になってから千団子さんで見てびっくりしました~
小さい頃、石山寺?まさか祇園さんからは持って帰らないような?の縁日でノーマルなひよこを買ってもらいました。ピヨスケと名付けたのですが、大きくなったら雌鳥でしたー!!
近所を抱いて歩いてたら、アヒルに見間違われたり‥ぷぷぷ
懐かしく想い出しました、ありがとうございます。
ピヨピヨ、ピヨピヨ。。と小さくかわいいヒヨコがいっぱい売られていた光景が浮かんできます。
結構、育てていたら鶏になったって人いますね。鶏肉屋さんに売りに行ったという話しも聞きました。 近所では鶏になってしまって コケコッコーと。。ずぅつと鳴いていました。電話の相手にも聞こえていたようで、かなり田舎だと思われました(笑)
sho惑星さんは 育った鶏さんどうされたのでしょう?(笑)
抱っこして歩くって。。?
動物好きなんですね。
怖くなかったですか? 育っていく過程の変化って?。。 いいお勉強になりましたね♪
カラーひよこ
「色つけてるんちゃうん?」 「違うで こんな色してるんや」
「大きくなってもそんな色か?」 「そやで、こんな色の鶏になる」
売り手と買い手のこんな会話を覚えています。 今考えたらおかしい。。。 こんな色したヒヨコがいるわけないのに。。
アヒルと言えば、尾花川の江若線沿の川に、アヒルが居た記憶があります。
妹も居なかったし、前後の記憶が何もないからあれも3歳の頃でしょうか。。
人出がイマイチな気がしますが。
大津で「蝦蟇の油」は伊吹山でした。
昭和40年ごろの境内は、もっと植木市的な印象があったけどなー。
あかおさま、いつもコメントありがとうございます。
昭和40年代は、こんなもんじゃなかったですよね。満員電車のようでした。携帯のない時代、親戚とはぐれて困った思い出があります。
境内は植木、その他の道路は露店でしたね。
それでも10年位前はもっとひっそりとしていたので、賑やかさが戻ったほうです。。
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