新居浜旅行を終えて。そしてさらに・・・ “あかがねのまち新居浜ブロガー旅行記” (愛媛県新居浜市)

新居浜旅行を終えて。そしてさらに・・・ “あかがねのまち新居浜ブロガー旅行記”




「新居浜旅行に行ってくる」と言うと、妹は「えらぃ、またマニアックなとこに(笑)」と言いました。
確かに。
際立った観光地はなく、ましてやピンポイントではなく2日間滞在するなんて、いったい何があるの?という感じでしょう。
でも、今こうしてブログを書き終えても、さらなる興味が広がっています。
それほどに「新居浜」という町は奥が深いのです。


 私自身「別子銅山」という地名は聞いた事あったけれど、それが四国の新居浜市というところにあることも、その歴史が280年にも及ぶものであるという事も知りませんでした。
旅行前の勉強は、実際にその地に立ってみないたなかなか自分のものにならないもの。
 書くために振り返り、画像整理、資料整理をしていく中でやっと自分のものになりました。


 280年前に露頭が発見され、翌年住友により発掘が開始され、一貫して住友家が経営してきた新居浜は、「住友」の町です。
その、別子銅山の発展に大きく貢献したのが、我が滋賀県出身の広瀬宰平。
以降、採鉱の地を 東平、山根へと次第に山の下へと移動、移動により人の暮らしも移動していきました。
採鉱場所が海面下1000メートルに達したとき 歴史に幕を閉じたのです。

 閉坑から40年の月日が流れましたが、多くの遺構が残っています。




別子銅山の始まりは、今回訪れる事の出来なかった、「旧別子山」です。

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そこには、接待館跡、小学校跡、劇場跡、第一通銅跡、 そして別子銅山の記念すべき最初の坑道 「歓喜坑」があります。

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山の中を3時間。


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マイントピア2階におられる、ボランティアガイドさんのお話を伺いました。
きちんとした恰好をして、ガイドさんと一緒に歩くのがのぞましいとの事。
別子銅山の歴史を2日間にわたって、感じた今。
さらに、別子銅山の始まりの場所をこの目で見てみたいという気持ちが高まるのです。


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[ 2015/10/10 23:00 ] ---まちあるき--- 愛媛県 | TB(0) | CM(0)

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