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湖岸ライン⑧  京阪電車島ノ関駅~石場駅 (滋賀県大津市)

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「島ノ関駅」

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ホームの下を よ~く見ると川のようなものがあります。

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島ノ関駅の踏切名「紺屋ヶ崎踏切」




湖岸の方に見えている茶色の建物「大津市民会館」の傍らに地名由来の碑が建っています。

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さらに線路に沿って、進みます。

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道路沿のフェンスの奥で、注意して見ないとわかりませんが、「小舟入鉄橋」があります。
かなり年月が経過していそうです。

永年劣化のため、文字が潰れて見難くなっていますが、一番上 「鐵道省」という雰囲気がおわかりでしょうか?

「鐵道省」は、戦前の日本で、鉄道や運輸行政を管轄した国家行政機関の一つ。1920年5月15日に設置され、1943年11月1日に運輸通信省に改組された。
大正9年~昭和18年に存在しました。


明治13年(1880)に湖岸に東海道線(現京阪電鉄大津線)が開通したとき、この入江に堤防が築かれましたが、船が出入り可能なように、切れ目を設け鉄橋が渡されました。
その鉄橋が今も残されているのです。





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江戸時代の地図の拡大です。

「嶋ノ関」の文字がある上の入江が鉄橋のある部分。
「吾妻川末落口」の文字がある部分が「島ノ関」ホーム下に流れる川。
「紺屋門」あたりに「紺屋ヶ関」があったのでしょう。。


昔の琵琶湖岸を思い浮かべる事の出来る遺構があちこちにあって、歩いていても楽しくなります。





【琵琶湖岸ラインINDEX】
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[ 2013/07/02 15:40 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(14)

No title

これはすごい観察力ですね。
鐵道省時代の鉄橋が現役で残り、その上を京阪電車が
今も走っているという、貴重な産業遺産ですね。
現役鉄橋だから遺産じゃないか・・・。
[ 2013/07/03 02:12 ] [ 編集 ]

No title

大津の歴史博物館の湖岸巡りたのしかったです。
膳所の近辺までいったんで、次は膳所の湖岸かな、
でも石山まで行ってものころものはなんにもないでしょうね。湖岸ばかりで。
[ 2013/07/03 09:03 ] [ 編集 ]

★ヤマさん

 これは私が発見したわけではなく、大津歴史博物館の講演等で知った情報です。
関係各期間が調査されたのでしょう。
普段なにげなく、みんなが乗っている電車の下に、このような歴史あるものがあるとは、殆どの人が知らないでしょうね。
[ 2013/07/03 10:45 ] [ 編集 ]

★そば打ちおじさん

この先、京阪電車はカーブして湖岸を離れるので、また 観音寺周辺のように民家に埋れてしまっています。
それでも昭和40年代にかなり埋め立てをしているので、現在の琵琶湖岸からもだいぶ内側になってしまっているんです。。
[ 2013/07/03 10:49 ] [ 編集 ]

実は意外に…

yume様こんにちは
島ノ関駅のこの近辺はご紹介の小さな鉄橋や
埋もれた京阪堤など、一番色濃く
湖岸ラインをイメージできる場所かも知れませんね。
それより石山側は「琵琶湖博覧会」建設等で
かなり埋められましたからね。
でも、もし膳所まで足を伸ばされるんでしたら
膳所公園…の横の浄水場あたりのラインが
かつての水際を彷彿とさせてくれます。
なぎさ公園建設で返って引き立った感じです。
しかも件の浄水場のラインには、最後期の膳所城
二の丸石垣を転用しているのでは?と
怪しいところも見受けられます。
因みにCHOKKOの一番古い記憶は
祖母と今は団地になっている大津鑑別所の
お堀が埋められていくのを見ていた…
と言うモノでした。
膳所団地の地下にも意外と大変なモノが
眠っていたりもします(笑)
[ 2013/07/03 22:37 ] [ 編集 ]

