西村伊作邸の近くにある「チャップマン邸」 1926年建築。 西村伊作デザインによるものです。 写真は建物左面になります。 西村伊作邸に気をとられ、丁寧に写真を撮ってないのが悔やまれます。 前面は増築されています。 検索するといくつかの画像が出てくるのでご興味のある方はご覧ください。
新宮駅から歩いて5分のところにある「西村伊作記念館」 1914年(大正3年)着竣工 設計西村伊作 施工岡崎松次郎 なだらかな坂に沿うように、まるで綺麗に三軒の住宅が並んでいるかのように壁があります。 低めの自然な玉石塀が道路との境界を優しく示しています。 玄関は道路に沿うようにふらっ。。と入れるような角度にあります。
田辺市には、多くの有名 近代建築があるのですが、足を延ばす時間はなく、駅前をきょろきょろ。 ふと目に留まったビルはこちら。 ピンクのラインと、前面壁の曲線と、ガラス窓が面白い。
ピンクに見えたラインも望遠で撮ってみるとタイルの組み合わせ。 一体、何に使われていた建物なんでしょう? 商店街の屋根で、ビルの全体像がわかりにくいけれど魅力ある建物だと思いました。
「温泉のお湯で入れた温泉コーヒーっていうのがあるのですが、飲まれますか?」と聞かれて持って来てくださったのがこちら。 特に温泉水という癖もなくおいしく頂きました。ミルクがお皿に入った粉末だったり、市販のクッキーがお茶受だったりするのが素朴で、温泉地の民宿に泊まっているという落ち着きを感じます。 一夜明け明るくなってみると、落ち着いた温泉町の風景が見えました。 硫黄の臭いの立ち込む四村川。
熊野本宮神社に詣でて、バスの時間まであたりをぶらりと歩き、バス停へ。 何気なく、バス案内を見てみると。。 「現在、湯の峰温泉行きのバスはありません」と赤字で書いてあるではありませんか!! 南紀パスの注意書に、「バスの運転区間にご注意ください」とあったので、何度もネットで確認したはずでしたが、やはり直接電話で聞くべきでした。 バス停付近をよく見ると、田辺市が救済的に運転しているシャトルバスがあるように書いてあったのですが、バスの運転手さんに聞くと「○○のバス停で降りて、乗り換えて歩いてください」との事でした。 ところが降りたバス停で、町の人が声をかけてくださって「湯の峰温泉に行くバスはないよ。車 取りに帰って送ってあげるわ。。」と。。。 ん。。 もうそんな歳ではないのですが、見ず知らずの男性の車に乗せて頂くのはちよっと遠慮したくなります。 「いぇ。。大丈夫です~」と言ったもののなんの手立ても無く。。 素泊なのに、迎えに来て頂くなんて事もできないし。。 とりあえずまた新宮まで戻ってビジネスホテルでも取ろう。。 その前にキャンセルの電話いれなきゃ。。 事情を話すと、「今から迎えに行きます」と。。。 私の下調べ不足だったのにご迷惑をおかけしてしまいました。 「9月の台風の時には何日か孤立したんですよ。。 幸いうちはお客さんいなかったですけどね。。」 15分程山の中を走ると、ぽつんと。。温泉街が現れます。。 「湯の峰温泉」 熊野本宮町では一番古い温泉。。どころか日本でも一番古いと言われている温泉。 湯の谷川を挟んでわずか、15軒程の旅館と民宿がならぶ、ほんの小さなこじんまりとした静かな温泉街。
歓楽街があるわけでなく、カラオケ・スナックなどのお店があるわけでもなく。。 「温泉」だけがある。。 事前に調べておいた飲食店も「今日はやってないんですよ」と。。 え?。。 あたりを歩けど、何もない、旅館付随しているレストランでもないかと思ったけど何もない。。 本当に何もない。。 この日は朝から、まともに食事らしい食事はしてなかったのにさらに。。夜も。。 手持ちのお菓子で。。夕食を済ませ。。。。 熊野古道と同時期に世界遺産に指定されたという「つぼ湯」に入りにいきました。 薄明かりの中で、やっと人一人が入れるような、本当に「つぼ」のようなお風呂に入るのは、湯の峰温泉に来た醍醐味。。 そして宿に戻って、お風呂。 こちらも源泉かけ流し。 鄙びた温泉に来たなぁ。。。。。。 お忍び旅行に良さそうな。。そんな場所。 まるで、子供の頃のような懐かしい雰囲気のお部屋に泊めて頂き、川の流れる音を聞きながら、眠りにつきました。。。
