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湖岸ライン⑭ 「石場の常夜灯」 (滋賀県大津市)

 大津の琵琶湖岸には、 小舟入の常夜灯の他にもうひとつ常夜灯があります。
 小舟入が一度も移転せずに、その時からじっとしているのに対して、「石場の常夜灯」は何度も移転しています。


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もともとは、赤い矢印で示した場所、現在の大津警察署の位置にありましたが、今は黒い矢印で示した琵琶湖文化館横にあります。
地図に数字の入っている部分は、湖岸ラインの遺構のある場所。 琵琶湖に向かって埋め立てされたのは、1968年(昭和43年)の琵琶湖博覧会開催前ですので、かつての湖岸ラインは比較的わかりやすくなっています。



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現在の琵琶湖岸の遊歩道の一角に、ポツンとあるのがなんだか寂しそう。唐突に存在している感じがします。


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意外に、こういった歴史的なものを撮っている人は多く、この写真を撮ったのは2月の寒い日でしたが、やはりカメラを持った方がおられました。
ごめんなさい、常夜灯の大きさをわかって頂くのに丁度よいかと。

高さは8.4メートルあります。
1845年(弘化二年)鍵屋傳兵衛・船持中らの発起によって建立。近江・大阪・京都・尾張等からの寄進者名が刻まれています。

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琵琶湖岸の夕暮れ時に常夜灯が灯る風景はどんなだったでしょう。
一艘、二艘。。と 舟が帰ってきていたのでしょうか。。



【琵琶湖岸ラインINDEX】
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[ 2013/07/13 15:15 ] ---まちあるき--- 滋賀県 | TB(0) | CM(17)

やっと安住の地かな?

あ 石場の常夜灯だ♪
以前琵琶湖文化館の前庭あたりに有りましたよね
車石やその他の遺物も少し展示してある処に
建っていましたね
今はより湖岸に近いところに建ってるから、
こちらの方がしっくり来るかも知れませんね。
これも小舟入の常夜灯と同じく、町衆の寄進で
出来たものなんですね。かつての町衆の勢いを感じさせます。
それにしてもお写真、青空に映えて美しいですねぇ。
[ 2013/07/13 23:40 ] [ 編集 ]

★CHOKKOさま

CHOKKOさま おはようございます。
たびたびのコメントありがとうございます♪

以前の場所にある時は、目立ってなかったのに、今はそこを通った人からも、船からも見る事が出来て、これに灯がともれば、これぞ常夜灯という感じで琵琶湖岸がロマンチックになるかもしれませんね♪

昔は道路をつくるのも、鉄道を通すのも、町衆の寄進と労力によっていましたね。
自分達の町は自分達で住み易くするという自立の精神があったのかもしれません。

この写真は今年の2月に撮りました。琵琶湖はやっぱり真冬が綺麗ですね。


話は変わりますが、以前 琵琶湖文化館のあたりにマントのようなものを着たおじさんが琵琶湖に向かって手を差し伸べているような銅像があったのはご存知ですか?
大津中央郵便局でバイトをしている時、寒風にすさむおじさんの銅像を見て「寒そう、かわいそう。。」と思ったものです。
今はどこにも見当たらないような気がしますが、どこに行ったのでしょう? あれはどなただったのでしょう?

もしご存知の方かおられたら教えてくださいませ。。
[ 2013/07/14 06:18 ] [ 編集 ]

No title

石場のお相手の矢橋の帰帆の灯篭は1846年(弘化3年)に建っています。
矢橋の灯篭は場所は変わっていません。でも松4本は枯れてどうしょうもありません。其れより人工島で琵琶湖から離れています。昔に湖岸道路を入江にして港のこしたらよかったのにね。

銅造は郵便局の文化館前にありましたよ、3年前、今もあるのとちがいますか。
[ 2013/07/14 11:57 ] [ 編集 ]