★CHOKKO様

CHOKKO様、貴重な情報をどうもありがとうございます。
「湖岸ライン」シリーズは 大津市立歴史博物館主催の「かつての湖岸ラインを歩く」というものに沿ったものです。抽選に外れてしまった私は、心ある方から地図をコピーして頂き、また一部ご案内頂いたものなのです。
そして、この湖岸ライン、響忍寺のあたりで終わっていまして、その先の情報がありませんでした。
そこへCHOKKOのコメントです。この先がなんとか続きそうです。 膳所周辺ご在住でしたら石山あたりまでご存知なのでしょうか?
浄水場(昔はこのあたりに膳所市民プールがありましたよね?)のラインと言うのは、琵琶湖岸側でしょうか?
それとも湖岸道路沿でしょうか? 近いうちに見に行きたいと思います。
またその先、記恩寺さんのお庭は、琵琶湖に通じていたとお聞きしたのですが、湖岸道路のラインがほぼ かつての湖岸ラインという事になりましょうか?
今の湖岸道路の完成というのは昭和40年始め頃になりましょうかね?
父が会社から貰ってきた潰れたスバル360を修理して、出来たばかりの湖岸道路を走ったような記憶があります。
膳所団地の完成というのは、昭和42年頃と記憶しています。生活圏ではなかったので全く知らないのですが お堀が埋められたのですね。。。
膳所の町と言うのも、とても興味ある場所で、いつか探訪できたらいいなと思っています。

膳所団地下、浜大津港界隈下 どんな過去が埋まっているのでしょうか?
とても神秘的です。
勿体ない事をしたという気持ちもありますが、また色々と思い描くのもいいよなぁ。。と発想を転換してみたり。。


もうひとつ、ずっと前からの疑問です。
天下一品あたりから、北西方向へ走る 大きな道路があります。 湖岸道路か、それ以上の幅があるのですが、突然に途切れて、旧道?生活道路に吸収されています。
この道路は、一体どういう意味があるのでしょう?
この先、このまま道路が出来る予定だったのでしょうか?
何かご存知でしたら教えて下さいませ。
[ 2013/07/04 20:55 ] [ 編集 ]

ご質問にお答えします

yume様ご質問有り難う御座います
私の言う、浄水場の湖岸ラインは、琵琶湖側、つまりなぎさ公園の道沿い、膳所公園から橋を渡った先にある浄水場のラインを言っていますんで、厳密には湖岸ラインではないのかも知れません。でもなぎさ公園が出来たことで間近にみれるようになった という感じです。
その他は、記恩寺(ろっかさんすいそう)のあたり、あのラインで湖岸ラインだと思います、
横手の道の溝の石垣を見て下さい
その向かい、今某宗教施設になってるところ。以前「晴嵐荘」という旅館があったところも横の溝に石垣があります
この付近はかつての御殿が浜水泳場あたりですね、記憶にはないですが賑わっていたようです。
さて、件の妙に太い道路、
あれは戦時中か、戦争前に国道一号線との連絡路
今で言うバイパスを造り損ねた夢の残り香です(聞くところによるとですが)
多くの家が立ち退かされたと聞いています。
[ 2013/07/06 11:30 ] [ 編集 ]

★CHOKKO さん

質問に長く答えて頂きまして大変ありがとうございます♪
実は今日、浄水場の湖岸を歩いて来ました。(膳所公園方向に向かって)
途中までは人工的な感じはあるのですが、その先はお城の石垣のような年月を経た感じを受けました。
その年月の間、心ある方がお手入れをされてきたのなら、あのような状態で残るのかもしれません。
その後、膳所公園にも そのまま湖岸ラインの石垣かも。。と思うような部分がたくさんありました。
何か文献を見つけて調べるさ面白いだろうと思います。
記恩寺のあたりは、今度CHOKKOさんのお話を参考にして歩かせて頂きます。
御殿ヶ浜の本多神社あたりも湖岸ラインっぽさを感じますね。

「妙に太い道路」
私の記憶もあのあたりの事になるとかなり曖昧なのですが、湖岸道路が現在のように整備されたのは昭和40年頃ですよね? そしてその前は、恐らく、細い道路があったのでしょう?
その道路と 国道を結ぶために作られたという事になりますでしょうか?
確かに、現在も国道と湖岸道路を気持ちよくつないでいる道路って言うのはありませんよね。
いっそ、今 あの道路をそのまま利用して道幅のしっかりした連絡道路を作るというのはどうなんでしょうね?