先々週末、久しぶりの遠出は福井方面。「武生」の町並みは私好みで大満足でしたし、福井鉄道、えちぜん電鉄の駅舎と車窓も最高で、楽しい時間を過ごしました。 感動さめやらぬうちにすぐにブログ記事にしたいのですが、昨年末の南紀パスの記事がまだ途中です。 簡潔明瞭にまとめられず、ひとつひとつ再び感動に浸ったりしているもので、こうしてブログ記事が遅れていきます。 とりあえず、南紀パスの記事を急ぎたいと思います。 南紀パスの特徴は、JRだけでなく、かなり長距離の私鉄バスも乗降自由であることでした。 つまりかなりの低価格で普段行けない和歌山県の内陸部を横断できるということ。 画像、実線がJR 破線が私鉄バス。 さて、新宮駅まで来た私は、ここからバスで熊野本宮大社まで向かいます。 図では北へ向かうようになっていますが、今度は西の内陸部へと進みます。
3年前に撮った写真と半月前に撮った写真。その殆どの視点、角度が一緒で 進歩がないというか、一環しているというのか。目に付く建物も同じで、前回も駅舎の向かいにある「パイル織物資料館」まで足を延ばしました。 前回の写真と今回の写真を使いながら記事を書いていくことにします。 ホームから見える建物は、瓦屋根、下見板張の趣ある建物。 正面に見えているけれど、ぐるっと5分位かかるのに吸い寄せられるように歩いてしまうのが 近代建築ファンの私達。
気になるのは、この出入り口。 屋根の上の飾りも気になるし、全体の形も気になるし、足元も気になるし、窓からそうっと見た内部はもっと素敵。 行動的なmayumamaさんが事務所に申し出てくれたのに、内部見学をさせて頂く事ができました。 でも「パイル織物資料館」です。この地域特産の「基布に毛(パイル糸)を織り込んだパイル織物」の特殊な校庭についての展示がされていて、係の方が丁寧に説明してくださいました。 ひとつ、物知りになれました。。 建物として見られたのは天井だけでした。 玄関部分と思っていた場所は「倉庫になっている」とおっしゃっていましたが、外観から察すると木造の本屋に後から建物としての価値を高めるために増築されたように感じました。。 それが今、倉庫になっているとは少し寂しい気がしました。 高野口小学校の近くに緑に囲まれた昭和の雰囲気のする医院がありました。 高野口。。 とてもいい町でした。
4/14「関西洋風建築めぐり」に参加させて頂いた時の続き記事です。 高野口駅から歩いて10分。桜の木の下に、瓦屋根の綺麗な間口の広い建物が見えてきます。。 まるで絵に描いたような小学校。 、 ここは「高野口小学校」 昭和12年(1937年)7月に着工、2011年に改修工事が終わりました。
中に入って驚くのは、その明るさと開放感。木枠の窓からふり注ぐ光を校舎内に見事に取り込んでいます。 廊下も十分に広く、ゆったりとしています。 本館から4本の突堤のような片廊下型教室が校庭側に伸びているのは、文部省が明治28年(1895年)に提示した理想的プラン=フィンガープランを採用したもの。 これによって各教室、各学年が身近に感じられ木と共にぬくもりを感じさせてくれます。 図書室の天井は、木材がデザイン的に使われています。 体育館は2009年、コンクリートと木の混構造により建替えられました。 どこにもある画一的な体育館とは違った斬新なデザインも、木造校舎とうまくバランスが取れていて素敵です。 日が伸びてきた夕刻、校舎内に綺麗なシルエットが出来ていました。 ぬくもりのある小学校で学んだ児童は、心豊かな子に育つでしょう。。。 古き良き学校もあちこちで、廃校になったり建替られたりしています。 2008年2月に訪れた「吹屋小学校」もこの春惜しまれながら廃校になりました。 訪問記事 → 「国内最古の現役木造校舎「吹屋小学校」 (岡山県高梁市)」ここも素晴らしいかったです。 滋賀の豊郷小学校もなんとか、現役で頑張って欲しかったものです。 訪問記事 → 「豊郷小学校」 「豊郷小学校」 「豊郷小学校講堂」 「豊郷小学校」「改修」と形を経て、この先も使われ続ける「高野口小学校」 心の中であったかく輝いてくれています。