★そば打ちおじさん

石場の常夜灯と対の?(笑) 矢橋の常夜灯を見に行きたいと思っています。草津駅からバスでしょうか。
娘か主人にちょっと立ち寄ってもらおうかな?
あのあたりは、地理がさっぱりわかってなくて、娘といつのまにか人口島に迷い込んだことがありました。。

琵琶湖文化館前の銅像 今度しっかり見てきます。
意識して探さないとだめですね。
調べてみたらあの人は「明治の政治家・井上敬之助氏。滋賀県石部町出身で、立憲政友会所属の衆議院議員、県会議長も務め、滋賀には知事が二人-と言われるほど、影響力があった人物」ということでした。
[ 2013/07/14 17:50 ] [ 編集 ]

矢橋の常夜灯

 バスは南草津の西口からイオンモール行きです。でも浜街道と湖南幹線に2つにわかれています。草津総合病院経由のバスです。矢橋でおりて信号を右の方へ行きます。
矢橋街道です、どんつきに鞭咲八幡宮のお宮さんがあるところを(狭い道)ですが前にいくと船着場があって北側にあります。

 車でも同じです。矢橋の信号を比叡山の方へまがったらいいんです。
矢橋シルバーセンターというところがあるので、道に車はおけます。
[ 2013/07/14 21:15 ] [ 編集 ]

★そば打ちおじさん

そば打ちおじさん 詳しい説明ありがとうございます。
やはり地元の方にお聞きするのが一番ですね。
バスで行くなら、涼しくなってから。
車で連れてってもらうなら、近いうちに行きたいと思います。
[ 2013/07/14 22:54 ] [ 編集 ]

No title

昔の風景、松がちゃんと生えていた時はよかったんですが、今の風景は見せたくありません。ほんとに、個人の財産なので、ちゃんとしていないんです。
草津市が買うといっても相手にしなかったようです。
本当にこまります。
[ 2013/07/15 16:05 ] [ 編集 ]

★そば打ちおじさん

個人の持ち物なんですか。。
歴史的価値があるものなのに、市の管理にしたらいいのに、ご本人が了承しないのならどうしようもありませんね。
[ 2013/07/15 16:17 ] [ 編集 ]

写真で拝見すると、なんだかより大っきく見えますね。雲一片ないしかな?おじさんが入ったのはNice!(笑)
SLも嫁いで行きましたよね。

今津の木津の湖岸に常夜燈があって、夜になると灯がともりますが、周りに何もないのでちょっと怖いくらい幽玄な風景‥
昔の浜大津を想像されたお話から、ちょっと木津のことを思い出しました。
[ 2013/07/16 03:09 ] [ 編集 ]

★sho惑星さん

さすが、sho惑星さん滋賀の事ならなんでもご存知ですね。機会があれば、訪れて身をおいてみたい風景です。まわりに何もないと言うのが。。たまりません。


SLは、科学館前にあったものでしょうか。
琵琶湖博覧会のテーマ館が後、科学館になり、その後ろにSLが保存されていました。
今思えば、科学館は昭和45.6年には既に、生涯学習センターの隣に移転していましたっけ。
科学館が県立図書館になっていましたっけ?

におの浜の浜の方にはあまり行くことがないので記憶が曖昧で、どう変化したのかわかりませんが。。
科学館の建物はもうないのですよね?

あ、ひとつ 湖岸風景で思い出せたものがあります。
位置はパルコ、アヤハディオのあたりになりますが、昭和50年代始めは アヤハディオの初代の「日曜大工センターアサヒ」がありました。
大津の卸売市場もありました。 卸売市場に限っては、あの時すでに老朽化していたように思いますから、あのあたりが湖岸ラインだったかと。。
[ 2013/07/16 22:26 ] [ 編集 ]

