列車に乗ったのに記事にしていないもの、旅をしてきたのに記事にしないままのものが多くあります。
振り返り記事にしようとしても、感動は薄れているし、場所を忘れていたり。
勿体ない。これからは極力、簡単でもいいからまとめないとと、思います。
これは、今年2月に友達と、大津市の瀬田の唐橋 東詰の北側を歩いた時のものです。

クリーム色の橋が「瀬田の唐橋」 日本の三大名橋と言われています。
旧東海道でもあります。
左に見えている道路は瀬田川沿を北へと走る幹線道路。
土日ともなれば、渋滞でイライラする道路でもあります。
毎週 母の病院へはこの道路を自転車で往復します。
そして その道路に並行する道路。
ここにまさか、こんな風情ある景色が残っているとは思ってもいませんでした。
友達とだからこそ、発見できた景色、地元の方の生活道路のようで、一人では入る勇気がありませんでした。








お店をやっておられたらしき建物があったり、東西南北に伸びる細い路地。
まだ 車というものが一般的でないころ、このあたりは町の人々の生活の中心だったのかもしれない。。
ご近所さんと助け合いながらの暮らしが見えてくるような風景があります。
そっかあ。。このあたりは漁師町だったからかもなぁ。


何故か、お墓が塀のようになっています。
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このあたりは古い路地が沢山ありますよね。
新しい発見があるかもしれませんね
お墓の塀はすごいですね・・
タケヘイさんお久しぶりです♪
普段は瀬田川沿いの道しか通らないのですが、一歩入ると細い路地がたくさんあり、いい雰囲気が漂っていてびっくりしました。
もしかすると、瀬田川沿いの道はここ数十年のうちに出来たもの? 瀬田川はもしかするとこの路地のところまであったのかな?
と思うのですが、専門家や地元の人にそういうお話をまだ聞いた事はなく、とても興味があります。
湖岸の道は今ほど広くはないけどJRの所まではあったんです。三洋電機ができるまでは、松下の工場で軍事品をつくっていたそうです。ですから戦争より前というより江戸時代に出来てたのでは、 お寺も獅々堂先生(ボートの先生でした)の前が道ですもの。
時代は変わって、三洋電機はフレンドマート、にニトリ、国道の向うはパナソニックです。
でもこの道は夕方すごく込みます、唐橋からアヤハはすぎて大きなホテルまで、信号がややこしんかな。
西側に道は55年くらいに前にできました。浜大津から埋めてつくったみちですね。大昔に4車線ししといたらよかったのにね。
そうなんですか。道は江戸時代からあったとして、今 一段下がったところにある公園はここ50年位に出来たのでしょうか?
今ある道が舗装されてなくて、そのまま湖岸の砂浜に続いていたような景色を想像してしまいます。
唐橋の西側。まだ幼いころ、父が会社からもらってきた?車で走って頃 まだ道はできている途中で もうすぐできるんだと話しなが通ったこと覚えています。
浜大津のあたりの国道161号も 私の幼いころに作られていました。まだ砂浜でした。
そば打ちおじさんと、50年位前の話をすると止まらなくなるし、私より少し先を生きておられるので興味深いお話しが聞けます。
ボートの獅子堂先生は、京町のお寺の獅子堂先生とはどういうご関係なのでしょうね。 応援団の顧問、国語の先生で私の担任でした。
平津も獅子堂というお宅があります。
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