都電荒川線 「荒川遊園地前停留場」 あらかわ遊園地 (東京都)

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「荒川遊園地前停留所」下車、北方向、隅田川方向へと歩くと観覧車が見えてきます。

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昭和の雰囲気そのままの遊園地が好きな私は、入園してぐるっとひとまわり。観覧車から東京の町を眺めようと思っていましたが、平日のミゾレ交じりの雨の日ともなると、だぁ~れも入園者は居ない様子。
遊園地独特のジェットコースターの降下する音も歓声も聞こえてきません。
受付のお姉さんも、肩をすぼめ寒そうに談笑しています。

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うーん。。こんな日に私なんかが行くのは気が引けます。。
遠巻きに、園内の様子をうかがうだけにしましょう。


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昭和25年開園の「荒川区立」の遊園地。遊園地と言えば、鉄道会社が運営している事が多いのですが、珍しい遊園地です。


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前身は大正11年開園の「民営」あらかわ遊園。
さらにそれ以前は煉瓦工場だったという部分が私には気になります。

『尾久の民俗』(荒川区教育委員会、平成3年)p.8-9には、『新興の尾久町』(下谷新聞北豊島支社、大正12年)より引用して、大正十一年には、広岡勘兵衛が船方の煉瓦工場を廃して、荒川遊園を開園した。近くに住む石神寅松氏は荒川遊園について「道路境木材塀は全部煉瓦塀にして、南側一帯は土盛して滝も造り、水は井戸を掘った。お宮(稲荷様)の池は広く、貸しボートを浮かべ、水は荒川の水を利用した由。開園当日は、地元町会(小橋町会)として役員総出で交通整理その他を手伝った。花火も盛んに上げ、園内の滝の前では仕掛け花火を上げた。特別大玉を上げたが、ここでは危険であるため、尾久西校正門西方にある野球場で二尺玉とか三尺玉を打ち上げた。と記されている。
( あらかわ遊園HP より引用)


明治初期、この地域では煉瓦に適した土が取れることや、船運等交通の便が良いことから4つの煉瓦工場が建ち並びました。
 煉瓦工場が閉鎖後、その場所にあらかわ遊園を開園し、煉瓦工場にあった煉瓦を使い遊園を囲む塀を造りました。その塀が今も残っています。

( 荒川区HP より引用)




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大正11年からの煉瓦塀は今も少し残っていましたが、ん~?


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ショベルカーや、チョークでつけられた矢印が気になります。



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[ 2015/04/28 13:47 ] ---まちあるき--- 東京都 | TB(0) | CM(0)

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