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尾花川警察官舎 (滋賀県大津市)

 大津市尾花川 北国街道沿には、古くからの町並みが今も残っていますが、琵琶湖岸に向かい尾花川公園の手前に 警察官舎があります。



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小学校5年の時に、官舎に住んでいる友達が出来て、よく遊びに行きましたが、当時としては珍しかった集合住宅はコンパクトにすべてがまとまっていて、かつ部屋が独立しているので、憧れでした。



画像を見て、お気づきでしょうか。
生活観がありません。洗濯がまったくほされていません。カーテンのかかっている部屋はあるようですが、ベランダにも何も置かれていません。。
この、ゾクッとくる寂しさ。。

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ここも、取り壊しが近いのでしょう。
築何年になるのでしょう? 物心ついた時からありました。

161号線沿の、この景色も間もなく消えようとしています。












官舎の前にある、「尾花川公園」

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友達と、夕方遅くまでよく遊びました。
遊具が変わってないなぁ。。と カメラを向けると、さらに向こうに大津日赤が見えました。
この角度にあったんですね。
日赤も随分大きくなり、高層病院になり市内のあちこちから見えるようになりました。


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県営都市公園 近江鉄道ゆうグループ管理ですか。。。



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[ 2013/06/06 13:11 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(8)

官舎は、国道走っていると見えますよね…競艇場の反対側あたりでした?
尾花川公園、あまりに身近な存在だったのですが、写真を見させていただいたら、実は行ったことないかもと思うぐらい、きれいで驚きでした。

コマストアーですが…
確かに5階ぐらいだったと思います。
でも食堂は記憶にありません。

でも隣に増設されたのはよく覚えています。
かなり簡単な造りで、靴や文房具を売ってましたよね。

ソフトクリーム屋さん、大判焼き(太鼓焼き?)や夏は冷やし飴も売っていました。

その隣のケーキ屋さん…ちょっと記憶にありません。

なんか材木が立てかけてあったような??

コマストアーの前あたりは、行く度に琴の音が聞こえていました。


[ 2013/06/06 23:44 ] [ 編集 ]

No title

どうして警察の社宅ができたか、よーく考えてみると、競艇場を作るときに、埋め立てたんでしょうね。
以前湖岸巡りいったときにそう思いました、競艇場の前の道はまつすぐですもんね。北国街道は私が中学に行ってた道です。帰りには裏道でよーく社宅の前をとうってかえりました。
 空き地になったら県はどうするんでそしょね。
[ 2013/06/06 23:54 ] [ 編集 ]

★T&Tさん

T&Tさんたびたびのコメントどうもありがとうございます♪
尾花川公園 「あまりに身近な存在」でいらしたのですか? もしかすると、幼い日 一緒に公園に居たかもしれませんね♪♪
尾花川公園には小さな小さなプールもありましたね。水深50センチもなかったかしれません。一度も入った事ありませんでしたが入ってみたかった(笑)
10年以上前でしょうか、ここを訪れた時は荒れた感じがしたように思います。
やはり 管理が民間に委託されると綺麗になるのでしょうかね?


コマストア、そうそう増設売場には靴やスリッパなどが売ってありましたね。
あと、最初からある店舗の前は、少し広くなっていて、そこに乳母車を置いていたような。
そして 当時では珍しいテトラパックの牛乳の自動販売機があって たまに買ってもらうのが嬉しかったとか。
そこで カキ氷機の宣伝販売をやっていた時があって 父が買ってくれたのですが、数回使っただけで壊れて、文句を言いに行ってくれたとか。。
なんだか。。今は亡き父の暖かい思い出がよみがえって胸が熱くなってきました。
あー どうして こんなに次々に 思い出が つながって出てくるのでしょう。。


ソフトクリームを売ってるお店で、「みずあめ」ってものを飲んでみたくって、母と二人 ガラスコップに入れてくださったのを飲んでみたのですが、どうもあの ニッキ味のようなのが口にあわず、二人とも飲めなかった。。 お店の人に「勿体無いなぁ。。」と言われた。。

バロンのケーキ屋さんはいつ頃まであったか記憶にありませんが。材木立てかけてありましたっけ?。。


コマストアの近くの琴の音ですか。
私は コマストアからちょっとだけ離れた 現大津市立図書館(旧浜大津郵便局)あたりにあった 光吉医院がかかりつけのお医者さんだったのですが、その前の家から 琴の音がいつも流れていました。
母は練習の音だと言っていましたが、柴屋町でのお仕事の準備だったのでしょうか。。
琴の音は、光吉医院の思い出とつながります。