★sho惑星さん★CHOKKOさん ★あるふぉんすさん ★T&Tさん ★そば打ちおじさん

sho惑星さん、CHOKKOさん あるふぉんすさん T&Tさん そば打ちおじさん
石場~膳所あたりの変化が少し見えてきました。
西武以南~膳所公園あたりまでの湖岸は、昭和40年代始め、琵琶湖博覧会の時期に埋め立てられて出来たもので明らかです。
パルコのあるあのあたりの開発はもっと後期になりますね。
びわ湖ホール、ピアザ淡海ができたのは、15年位前でしょうか。その時期に琵琶湖文化会館の遊歩道等も整備されたように思います。
それ以前は何だったか。。特に何でもなく整備されたのかな?
浜大津港が現在の場所に移り整備されたのも、同時期でしょうか?
[ 2013/07/17 08:58 ] [ 編集 ]

大津市立科学館は
/\/\/\ こんな形の部分があった建物でしたよね。
引っ越したのはいつでしょうか。
確実に、自信を持って言えるのは、あそこの壁が夏になるとビワコムシでえらいことになるということです(小学生の時の想い出)。
膳所公園の舞台の壁もすごかった~

アヤハは確かにアサヒ‥
アヤハに名前が変わってからも、しばらくアサヒと呼び間違ってました(笑)
[ 2013/07/17 15:02 ] [ 編集 ]

★sho惑星さん

さすがsho惑星さん♪ /\/\/\ そうです。見事な表現です!!
ビワコムシよく聞きました。
昭和50年代、まだマンションが今ほど多くなかった時代、湖岸にルネ大津というマンションが出来たのですが、先輩がそこの住人で「ビワコムシが。。」と嘆いていました。
今でもいるのでしょうか?
昭和40年代後半から昭和50年代半ばあたりまでは、赤潮だとか、粉せっけん運動だとか、富栄養化だとか、琵琶湖も大変な時期だったように思います。

父など、いつまでも「アサヒ」と言ってました。
あのようなタイプの量販店はあのアサヒがハシリだったように思います。

西武の北側に「アヤハ会館」ってのがありました。仕事の関係で何度が行きました。
あれもいつしか消え、今はスーパーや飲食店のゾーンになったんですね。

昭和50年代と言ってももう30年以上なるのですから、こうして思い出を語れる年代なんですね。。

ためいき。。。
[ 2013/07/17 15:47 ] [ 編集 ]

★sho惑星さん

http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/shashin/data/ks_578.html

これですね。
1990年に取り壊されていましたか。。
[ 2013/07/20 23:01 ] [ 編集 ]

旧科学館

/\/\/\ 的確な表現に笑ってしまいました
懐かしいな。科学館。
初めて出会ったのは『琵琶湖博覧会場』
琵琶湖博のメーンテーマパビリオンでした。
何回も行ったけど何が展示してあったかすっかり忘れました(笑)

その後科学館に転身。子供の頃のいい遊び場でした。
面白い展示物が色々あってね
当時珍しかった電子レンジの仕組みとか…滑車の仕組みとか

そうそう、SLはまだ、におの浜に居ますよ
嫁ぎ損ねましたかね(笑)
[ 2013/07/21 13:51 ] [ 編集 ]

★CHOKKO さん

びわこ博を知っている人がなかなか少なくて。。(笑)
同世代で嬉しいです。
メインパビリオンでしたが。。ホント何の展示だったんでしょ
びわ湖博の展示そのものもあまり記憶にないんですよ。
妹と父、母と私の組み合わせではぐれてしまって、妹と父はもう外に出て、公園で遊んで待っていました。
携帯電話のない時代どうしようもなかったんですよね。


科学館に転進したのは知っていましたが、展示物を見た記憶がなく。。 県立図書館が入っていて、わざわざ受験勉強のために通ってました。湖岸道路からはちょっと距離があるのに、バスで行って歩いてました。

SL健在でしたか。。 今度あのあたり歩いてみましょう。
[ 2013/07/22 14:51 ] [ 編集 ]

★CHOKKO さん

考えてみれば 科学館は大津の所有ですから県立図書館ではなかったんでしょうね。
でも、今の浜大津浜大津公会堂にあった図書館で勉強したり、滋賀会館の二階にあった県立図書館に行ったりしてましたから。。あれはなんだったんでしょう?
記憶が曖昧です。
[ 2013/07/22 14:54 ] [ 編集 ]

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