昨年末の南紀パスを使った旅の様子を書かせて頂いているので「和歌山県橋本市」と言う地名に、南紀パス旅の一連かと思われてしまうかもしれませんが、こちらは先週土曜日に「関西洋風建築めぐり」に参加させて貰った時のものです。 和歌山線「高野口駅」は、ローカル線木造駅舎。降り立っただけでため息が出るほど、暖かい懐かしさが漂っているのに、さらに息を飲ませてくれるのは、木枠と硝子窓とその向こうの障子が見える堂々とした建物。 (高野口駅待合室から) 何年か前、この駅舎を訪れた時も、この建物が気になって写真をたくさん撮りました。
「葛城館」 木造三階建て、入母屋作りの旅館。 述べ床323平方メートル、明治後半の建築とされ、千鳥破風と軒唐破風を三階本屋根の正面に取り付け、銅版葺きの庇と総ガラスの建具が目を引く。現在四代目御当主大矢武さんが管理されていますが、旅館業は奥さんが亡くなってから休業されています。 何年前まで現役で旅館だったのでしょう。。 再び、営業しようと思えば今すぐ、出来る位に綺麗に保たれています。 欄間のす透かし模様も細かい細工が施こされています。 ハンガーをかける所も綺麗な木製でした。 これは、明治時代の常連客、東京の火消し組が残した看板です。 これは広告でしょうか。 「旅館大勉強の親玉」「中飯料 五等拾銭 特別五十銭 宿泊料 五等弐拾五銭」などと書かれています。 旅館の基礎部分は煉瓦が積み上げられていました。 一ヵ月後、後ろ側は解体されるそうです。 窓からは、「高野口駅」が見下ろせます。 界隈にも、旅館の名残を感じさせる建物がいくつかありました。 当時、鉄道を利用した高野山への参詣道のうちもっとも便利であったのが高野口駅(旧紀和鉄道名倉駅)が最も便利であったため駅周辺には十数軒の旅館があったのだそうです。 夕方、葛城館は夕日に映えて輝いていました。 「窓の下の丸い所には外に向けて鏡がついているんですよ」と先生がおっしゃっていた、その意味がわかった気がしました。朝日、夕日が綺麗に反射するのでしょう。。。
熊野那智大社に着いた時から気になっていた「黒飴ソフトクリーム」 アイスクリームはあまり好きじゃないのに、ソフトクリームは大好きという私は、変わり味のソフトクリームを見つけたら必ず 食べてしまうんです。。 今まで一番おいしかったのは京都嵐山の「ほうじ茶ソフト」でした。。
黒飴もしくは黒糖がソフトクリームに練りこまれているとばかり思い込んでいたら。。 ん? ん? 黒蜜?がかかっているだけ。 しかも冬だというのにソフトクリームは柔らかくすぐ解けてくるし、それより先に黒蜜?が落ちてくるし。。思わずハンカチで巻きながら 食べました。。 ん~~ 残念。。 このあたりの「黒飴ソフトクリーム」ってどこでもこれなんでしょうか。 再び、勝浦方面に戻ります。 2011年9月の台風12号被害は、思っていたより酷く車窓からその被害状況を感じました。
「熊野那智大社」は熊野三山のひとつで、紀伊勝浦駅から熊野交通の路線バスで約30分西へ西へと走った山間にあります。
「告 入山心得」とお堅い標識でありながら、関西弁はひるんだ心が和みます。 参道の途中には石屋さん。そっかぁ。。那智黒の黒飴は碁石を模してあるのかも。 訪れたの平成23年12月16日。 気ぜわしい時期、神社はひっそり。。 お正月になれば、ここは清清しい気持ちの人々でいっぱいになるんでしょう。。。 2012年の年賀状にはこの写真を使いました。 西国三十三番第一番札所「青岸渡寺」が隣接しています。 「那智の滝」 ガードレールまでもが、朱に塗られているとは、気が利いています 今度は和歌山弁かな? なかなか楽しい、 社寺でした♪