計画通りに完成しなかった鉄道と言うのはたくさんありますが、道路があんな風に中途半端になっているものは珍しいように思います。
[ 2013/07/06 22:32 ] [ 編集 ]

昔、義仲寺の前に、萩の家さんという大きなお屋敷がありました。スケッチした時にうかがったお話では、むかし、屋敷の裏がすぐ汀だったそうです。
義仲寺の絵図も、お寺の近くまでさざ波が描いてあったと思います。

廬花浅水のお庭は琵琶湖と対岸を借景にしていますので、昔はすぐに湖だったのだと思い巡らし乍ら見学したことがあります。
[ 2013/07/10 08:31 ] [ 編集 ]

★sho惑星さん

あのあたりの埋め立ては、「びわ湖博覧会」の前にされたものですね。
「萩の家さん」はあのお弁当の萩の家さんでしょうかね? 昔 大津草津でお弁当と言えば「萩の家」でした。
今のように、コンビニやスーパーで簡単にお弁当が手に入る時代ではありませんでしたものね。
お寿司なんてのも、「にぎり」は勿論の事、巻き寿司もお祭りの時に母が作ってくれたり、運動会の時に作ってくれたり そんな時にしか食べられませんでした。
おっと。。また 本題から外れました(汗)

廬花浅水荘のお庭には、ここから舟が出ていたという場所があるんですよね。
しかも、私より10歳位上の人で廬花浅水荘の子供さんと友達だったと言う人がいるのですが、実際に びわ湖に続いていた風景を覚えているとおっしゃいます。
そんな遠い昔でない時代に。。いい風景が残っていたなんて。。

琵琶湖岸の風景が変わったのはごく最近の事なんだと残念に思います。
[ 2013/07/10 09:00 ] [ 編集 ]

萩の家さんは、大津駅?あれ、膳所駅前?‥すみません、失念しました‥にお店があった、その萩の家さんです。
駅前のお店は、戦時中に空襲の標的か、空襲の際の類焼を防ぐためかに、近所の者が集まって引き倒した、と聞きました(近所の方からの聞き込みなので、ウラは取れていません‥すみません)。義仲寺前のお屋敷は20年ほど前まで残っていたのですが‥
[ 2013/07/10 16:37 ] [ 編集 ]

★sho惑星さん

萩の家さんは、大津駅前にある写真を見た事あります。

義仲寺前に20年前までお屋敷があったのですか。
20年前と言えば、既に西武が出来ていましたし、京阪膳所駅から歩く事も多かったのですが、義仲寺までは足を延ばしてなかったです。残念。。 

京阪バスのアナウンスが「義仲寺 西武百貨店前」と言っていたのに その義仲寺はつい最近まで行った事なかったんです。。
膳所の町と言うのは、意外に歩いてないので、今後探訪したい場所です。
[ 2013/07/10 21:15 ] [ 編集 ]

木曽義仲に巴御前(憧れの巴御前!お守りまで持ってます~)
しかも俳聖芭蕉さんのお墓まであるなんて~凄すぎる!と、義仲寺は超一級歴史スポットとして高校生の頃、大いなる誇りを抱いておりました(笑)近所のよしみで高校の制服で放課後、境内出入り自由でした。いまはどうなのかなあ。
いや~、いま冷静に考えても、ホントに凄い歴史スポットです。
なのに、さりげなく存在してるのがまた凄い‥近江の歴史を想うとドキドキします(笑)
[ 2013/07/10 23:05 ] [ 編集 ]

★sho惑星さん

sho惑星さん、歴女、いやいや、かわいい歴少女さんだったんですね♪

大津と言えば、三井寺、石山寺、日吉大社。。浮身堂は有名なのに、「義仲寺」の知名度はイマイチ。
どうしてなんでしょ。アクセスはいいのにね。
でも 有名になりすぎていろいろ困る事も出てくるんで、知る人ぞ知る。。歴史スポットとして大切に抱いておきましょうね。


学校とお寺と言えば、私の場合、小学校の写生大会はいつも「三井寺」でした。
拝観料の必要ない場所にもいいところ、絵になるところたくさんありますからね。。
でも 私は絵。。下手だったなぁ。。
今日、図書館で原田泰司さんの本を借りてきました。
[ 2013/07/11 21:14 ] [ 編集 ]

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