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京成電鉄金町線 “人車鉄道がはじまり” (東京都葛飾区)

 東京の鉄道網は、まったくわかってなくて、また突然にすべての路線網を頭に入れると混乱するので、柴又へ行くための京成電鉄だけを頭に入れていました。
 日暮里から京成電鉄本線で高砂駅。高砂駅で金町線乗換。
ホームの変わる乗換だと思っていたら、一旦改札を出るようになっていました。

これは何かある。 本線とは性格の違う何かがある。歴史の違う何かがある。
柴又を目指すための経路でしかなかった、金町線乗換でしたが、ここで「鉄道好き」の血が騒ぎます。


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カメラも出していなかったのけど、慌てて歩きながらシャッターを切りました。

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こちら翌日の夕方です。
ブレてます。

東京というところは、多くの人が暮らす場所で観光地としての性格はあまりない地域です。 “雑踏で写真を撮る” という行為は許されていないような印象を受けました。

関西では、どこでも撮影オッケーのような風潮がある思うのは、自身が関西人であるという甘えからでしょうか?



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金町線始発駅「高砂」


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車止めがあるのが、本線ではなく「金町線」として独立している証拠。
この先へ進めません。


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金町線は、 高砂駅 柴又駅 金町駅  駅数3つ 路線距離2.5キロ 全線単線です。



柴又で、寅さんを感じ、帝釈天を訪れ、江戸川の堤防を感じだその日は、京成電鉄本線沿線に宿泊しましたが、翌朝はわざわざ、もう一度金町線に乗車してみました。


金町線終着駅「金町駅」
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こちらにも車止めがあります。
この先に進むことができません。






「金町駅」
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目の前には、JR常磐線「金町駅」があり、東京都心へのアクセスは便利です。



気になる 「金町線」
1897年(明治30年に開通していた日本鉄道金町駅から 柴又帝釈天までの 「帝釈人車鉄道」が1899年(明治32年)に 設立され、同年内に柴又 - 金町間で営業が開始されます。客車は1両6人乗りで64両あり、通常1人で押していたといいますから、かなりの重労働。乗り心地もどんなものだったでしょう?
1909年(明治42年)京成電気軌道(現在の京成電鉄)が設立 ルートの重なる帝釈人車軌道は、1912年(明治45年)に軌道特許を京成電気軌道へ譲渡しました。

 2010年(平成22年)7月の成田空港線開業に伴う踏切遮断時間増加防止策として本線高架化を待たずに金町線のみ京成高砂駅付近を高架化。 これに伴い全線単線化、他の線と改札が分離、全列車が線内折り返し運転となりました。

 分離までは、金町駅から上野駅までの直通運転もあったので、金町線利用者は少々不便になったのではないでしょうか。
寅さんも、柴又駅から上野まで乗車する事が多かったようで 上野駅でのシーンも多くありました。

古い歴史を持っている路線だけに、分離されてしまった事は寂しい。
さりとて、「人車鉄道」の時代に戻ったようで 柴又らしさを感じさせてくれる路線でもあります。

 次回は、このあたりの歴史をしっかり噛みしめて乗車したいと思います。








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