紀伊勝浦駅前広場から伸びる商店街入口の上方には「那智黒」の大きな看板。 そういえば、よくお土産で頂きましたが、ここが本場だったんです。 「那智黒」「那智黒」このあたりはどこへ行っても「那智黒」の看板を見かけました。
雰囲気のいいアーケード商店街を抜けても、南国紀州を感じる看板に旅気分が盛り上がります。 5分も歩かないうちに、入江の中の漁港と、観光ホテルが並ぶ静かな場所。 「kioskは駅の中♪」という歌がありましたが、駅の外にあったkiosk。 まるで、よろづやさん? コンビにのような品揃えです。 駅前のバス停は、おばあちゃんちに行くバスを待っていたような懐かしい雰囲気です。。 今回の「南紀パス」は三日間 JRが乗降自由であるだけでなく、広範囲の民間バスも乗降自由というお得なパス。 此処からバスの旅です。
更新ペースが極端に長くなっていますがのんびりと。。 南紀パス2日目 橋杭岩の夜が明け、明るくなり始めた頃 串本駅に向かって海岸を歩きました。 串本駅まで約15分
ここから熊野交通のバスに乗って、本州最南端の潮岬に向かいます。 JRのフリー切符に私鉄バス区間がついているものを利用するのは今回が始めてで、新鮮な気分でバスに乗ります。 早朝に潮岬に向かうのは私一人かと思っていましたが、暫くは町中を走るので、地元の方も何人かおられました。 少しすると、山間のようなところを走り、暫くすると木々の中から海が見えてきました。 ここは、始めてじゃない、青春18切符に目覚めた頃、日帰りでここまできて、やっぱりバスで潮岬まで向かった。 あの頃は、鉄道そのものに興味があったわけではなく、「遠くへ行く事」が目的だった。。 終点「潮岬」にあるのは「潮岬観光タワー」 今回は、昭和の建築物としてこの建物を見たくってここまで来たのでした。 昭和30年建築。 戦後の日本が、娯楽に目を向け始めた頃。すべてに希望があった頃。。 12月の平日朝9時の観光タワーは、流れる音楽が逆に寂しさを感じさせるほどに静かで 私一人が写真を撮っているだけ。。。 この丸みが昭和だなぁ。 昭和の隆盛期をふと思ってみたり。 海側から観光タワーを見たところ。タワーの前の約3万坪とも言われる広場には海軍の望楼が置かれていたそうです。 観光タワーにも入りたいし、ここから少し歩いたところにある潮岬灯台にも行きたいのですが、今日のスケジュールは密なので、再び串本駅へと戻りました。
暫くご無沙汰になってしまいました。落ち着いた時間が取れない事にかまけて(?)記事をかかずにいると、このままブログから離れてしまいそうで、折角仲良くして頂いているみなさまとも疎遠になってしまいそうで。。 頑張って少しずつ、記事を続けます。 和歌山県潮岬の橋杭岩に陽が昇るのを待ちながら、船が停泊しているところまで歩きます。。 港の夜明の雰囲気は、生活感があっていい。。
JR西日本では時々、超破格値の企画切符が売り出されます。 2年前の西日本パスも、驚くほどお得な切符でおかげさまで、九州各地を随分楽しませて頂きました。 そして今回の「南紀パス」 JR往復特急列車(普通車指定席)+ 紀伊田辺駅~新宮駅三日間乗り放題+現地でのバス三日間乗り放題これで京都市内からの料金が6500円!! 普通車しか乗れない青春18切符三日間6900円よりも安い! そしてさらに、JR西日本では珍しく、一人でも使えるんです。。 これはもう万障繰り合わせて出かけるしかありません。。 因みに、私は一日目串本駅まで、三日目は新宮駅から、特急指定席を使いましたが、これだけでも約13000円。 加えて、乗降自由区間を何度も乗り降りしています。 加えて、新宮駅から紀伊田辺駅までのバスは3500円。 ざっと計算しても6500円は三分の一以下のお値段となります。 詳細 → 「JRおでかけネット」