ごめんなさい。。 幼い日の話になるといつも。。長くなってしまいます。
[ 2013/06/07 22:36 ] [ 編集 ]

★そば打ちおじさん

競艇場っていつごろできたんでしょ?
私が物心ついた時には、ありました。 浜大津の花火大会は、行水をしたあと浴衣を着せてもらって 競艇場に見にいっていました。あの頃は、観覧料徴収なんてとんでもなく、近所の人はみんなぞろぞろ。。と競艇場へ行ってのんびり見ていました。

湖岸ラインの変遷は、とても興味あります。

警察官舎がなくなったらあのあたりの風景も変わりますね。
[ 2013/06/07 22:52 ] [ 編集 ]

いえいえ、自分はもっといろんな、忘れかけているような事などをyumeさんから聞き出せたら、と思っていますので、たくさん書いて頂けると本当に嬉しいです。
光吉さん!自分もかかりつけでした!

光吉先生は、記憶の中では俳優の長塚京三さんにちょっと似た感じの方だったと思います。

どこでもあるのかもしれませんが、寄生虫か何かの標本が掛けられてましたね。
[ 2013/06/08 00:07 ] [ 編集 ]

★T&Tさん

あ、T&Tさんも光吉医院がかかりつけでしたか。。
今は代替わりして歯科医院になっていたような気がします。
長塚京三さん。。そんな感じでしたねぇ。。  病気に対しては注射をしない事で有名でしたが、血液検査が好きな先生でした。溶連菌も専門だったようで、風邪をひくたび 溶連菌の検査がありました。

一ヶ月に一度位は熱を出すような子でよく行ったので、内部をよく覚えています。
靴を脱いであがったところは、洋室でソファーがおいてあり、トイレがありました。
その奥の部屋は畳の部屋で受付が左側にありました。
私の記憶では、受付の右上方に乳児の便の模型があり こういう色の便はどういう病気かという事が書いてあったと思います。

診察室は、入ってすぐの所はカーテンが引かれていてそこで看護婦さんに病状を話して。
カーテンの向こうに先生。先生は左手で、右がベッド。 奥がレントゲンでした。

受付のところは、小さな小窓をあけて「診察券」渡したり、精算したり。。
その小窓をあける動作が楽しそうで、家にあった整理箪笥の小さな物入れを受付に見立てて遊んでいました。

[ 2013/06/08 19:53 ] [ 編集 ]

自分が言ってました標本、記憶違いで、やっぱり乳児の便の模型だったかもしれません。入って右手、受付の上ぐらいに、円形の容器のようなもの?丸く切り取られた模型?がいくつか箱か額のようなものに入って掲げられていました。

和室はよく覚えてないんですが、風邪の時、奥に向かって左側あたりで吸引をやったような記憶があります。
[ 2013/06/09 00:16 ] [ 編集 ]

★T&Tさん

「吸入」ですね。
よくやりました。「吸入しましょ」って。 診察室後ろの左手の隅でしたっけ? ロッカーか何かの後ろのせまい感じのところでしたね。
やはり、喉が専門分野だったでしょうか。「喉が赤い、喉に白いものがついている」って。
大人になってからは、少々の風邪位でお医者さんにかかりませんが、かかっても「喉に白いもの」とか言われたことはありませんもの。

医院への出入り口の右手が車庫だったでしょ。白い車でしたっけ?
受付時間が始まる頃に行くと、先生の車がなかったりして「往診にいってはるし、診察遅れるかなぁ」なんて母が言ってました。

模型は、受付の右上方でしたね。。
お互いよく覚えているものです(笑)

T&Tさん、光吉医院が大門通にあった時代はご存知ありませんか?
江若の踏切の横の伊庭善の斜め向かいあたりだったかなぁ? 私の記憶でも薄くって、医院の中も覚えてないから。。3歳位の記憶かもしれません。
大門通は自宅から近かったので、かかりつけにしたきっかけかもしれません。。

ある時、浜大津のレークセンターで光吉先生にばったり会った事があって、とても不思議な感覚でした。

先生、今もご健在なのでしょうか?
[ 2013/06/09 15:09 ] [ 編集 ]

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