私の鉄道旅の楽しみは、古い静かな鉄道駅舎に出会う事。。古い駅舎に身をおくこと。。 でも今回は、特急に乗ること。。 ぼんやりと何時間も車窓を眺めている時間が大好きです。。 駅舎は、春に青春18切符で紀伊半島を一週した時に、気になるところは見ているし、特急を含めても1時間に2本弱では途中下車にも辛いものがあります。 それよりも、今回はバス路線に重きを置きたい。。 和歌山の内陸部を横断しているバス路線に大きな魅力を感じました。 いつもの私の旅とは少し違った観光的な旅となってしまいましたが、いつものフリー切符では訪れる事のできない温泉。。山の中。。 かなり満足して帰ってきました。。 何かと忙しい毎日ですが、少しずつ、私の見たもの、感じたものを紹介していきたいと思います。
「椿駅」の記事を書こうとしたら、写真が膨大な数になってしまいました。 駅舎そのものが、特に古いわけでもなく、名建築であるわけでもなく、山の中のごくありふれた古い駅舎。 何に惹かれたか、椿駅を囲む風景だったでしょうか。 一日の乗車人員はわずか31人という地味な駅。 「秘境駅」「名駅舎」と騒がれることもなくひっそりと、佇むその駅舎の控えめな感じがなんとも言えませんでした。 何故、鉄道に惹かれるか、線路の先に、物語があった、物語が始まる。。 特に椿駅から見える線路は、美しかった。
「紀伊田辺駅」から歩いて1分とかからないところにあるビジネスホテル。 おそらく、昭和の後半、ビジネスホテルというものが建ち始めた頃のものだと思われます。 「雑居ビル」の雰囲気もあります。
こんなレストランも併設されています。 今回の私の宿泊ホテルはこちらでした。
ビジネスホテルが駅前に2.3軒あるような規模の町。 駅前は再開発されて、道路が広くビルが建ち並んでいて往時の姿を見つけにくい町か、すっかり寂れシャッター商店街となり食事をする場所も見つかりにくい町か。。 そのどちらかである事が多いものです。 ところが、この「紀伊田辺駅前」往時の姿をそのまま残して、賑わっていました。 (いずれも早朝6時前の画像でシャッター商店街ではありません)
「紀州大漁海鮮丼」 今日の晩御飯。
紀伊田辺駅から歩いて5分。 おっきなお椀からお刺身が飛び出しています♪ お店のおじさん、ちょっと怖そうな感じがしたのですが、コンビニの場所を聞いたら、「何が欲しいん? コンビニは遠いで。スーパーの方が安くてなんでもある」と 一緒に外に出て歩いて、駐車場を抜けたりしながら場所を教えてくださいました。。♪ おいしい海鮮丼と面白くて優しいおじさん。旅のいい思い出になりました。
和歌山へ来たなら、やっぱり「和歌山ラーメン」 有名な「井出商店」は和歌山駅から歩いて数分のところにあります。 11時30分の開店に合わせて、11時35分頃に着いたら、すでに行列。
お店の壁に大きなメニュー看板。 待っている間に考えましょ。 噂には聞いていましたが、「中華そば」のみ。 待つこと15分。 店内は予想以上に狭い。。。 隣の人、後ろの人との距離も近い。 「特製中華そば」(チャーシューの数が多い) こってり系のスープは、京都で言うなら「たんぽぽ」のよう。 しっかりこってりしています。こってり系大好きの私には満足。 ただ、麺が固かった。 茹でかたが足りなかった? と思うくらいに固い。 和歌山ラーメンってこういうものなのかな? テーブルの真ん中に「お待ちの間にどうぞ。。。」 みたいな感じで置かれている「はや寿し」「めはり寿し」 お腹が空いていたら、つい手を伸ばしそう。。 これ、黙って 食べて最後に自己申告するようで、「ゆで卵と、はや寿し一個」と告げてお会計をされている方がおられました。 折角だから、この「はや寿し」を 食べてみたらよかったかな?と 思いますが なんでも馴れ寿司の一種で臭いが強いらしい。。。 ん~~ 「和歌山ラーメン」とは?。。 夕方ももう一度 駅で 食べました。 そっかあ。「和歌山ラーメン」はこってりスープと、ピンクの丸い蒲鉾が特徴らしい。 こちらスープのこってりさと、味の濃さにが「井出商店」より薄かったのですが麺の固さは丁度よく。。 井出商店の麺がもう少し柔らかかったらよかったなぁ。。 「サンマ寿し」は少々甘めでした。
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